原作はヴィクトル・ユゴーの不朽の名作だが、全編英語のミュージカルで構成されている。またあの大長編を2時間の枠に収めているので、原作にある深みはやや薄れている。歌を聴かせる方がメインに置かれている為だろうか。
劇中では、劇団四季の『レ・ミゼラブル』のテレビCMでも頻繁に流れていた「民衆の歌」が流れる。テレビフリークなら、四季のミュージカルを観たことない人でもこの歌は耳に聞き覚えがあることだろう。クライマックスで学生達が革命を起こそうとする直前と、ラストシーンでコゼットの死んだ母親も入れてのメンバー総出で歌い上げるシーンでは胸が高揚した。
『レ・ミゼラブル』の原作は20年近く前に読んだきりで粗筋のほとんどを忘れてしまったが、今回の視聴で断片的に思い出すことが出来た。特にラストシーンがどうだったか思い出せないのだが、ジャン・バルジャンがあのように最期を迎えたのかと思うと感慨もひとしお。それにコセットと学生がどのような結末になったかも、その出会いのきっかけなども朧気ながら思い出すことが出来た。道化のような悪役夫妻もいたが、果たして原作ではあれほど要所要所に登場して物語を回転させるキーパーソン的な役割を果たしていただろうか、どうも記憶が薄れてハッキリとしない。
冒頭に神父が教会の銀の皿を盗もうとするジャン・バルジャンの悪行を見逃し、更に銀の燭台まで与えて警吏達を欺いてまで罪を許し、妹のためにパンを1つ盗んで19年間監獄に繋がれていた人生の再船出を扶けようとする心根にキリスト教の慈悲深さを感じた。作家だから書けることだが、実際にこんな慈悲深い神父はいないだろうなという諦念の感も沸き起こった。
コセットの母親ファンティーヌを演じるアン・ハサウェイが美貌の賜物。男に誘惑され、子を身籠もり、遊び目的だった男が消え失せると、工場から追い出され娼婦に転落していく。幼い子供を食べさせるために自慢の髪を切り、歯を抜き、美しかった容姿が醜く変容していく様は心が痛む。アン・ハサウェイは『オーシャンズ8』にも重要な役どころであるセレブ役で出演。
ジャン・バルジャンを追うジャベル警部は原作通り自殺するが、その折の心の葛藤と変容の見事なまでに同情を誘う心理模様はやはり小説の方に軍配が上がる。どうも映像にすると伝わりにくく淡泊だったが、この映画の主旨はミュージカルの完全映画化なので致し方ない。エンドロールでもミュージカルの脚本家に賛辞が述べられている。
ジャン・バルジャン役のヒュー・ジャックマンは後にミュージカル映画『グレイテストマンショー』で主役を演じることになる。徒刑囚のジャン・バルジャンとその後市長になったジャン・バルジャンの姿の変身ぶりも見事。
原作を昔読んで粗筋を忘れた人や、ミュージカル『レミゼラブル』のテイストを楽しみたい人にも良い。