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グランドフィナーレ – 退屈なサナトリウム映画

グランドフィナーレ

大仰なタイトルだ。原題はYOUTH。若さ。映画のラストシーンで、飾り気のない今風のシンプルな書体でタイトルが浮かんでくる。

どこかのオペラハウスだろうか、幻想的な光の灯る荘厳な建物がパノラマで広がる映画のポスターを目にすると、グランドフィナーレというタイトルの醸す雰囲気と相まって、壮大な映画の様に見えてくる。

だが実際には、主人公は引退した巨匠の指揮者の老人で、スイスかどこかの高原のサナトリウム付き高級リゾートホテルでの生活が淡々と進んで行くのみ。子供向けテレビ番組の俳優、引退したサッカー選手、伝説のヒップホップ歌手、映画監督、サナトリウムに集った様々な人たちとの会話が淡々と流れていく。

サナトリウムを舞台にして論戦が繰り広げられるトーマス・マンの教養小説「魔の山」が下敷きであることが薄々感じ取れる設定だ。20世紀前期に執筆された一大教養小説は、21世紀になっても様々な作品に影響を与えているのだなと気づかされる。宮崎駿監督の「風立ちぬ」もそうだった。

○○監督の映像美、という風なキャッチコピーもあったが、寡聞にして監督の名前を知らない。しかし映像美と褒め称えられる程素晴らしい映画かというと、何だか肩すかしを食らった気分だ。これならゲイリー・オールドマン主演の「裏切りのサーカス」や、ジェフェリー・ラッシュ主演の「顔のない鑑定士」の方が映像美を堪能できる。

本作は、英国女王から記念式典のオーケストラの指揮を頼まれるが、レパートリーが合わずに断るという実話に基づいているという。作品内では痴呆症となってしまった妻の為に書いた曲だからという設定になっている。

件の曲が「シンプル・ソング」というタイトルなのだが、この時点で何だか着想が安っぽくて興醒めしてしまった。全体を通して総じて退屈。老人の為の映画だろうか。監督はまだ40代後半みたいだが、谷崎潤一郎の「細雪」のように50を過ぎてから味が分かるようになる映画なのかも知れない。

ラストシーンでは、女王の依頼を受けて記念式典でシンプルソングの指揮を司るのだが、肝心の主役の巨匠よりも、ソプラノ歌手がやたらスクリーンに出しゃばってきて、ステージも何だか狭いし、何というか、これ何の映画だっけ誰が主役だっけと頭の中で疑問符ばかりがつく納得できない終わり方だった。

タイトルとポスターに釣られて、豪勢な音楽と映像美で描かれる映画と錯覚してこの映画を選んだのだから、宣伝は成功しているのだろうが、どうも監督が本意とするところとは別の所でプロモーションが動いていて、観客に肩すかしを食らわせたというのが実感だ。

この日は平日で席がガラガラだったのだが、後から入ってきた男の観客が隣に座ってきて、上映中絶えることなく顔や首をわざとらしく音を立ててボリボリボリボリ掻いたり、後頭部を座席に打ち付けたり、痒いのか床を足でパンパン鳴らしたり、或るシーンでは世を拗ねた笑い声を立てたりと、迷惑行為のせいで映画に集中できなかったことも、映画の印象に影響を与えたのかも知れない。幸いにして株主優待券での鑑賞で、実質無料みたいなものだったので(実際には30万円を東京テアトルに注ぎ込んで年間12回分の無料鑑賞券を貰っているのだけれど)、迷惑客が隣に居合わせたら、これはもう運が悪かったと思って諦めるしかない。