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メアリーの総て – 男に翻弄され続ける女の情念が生み出したフランケンシュタインという怪物

メアリーの総て

年末にスマホゲームのFGOをダウンロードして、すっかりハマってしまった。ゲームの第3章が19世紀末の大英帝国を舞台にしており、サーヴァントのシェイクスピアとアンデルセン、ハイドとの会話で唐突にフランケンシュタインの生みの親であるメアリー・シェリーの名前が出てきた。ふとこの女性作家が小説『フランケンシュタイン 或いは現代のプロメテウス』を執筆するまでの過程を描いた映画が公開中だったことを思い出し、調べてみるとレイトショーでしかやっていない。しかし都合の良いことに、初日の出を見るために徹夜してから昼夜逆転の生活でさっぱり目が冴えている時間帯だったので勤め人らが帰宅する電車に逆行するように乗って、三宮の映画館で鑑賞することにした。

ポスターや予告編などを見ると、墓場に寄り添って本を読んでいるうら若き女性の姿が描かれているので、ホラー映画のようにおどろおどろしいシーンが随所に鏤められているのかと思ったら、全く予想していた世界とは異なり、詩的で美しい情景が次々と出てくる恋愛映画だった。

あらすじ

メアリー・シェリーは無神論者で文筆家の父ウィリアム・ゴドウィンと、『女性の権利の擁護(A Vindecation of the lights of woman)』を著したフェミニズムの先駆者であるメアリー・ウルストンクラフトの間に生まれた。母メアリは娘を産んだときに産褥熱で死去。娘メアリーは父の手で育てられるが、母の眠る墓碑の文字をなぞって文字を教えらたことで、墓地が秘密の安らぎの場所となっていた。

再婚相手であるクレアモント夫人との衝突が絶えないことを心配した父は、メアリーをスコットランドに住む友人バクスターに託すが、彼の地の読書会に出席した折に新進気鋭の詩人パーシー・シェリーと知り合い、彼の紡ぐ言葉の魅力に取り憑かれ恋仲になる。時にメアリー16歳だった。しかしそんな夢のような時間もつかの間、クレアモント夫人の娘で同い年のクレアの死を聞いてロンドンに舞い戻ることになる。だがこれはクレアの寂しさからの狂言だった。悶々と日常生活を送るなか、パーシーが父ウィリアムへの弟子入りを口実にロンドンにやって来て再会することになる。またしても恋が再燃するも、シェリーには既に駆け落ちした妻と幼い子供がいた事が発覚。道端でパーシーの妻に話しかけられたメアリーはその話を聞いてショックを受けるも、説得されてシェリーとの関係を続けていく。

父の反対を押し切って駆け落ちするシェリーとメアリー、ふたりに付き添っていくクレアだったが、収入は途絶え窮することになる。そこへ臨時収入が生じ、貴族の邸宅に引っ越すことになり、召使いを雇って豪奢な生活を送るようになる。

ある日、電気で蛙を蘇生させるというショーにやって来た三人は、浪漫派の詩人として名を馳せていたバイロン卿と鉢合わせする。この出会いがきっかけでクレアはバイロンの愛人となる。

やがてパーシーとメアリーの間に子供が生まれるも、抵当に入れていた父の邸宅が流れて再び金が底を突き、雨のなか夜逃げ同然で邸宅を後にする。この時の雨が原因で赤ん坊が死んでしまう。

悲嘆に暮れているところへ、クレアがバイロンの子を身籠もった事を打ち明ける。レマン湖の畔にあるバイロンの別荘に招待された三人はすがるようにスイスへと向かう。

ディオダディ荘でバイロンや医師のジョン・ポリドリらと奔放に芸術論に耽溺している中で、バイロンが皆で怪奇小説を書いて競い合おうと言い出す。清書役を頼まれたクレアは執筆競技から外されたことに憤慨するが、バイロンから君は恋人ではなく遊びの関係だと打ち明けられる。ショックを受けたクレアは雨のなか屋敷を飛び出して森へと駆け、メアリーが後を追い寝間着を泥だらけにしながら慰めたのだった。

パーシーの妻がテムズ川に身を投げたことを知り、二人はロンドンに戻ることに決める。メアリーはこれまでの出来事を筆と紙に託すように小説を執筆し始める。パーシーはその内容を絶賛するが、希望や幸福がないとダメ出しする。しかしメアリーは或る信念からその点に関して一歩も譲らなかった。

原稿を本にするため出版社に掛け合うも、ショッキングなストーリーに加え女性であることが障壁となり取り合ってくれる出版社が現れない。中には夫のパーシーが書いたのではないかと疑う編集者までいた。

ようやく出版元を見つけ、初版500部を匿名で出すことになる。出版祝いのパーティは父ウィリアムが開いてくれた。長らくメアリーの前から姿を消していたパーシーは、この著者がメアリーであることを打ち明ける。メアリーは再びパーシーと夫婦生活を始めるのだった。

女性の地位が低い時代の恋愛模様

時代は17世紀初頭、大陸ではフランス革命の余波が吹き荒れていたが、お隣の島国イギリスでは産業革命が緩やかに進行していた。旧来の価値観が大きく覆された激動の時代にメアリーの父ウィリアムは無神論者として、母は女権拡張論者として活動している。二人の間に生まれたメアリーもまた自由恋愛論者で奔放な性格でもあった。

