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ハッピーエンド – フランス難民問題と日本の女子高生が起こした事件に触発された現代最先端の風刺劇

ハッピーエンド

この映画を見終わったときに、これは一体何がテーマの映画だったのだろうという疑問がまず初めに頭に浮かんだ。別にテーマなんて気にせず見たまま感じたままでも良いのだが、どうも不明な点があり引っかかったのだ。なぜ唐突に黒人が出てくるのか、そして映画の中で何かしら微妙な空気が流れるのか。パンフレットをめくってみると、あのミヒャエル・ハネケ監督が「再び描く愛と死」というようなタイトルの記事が飛び込んでくる。更にもう少しページをめくると、監督のインタビューが載っていて、難民の問題も取り上げたとある。

実際に映画に出てくるのはアフリカからの移民のようにも見える。フランスの旧植民地から本国にやって来た移民の子供はフランスの国籍を与えられるという。基本的人権も保障されているが、実際には同じパリの中でも、中産階級と移民層の区分けが出来ていて、スラムが形成されており差別の温床にもなっているらしい。

今から14年ほど前に、パリで大規模な暴動が起きた。アフリカ系移民の若者達に対する警官の対応が裏目に出たことがきっかけで暴動へと発展したが、当時のサルコジ大統領が暴動に参加した移民の若者達を「社会のクズ共」呼ばわりしたことをきっかけに暴徒の怒りに拍車がかかり、暴動はフランス各地に飛び火した。サルコジ大統領もユダヤ系のハンガリー移民2世だが、エリート層と貧困層との社会の溝が浮き彫りになった形だ。

2005年パリ郊外暴動事件(wikipedia)

2015年にはヨーロッパ大陸において難民問題が取り沙汰されたのは日本でも記憶に新しい。この映画はフランスの港町カレーを舞台にしているが、難民の流入先となっているが故に難民問題で揺れている地域でもある。2016年にはカレーにある難民キャンプの解体が欧州で取り沙汰された。

2015年欧州難民危機(wikipedia)

このようなバックボーンを知っておかないと、この映画を観ても一体何が起こっているのか、何が問題となっているのか分かりづらい。もし日本でこの映画と似たような社会の隔絶と分断をテーマに描かれた作品を観れば、日本に住んでいて、日々の生活の中で時代の大局的な空気やそれに絡みとられる個々人の人間関係を肌で感じているから、朧気ながら役者達が何を表現しようとしているのかが理解できる。例えば「愛の渦」や「夜空はいつでも最高密度の青色だ」のような作品に、若者や貧困層の抱いている行き場のない不満や無力感、絶望感、得体の知れない社会というものに対する憎悪を役者達の演技から垣間見ることが出来る。

奇しくも2018年の終盤に、再びパリで暴動が発生した。今回は貧困層に限らずパリの市民が、燃料税増税に不満を抱いて暴動を起こした。さすがフランス革命が起こったパリ、バスティーユの牢獄への攻撃も、兵隊が攻撃を仕掛けてくるという噂がきっかけの偶発的なものだったらしいが、パリの民衆は元気だ。フランスでは様々な社会福祉政策がカットされており、その燻っていた不満が燃料税増税で一気に爆発したとも言われている。

2年ほど前に『わたしは、ダニエル・ブレイク』という映画が上映された。この作品はバックボーンを知らなくても共感できる。なぜなら世界的に共通する官僚主義社会に翻弄される実直勤勉な年金受給年齢開始間際の失業者を扱った映画であり、雇用保険制度を採用している国ならば、別に個々の国の細かな事情は知らなくとも、非人間的で煩雑な手続きに直面した人間の感じることは共通しているから、事情は知らなくても制度は知っているという状態が理解と共感を促す。しかしこの映画は、個々の社会情勢を知らなければ、或るシーンなどでは理解が遠のくことになる。

日本は実質的には単一民族国家の島国なので、移民問題とは縁遠いし、難民の受け入れに対しても厳しい姿勢で臨んでいることが度々ニュースにもなっている。故にこの映画の一部で扱われている難民問題を含ませたと思われるシーンは理解しづらい。しかし日本政府が移民受け入れ政策を決定したので、フランスの問題は未来の日本の問題になる可能性も秘めている。この映画に描かれているようなシーンが近い将来日本でも再現されるかも知れない。

旧植民地国からの移民問題、そして第三世界からの難民問題は、個別としてはかつてのフランスの植民地政策、全体としては19世紀から20世紀中頃にかけてのヨーロッパを頂点とした帝国主義政策のツケが現代になって回ってきたと批判的に扱われることもあるが、この点に関しては日本も最近韓国徴用工の賠償請求問題や韓国海軍による自衛隊へのレーザー照射問題で揺れているので他人事ではない。

