Mr.ホームズ 名探偵最後の事件 – 日本のシャーロキアンを唸らせる舞台仕掛け

Mr.ホームズ

シャーロック・ホームズのパスティーシュは今まで余り観る気がしなかったのだけれど、ホームズ物としては最新の映画であるし、引退後のホームズを描いているというので、一見の価値ありかなと視聴してみることにした。コナン・ドイルの原作ではあくまで老後の予定としてしか触れられていなかった田舎での暮らしとミツバチの研究がどのように描かれているのか気になったというのが視聴する気になった主な理由だ。

はじめに汽車に乗ったホームズが手元から日本の風呂敷のような柄の布に包まれた木箱を抱えているところから、ふとこの映画は何だろうという言葉にならない違和感を覚えた。家に帰ってからその風呂敷包みをほどくと、日本語で何か書かれた木箱が、その蓋を開けると草を生けてある鉢が出てくる。

その後のシーンでは、なんだか京都の嵐山みたいな少し紅葉した山を背景に汽車が走っているシーンが出てきたかと思ったら、次に京都駅の風景に切り替わる。それだけでもビックリしたが、なんとその次には俳優の真田広之が出てきて、これまたビックリ。

コナン・ドイルの原作では、日本に関する記述はモリアーティ教授と共にライヘンバッハの滝壺に転落して死んだものと思われていたのにその3年後に颯爽とベーカー街221Bに帰還した『空き家の冒険』内で日本のバリツという武術を習得していたおかげで襲いかかってくるモリアーティを滝壺に投げ落として助かったという話と、『高名の依頼人』のラスト、グルーナ男爵邸内でワトスン博士が時間稼ぎのために付け焼き刃で得た中国の陶磁器の知識であれこれと見解を述べて売買交渉を進める中で、聖武天皇と奈良の正倉院の関係について問われ絶句してしまうシーンの二箇所で見受けられる。

“Might I ask you a few questions to test you? I am obliged to tell you, Doctor–if you are indeed a doctor–that the incident becomes more and more suspicious. I would ask you what do you know of the Emperor Shomu and how do you associate him with the Shoso-in near Nara? Dear me, does that puzzle you? Tell me a little about the Northern Wei dynasty and its place in the history of ceramics.”

そもそも日本の武術にバリツと呼ばれるものは存在せず、どこからそのような用語が生み出されたのかは謎で、「武術」の間違えか、「バーティッツ」という護身術の間違えという説がある。

最近では『ミルキィホームズ』という萌え系のアニメや大人気スマホゲームFGOでもこの「バリツ」がセリフや必殺技として使われている。

シャーロック・ホームズの原作と日本の関係は上記に絞られるが、ホームズの老後を描いたパスティーシュでなぜ日本が作品のキーとして登場したのだろうか。日本のシャーロック・ホームズファンが熱狂的だからだろうか。1984年からNHKで放送されたグラナダテレビ版の『シャーロック・ホームズの冒険』も熱狂的ファンを生み出し、一時は東芝がスポンサーに付くという話もあったくらいだという。『ボヘミアの醜聞』から『最後の事件』までの第1シリーズ第2シリーズの初期の作品を収録したビデオは東芝から発売されており、ツタヤのレンタルビデオ店でもそのパッケージをよく見かけた。日本のファンが多いことを意識しての日本起用だろうか。

劇中では山椒が痴呆防止に効くとしてホームズが日本に旅行する事になる。そのきっかけはワトスン博士が記した冒険譚のファンだという日本人男性(真田広之)からのファンレターで、男はホームズを京都に出迎える。はじめは京都だったが、別のシーンでは原爆が投下された広島の街並みが出てくる。シャーロック・ホームズと原爆ドームの取り合わせというだけでなんだか鳥肌が立ってしまう。ホームズと言えばヴィクトリア朝時代の人間のイメージが強いが、齢93歳になってこのような形で現代の日本と接点を持ったという事実にフィクションながらも鳥肌が立つ。