本作にはロマン派の詩人シェリーやバイロンが出てくる。シェリーはバイロンを崇拝しており、バイロンは後にギリシア独立戦争に参加することでも有名だ。シェリーは30歳を待たずしてヨットの事故で命を落とし、バイロンもまた戦場で熱病にかかり死ぬことになる。

『フランケンシュタイン』の作者でパーシー・シェリーの妻でもあるこの映画の主人公メアリーは、史実では5人の子供を産むが4人が夭折している。この時代はまだ新生児や子供の死亡率が高かったのだろうか。シェリーの異母姉であるクレアもまたバイロンとの間に身籠もった子供を早くに亡くしている。

メアリー・シェリーが主人公ではあるが、現在世界中に広く流布している吸血鬼のイメージを確立したジョン・ポリドリも出てきたりして、彼らを交え後に「ディオダディ荘の怪奇談義」と呼ばれる小説執筆の競技をきっかけに、フランケンシュタインや吸血鬼が生み出されたという挿話が挟まれていて懐の深い映画だった。映画の中では吸血鬼もフランケンシュタインも、奔放なバイロン卿の言動に触発され生まれたことになっている。てっきりフランケンシュタインの生み出された経緯1本に絞った映画だと観る前は予想していたから、良い意味で肩すかしを食らった気分だ。普通の恋愛映画のように見える。

しかし普通と言うのとは違う。当時の男性に翻弄された報われない女性達がたくさん出てくる。メアリーはパーシーに駆け落ちした妻子があることを知るし、あの男は女と取っ替え引っ替え寝る色情狂だと身内から揶揄されるし、異母姉である同い年のクレアもバイロン卿に遊ばれた後はあっさりと捨てられる(子供の養育費は払って貰っていたが10歳で夭折する)。パーシーに捨てられた妻は薄汚れたテムズ川に身投げして自殺するなど、まるでレ・ミゼラブルのファンティーヌの悲惨さを地で行くような出来事が立て続けに描かれている。本編でもラストの方でメアリーをして「misery」「みじめ」というフレーズを言わしめていた。

監督はサウジアラビアの女性

監督はサウジアラビアの女性、ハイファ・アル=マンスール。サウジアラビアと言えば昨年女性の自動車の運転が許可された国として報道され話題を呼んだが、この記事を書いている時点でもYahoo!のトップページを見ると、「タイ空港でサウジ女性拘束」というニュースの見出しが上がっており、夫からの命に関わる暴力的な脅威から逃れようとした末に起きた事件で、こういった男尊女卑的な話題はアラブやインドの国がニュースになる際に良く聞く話だ。これらの度々報道される海外ニュースから、アラブの国は男性優位で、女性の人権が虐げられているというイメージがある。

そのアラブの国の女性が、同じく女性の地位が低かった時代のイギリス人女性作家の恋愛と苦闘を描いた映画を監督するというのは、なんとも絶妙な取り合わせだ。女性の地位が低いアラブの国で生きてきた自身の体験が、19世紀初頭の英国人女性が置かれていた地位やそれに伴う悲喜こもごもとした恋愛・出版事情などを描く際に情念を発揮したことで、時代を超えた普遍的な作品に仕上がっているのではないか。

フランケンシュタインは映画やアニメで知っている程度で、原作は読んだことはないが、これまで抱いていた単なる怪奇小説というイメージとは異なり、恋愛に翻弄される女性達の悲哀が下敷きとなって深く読者の心に突き刺さるのだという事をこの映画を通じて知ることが出来た。

バイロン卿のエキセントリックな演技にも注目!

蛙を蘇生させる電気ショーの劇場でロマン派詩人バイロン卿が登場するが、漫画ワンピースに出てきそうなモサモサのコートを羽織っていてまるでラスボスのような出で立ち。よく言えば白面の貴公子と言ったところ。後のシーンでも芸術家らしい奇行を見事に演じていた。

肖像画を見ると確かに本物のバイロンと似ている。メアリーやシェリーの肖像画も似通っている。メアリーの肖像はフランケンシュタインを世に生み出した作者とは見えないくらい驚くほど美しいが、本編でメアリーを演じているエル・ファニングも美しい顔立ちだった。シェリーを演じているダグラス・ブース、中盤になると少し軽い男になってきてどことなくイケメンにした劇団ひとりに見えてしまい腹から笑いがこみ上げてくるのを抑えていた。バイロンを演じるトム・スターリッジはどことなく若い頃の武田真治の趣がある。NHKの筋肉体操や紅白で自由奔放にやらかしていた筋骨隆々の武田真治ではなく、20年くらい前の武田真治。

映像の質感としては、コントラストが強めでやや冷たい色合いだった。19世紀の古い街並みが続く歴史あるロンドンといった感じだ。

そういえばエンドロールに、この映画では動物を虐待するような撮影はしていませんという断り書きが最後の方に流れてきた。これは一体どういうわけか。そもそも動物は出てきただろうか。何か問題になっているのか動物保護団体が動いているのか。

FGOをプレイしていると、歴史的な話題が次から次へと出てくるので、それら関連のある文学や映画を貪り尽くしたくなる。正月1発目に鑑賞した映画はなかなかに奥が深かった。