etoile studio

アイドルの現実をアニメで表現した写実主義的作品 劇場版Wake up Girls -七人のアイドル-

劇場版Wake up Girls -七人のアイドル-

山本寛監督作品。このブルーレイを買いたいと思ったのは、オールナイトのアニソンダンパで流れた映像がきっかけだった。

即席の舞台上で様々な制服を着た7人の女子高生アイドルが、パンチラしながらもヌルヌルした動きで、自分たちの曲に併せてダンスを踊っているシーンがとても新鮮で刺激的だったのだ。

このムービーを作った人は、女子高生に抱く男の夢や幻想を良く心得ている。「見せても減るもんじゃないよね」というさりげなくも大胆な発言も、何とも子供と大人のはざまにある思春期らしくて良い。

さてこちらの作品はテレビ版もあるのだが、テレビ版を実際に視聴してみると、人物絵が何だか崩れていたりもするのだがそれは置いておいて、ストーリーが暗かったり、大人達が汚かったり、トラブルまみれだったり、アイドルオタクが出てきたりする。何だか他のアイドルを扱ったアニメとは違う。

例えばアイドルマスターは、プロデューサーがアイドルを育てるゲームだ。敢えて大ざっぱに文学的に形容するなら、教養小説、ビルドゥング・ロマンだ。ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」やトーマス・マンの「魔の山」のように、物語が進むにつれて主人公達が成長していく。

ラブライブ!はアイドルの綺麗な部分だけを綺麗に取り上げた、笑いあり、涙ありの綺麗ずくしのストーリーだ。登場人物の一人である矢澤にこは母子家庭だが、深夜ドキュメンタリーのようにそこまで深刻に母子家庭の様子が描かれているわけではなく、笑いに昇華される。全体的に明るいムードに包まれている。

文学的に喩えるなら、ロマン主義の部類に入るだろう。ひたすら人間賛歌で理想を追い求めている。ラブライブ!に出てくる登場人物は、明るく楽しみ、明るく悩む。明るく困難に立ち向かい、最終的に綺麗に解決してハッピーエンドを迎える。アイドルとはこうあるべきという、アイドルの理想的な姿であると言って良い。アイドルの人間的な裏の性格は出てこない。

例えばファンを侮辱するようなアイドルや、他人に暴言を浴びせて馬鹿にするアイドルは一切存在しない。アイドルであることに誇りを持ち、アイドルであり続けることに真剣に悩み、アイドルであることに喜びを見いだしている。全員が真剣なのだ。地下アイドルみたいに、片手間でいい加減にアイドルをやっているようなのは出てこない。

アイドルのあるべき理想の姿を描いている故に、本来ならそこに存在しているはずの男性ファンは一切出てこない。ラブライブ!という作品内では、ファンは存在してはいけないのだ。何故ならラブライブ!は、アイドルに憧れる女の子達「スクールアイドル」にターゲットを据えた美しい理想郷の物語だからだ。美しい理想郷に、テレビで良く出てくるような現実の男性ファンが出てくると、調和が乱れてしまう。物語を汚してしまう。物語はひたすら彼女たちの頑張りと理想を追い求める、けなげで可愛い姿を映し出すのみだ。

アイドル志望の女性が、時にそのファンの存在を見えない物として扱う、ファンを飽くまで自分達を称賛する為の機械のように見たがるというのも、ラブライブ!のような理想を追い求める物語が原因かも知れない。アイドルは、ファンの為にアイドルをやっているのではなく、アイドルマスターやラブライブ!のように自分たちの追い求めるアイドルという理想の姿(イデア)に近づく為に、アイドルをやっているのだ。つまりアイドルの主役はアイドルなのである。ファンではない。ファンは付随物だ。

上記二つの作品に共通しているのは、女の子の夢を叶える物語、という点だ。主軸はそこにある。幾つかの困難に立ち向かいハッピーエンドを迎えるシンデレラストーリーだ。
そういう意味で、上記二つは、ステージ側に立つ人たちだけの姿を捉えた、180度の世界と言える。

だから現実の男性ファンは出てこない。男性ファンの不在は、作品中には存在させてはいけないものとして作り手側に扱われている。このあたり、軽音部の女子高生の日常をファンタジックに描いた大ヒットアニメ「けいおん」の姿勢にも通じるものがある。女子高生のふわふわした日常生活だけで占められる男子禁制の秘密の花園には、男性キャラは不在でなければならない。

Wake up Girlsは違う。ステージ側だけでなく、観客席側の人物にも焦点を当てた、360度の世界だ。上記二つの作品のように、片方だけが見えない、綺麗事だけで埋め尽くされた物語ではない。360度全部見せる。アイドルオタクの男達の動向もきちんと描かれている。最後にはステージ側で涙する姿も克明に描かれている。インターネットで何度も馬鹿にするようなネタ画像としてアップされているくらい有名なシーンだ。現実を写しだしている。

現実的なのは観客席側だけではない。ステージ側の女の子達も、汚い現実に巻き込まれていく。トップアイドルグループから引退させられた元アイドル、寂れた地方都市の実情、芸能事務所の人格に問題アリまくりの女社長、セクハラ営業、金の話などなど、汚い話ばかりで進んでいく。しかしコレこそが一見華やかに見えるアイドルの世界の現実ではないだろうか。彼女たち7人のアイドルグループ名が、ラブホテルの名前から取られていたという事実からも明白だ。女社長による軽薄極まりないグループ名の付け方からして、アイドル業界がいかに金目当てでいい加減な汚い世界であるかを如実に仄めかしている。

さて、ラストシーンにエンドロールが流れるが、とても古臭い手法に感じられた。ラストの即席ステージでのライブシーンでメインテーマ「タチアガレ!」が流れだし、歌詞の二番が始まると同時に奇をてらったかのようにタイトルが黒に白抜きの文字で表示され、エンドロールが流れる。この流れ、この高揚感、どこかで感じたことあるなと思ったら、1997年に公開されたエヴァンゲリオン劇場版シト新生のラストシーンで、アスカが華々しく覚醒した後に、12体のエヴァシリーズが舞い降りるシーンで高橋洋子が歌う「魂のルフラン」流れだし、メインの歌詞に入る前の叫ぶような歌声の部分で断絶するかのように真っ黒になりエンドロールが流れるシーンと流れが似ている。この作品の作り手、人の感動のさせ方を、よく知っている。故に鼻についてしまう。懐かしくもあるのだが。

全体的な演出に古臭さはあるものの、出てくる女の子達はどれも可愛いので、テレビシリーズの視聴もお薦めしたい。非常に現実的なストーリーが盛り込まれているが、もう一つのアイドル物語として楽しめることだろう。