はじめは第一次大戦後の時代かと勘違いしていた。というのもワトスン博士がベーカー街221Bを出て行ったのが第一次大戦時勃発時か大戦後1918年と説明調のセリフがあったので、その頃の時代かと思っていたが、広島で顔が半分焼けただれた微笑みの美少女とすれ違ったり黒い灰燼に帰した広島市街の景色を見てこのシーンはまさか第二次大戦後の広島かとビックリした次第。そこでそもそもホームズが長生きしたとして1947年の広島を見ることが出来るだろうかと考えたが、よくよく振り返ってみれば、シャーロック・ホームズの冒険に収められた話は1889年前後の出来事で、その頃もホームズはまだ20代だったと思い返すと、93歳になったホームズが原爆投下後の広島の原爆ドームを観ることも十分可能だと気づいた。

カフスに名前を書いておかないと忘れてしまうほどの痴呆症に悩まされていたホームズは山椒を食べるが、広島市街の灰燼の中に生えていた山椒は放射能は大丈夫なんだろうかとも心配になった。その辺り原作者がどのような意図を込めているのか気になるところだ。

引退して老齢のホームズは家政婦とその幼い息子に面倒を見て貰っているが、家政婦はどうもホームズを疎ましく思っている。切り裂きジャックの殺人鬼みたいな犯罪者を追ったり、猫を探してくれるよう依頼する婦人達が来たりする事を恐れてのことだった。

劇中で起こる推理自体はどうだろうか。冒頭の汽車の客室シーンで面識のない親子と向かいあって座るホームズ。このシーンだけでシャーロキアンならシドニー・パジェットが描いた有名な挿絵や、その挿絵を100%完璧に再現したジェレミー・ブレットとグラナダTVスタッフの功績が思い浮かび、同時に名推理が聞けそうだと期待するが、観客は面白い肩すかしを食らうことになる。

汽車のシーンでホームズの書かれなかった続編であることに期待を膨らませるものの、その後はドイルの原作とは余り関連性を感じさせないストーリーが続く。例えば現代に舞台を置き換えながらもドイルの正典内の数々のキーワードを細かい所にまで魅惑的な宝石をドレスに縫い込むように鏤めた『シャーロック』(ベネディクト・カンバーバッチ主演)のようにその片鱗でも窺い知ることが出来るかも知れないと期待したが、結局その期待は外れた。

最後に推理を働かせるが、そこまで素晴らしい推理というわけでもない。ミツバチに刺されまくって倒れている家政婦の息子。しかし以前その息子がミツバチに刺された時のことを思い出し、ホームズの脳裏にある1つの疑問が浮かぶ。ミツバチは刺されたら針を残すが、スズメバチは針を残さない。ミツバチに刺されたと思っていた家政婦の息子の体には針が見当たらなかった。スズメバチの巣がどこかにあると当たりをつけたホームズは、忌々しいミツバチの養蜂箱をガソリンで燃やそうとする家政婦を思いとどまらせる。果たして足跡を辿るとスズメバチの巣があった。ぶんぶん飛んでいるスズメバチの巣をホームズと家政婦がガソリンをかけて燃やすのだが、防護服も着けずに大丈夫だろうかとまた広島の灰燼の中から山椒を見つけたシーンと同様に心配になった。しかしここで冒頭の客室のシーンと朧気に繫がっていることに気づかされる。スズメバチの話が出てきたことを思い出す。

劇中に真田広之が出てきたこと、第二次大戦後の広島の原爆ドームをシャーロック・ホームズが訪れていたこと(あくまでパスティーシュとして)、とビックリすることがたくさん詰まっている映画だった。

どこかしら介護が必要なまでに老いさらばえた老人の悲哀が感じられる映画でもあった。推理物がテーマの映画というよりも、そちらの方がしっくりと来る。谷崎潤一郎の『細雪』のように、老いてから観るのも一考かも知れない。

作品の内容は別として、ただただSherlock Holmesという発音が聴けることだけでもシャーロキアンとしては感極まりない映画だった。