BGMが一切流れない日常そのものの映像

映画に話を戻そう。この映画、BGMが一切流れてこない(エンドロールでも流れなかった記憶がある)。つまり日常そのものの景色をビデオで回しているかのような感覚になる。もちろん家庭用ビデオではなく、映画用のカメラで撮っているから映像はしっかりしている。しかし冒頭は確かスマートフォンの映像で始まった記憶がある。パンフレットもスマートフォンをあしらったデザインとなっており、スマホ文化普及による現代人達の赤裸々な営みを風刺的に映画に取り込んでいる。2000年前後のインターネットの爆発的な普及により我々現代人の生活様式はそれ以前のものから一変したが、スマートフォンの普及はその様式の変化により拍車をかけた。一例としてツイッターやLINEなどのアプリで簡単に他人とコミュニケーションが取れるようになった。2000年前後にはそれこそメールやチャット、ICQなどのアプリがあったが、時間がテレホーダイなどの深夜に限られていたし、それらを使って文字で会話するにはパソコンの電源を入れなければならなかったから、今のやりとりよりもレスポンスが遅く何より面倒だった。それにやりとりは文字と顔文字に限られていた。今は常に手元にスマホがある。相手から何か連絡が来ればすぐに確認することが出来る。写真を簡単に載せることが出来るし、スタンプを使えばありとあらゆる感情を表現することが出来る。漫才すら出来そうだ。コミュニケーションの加速度は爆発的に上昇した。

日本の女子高生が起こしたタリウムによる母親毒殺事件が映画のモチーフに

スマートフォンで誰かと文字で会話をする少女エヴ(ファンティーヌ・アルドゥアン)は、少女への愚痴が五月蠅い母に毒を盛ったと告白する。実はこのシーン、日本で起きた女子高生母親毒殺事件の報道をハネケ監督が新聞で読んで着想を得たという。エヴの着ているTシャツに『I ♥ JAPAN』とプリントされているのも何とも示唆的だ。Tシャツの柄から、この少女自体がテレビのニュースで遠い日本の地で起きた女子高生による事件を見て影響を受け、女子高生に憧れて犯行を真似た事を示唆しているようにも見える。秘めた意志をTシャツを着ることで表にしているような趣がある。

母親が入院したことで少女エヴは離婚した父の元に預けられるが、その父は見知らぬ女性とインターネットで性的なメールを交わしている。

映画の底流にあるフランスの難民・移民問題

別のシーンでは監視カメラのような映像が出てきて、工事現場が大きな地滑りを起こし作業員が重傷を負う。そこで働いていた労働者の住む団地に、建設会社の女社長アンヌ(イザベル・ユペール)の息子ピエールが謝罪するため車で乗り付けて会いに行くが、労働者の息子に激しく暴行される。なかなかに衝撃的なシーンだが、これも中産階級と労働者階級との超えがたい隔たりを表しているように見える。

ショックを受け仕事から逃げ回る息子。アンヌは息子を諭すが全く応じない。

既に建設業を引退していたジョルジュ(ジャン・ルイ=トランティニャン)は妻に先立たれ自殺願望に取り憑かれていた。訪問理髪師やストリートの移民達に幇助を頼むが、彼らは全く取り合わない。最愛の妻に先立たれた老人は自殺願望が強いのだろうか、ちょうどこの映画を観に行った頃に、保守論客で朝まで生テレビのレギュラーだった西部邁が入水自殺したというニュースが飛び込んできて衝撃を受けた。2000年頃にも戦後を代表する文芸評論家の江藤淳が自殺したというニュース速報のテロップが深夜零時から一時頃にNHKで流れたのを思い出したが、彼もまた最愛の妻に先立たれた人だった。

父が愛人と結婚することを知ったエヴは施設に戻らなければならないことに嫌気がさし自殺を試みるが一命を取り留める。祖父ジョルジュはエヴに自殺の理由を打ち明けさせようとするが話そうとしない。そこで二人して秘密を共有することになる。

アンヌとイギリス人弁護士のローレンス(トビー・ジョーンズ)との婚約パーティで、突如ピエールがアフリカ系移民達を連れて現れ出席者の度肝を抜き戸惑いが広がる。移民達の席を用意している間、エヴはジョルジュと会場を抜け出し海へと向かう。

女社長アンヌに「アスファルト」「エル」のイザベル・ユペール、イギリス人弁護士に「SHERLOCK」「ミスト」「裏切りのサーカス」のトビー・ジョーンズ。彼は芸能一家でも知られており、父は同じく性格俳優のフレディ・ジョーンズ。シャーロキアンの日本人なら、1980年代から90年代にかけてNHKで放送されていたグラナダテレビ制作『シャーロック・ホームズの冒険』で才気溢れるベインズ警部や怪しい魔除けの行商人役で出演していたと言えば通じるだろう。

85歳の祖父ジョルジュ役のジャン・ルイ=トランティニャンは映画は知らなくても音楽は恐らく誰もが一度は聞いたことがある(ダバダバダ♪)『男と女』で一世を風靡した俳優。2年ほど前にデジタルリマスター版『男と女』がリバイバル上映されていたので当時は同じ俳優を同じ時期にスクリーンで観たことになるが、やはり年を取ると面影がガラリと変わる。先日美容院でチョイ悪親父向けファッション雑誌の『LEON』をめくっていたら、ボンド俳優のピアーズ・ブロズナンを起用した広告写真が載っていたが、顔には細かい皺が多く刻まれて老け込んでおり、こんなにおじいさんだったっけと驚いてしまった。検索してみると御年65歳。どうも自分の中の時間の流れは、インターネットが広く普及した2000年前後頃からストップしてしまっているんじゃないかと最近つとに感じる出来事が多い。インターネットが家に来てから今年で20年だ。