ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー – 世界的ロングセラー『ライ麦畑で捕まえて』の誕生秘話

ライ麦畑の反逆児

サリンジャーの小説『ライ麦畑で捕まえて』はずいぶん以前に野崎孝訳で読んだ記憶があるが、どのような内容だったか覚えていないほどにスルスルと読めて心地よい読書体験だった。当時は大江健三郎や三島由紀夫などやや小難しい表現をする作家を好んで読んでいたから、野口孝訳の喋り言葉の文体に親しみやすさと心地よさを覚えたのだろう。

映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』は、長年に渡り全世界でロングセラーとなっている『ライ麦畑で捕まえて』の誕生秘話を描いている。原題は「Rebel in the Rye」。「Catcher in the Rye」とかけているが、日本向けの洋画タイトルでありながら珍しくほぼ直訳となっている。余計な副題が付いてはいるが。

先日、映画関係者が洋画のタイトルの日本語訳が全く違っていたりダサいことに関して、映画ファンに対しプロモーションの面から理解を求める内容のインタビュー記事がWebマガジンに掲載され、ツイッターで物議を醸した。

「ダサい邦題」「タレントでPR」、熱心な映画ファンが“無視”される事情

例えばゲイリー・オールドマン主演の『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』の原題は「Darkest Hour」だが、これをこのまま直訳すると「最も暗い時(もしくは時代)」となり何の映画か分かりづらい。キャッチャーなタイトルにならないから客が興味も持たないし、興味を持ってくれなければ観客が入らないというような話だった。原題をそのままカタカナ英語にしたところで、総ての日本人に英語の素養があるわけでもないからこれもまた分かりづらい。他はキャンペーンで映画と関係のない芸能人を雇ってテレビに報道させるという宣伝方法が映画ファンから批判されがちだが、これも宣伝効果が結構あるので止められないということだった。映画の興行は、観客が入らなければ成り立たない事を痛感させられる。

同じ時期に、そのような映画関係者のプロモーション第一主義のインタビューに批判を含ませたように、男同士のひと夏の恋模様を描いた洋画『君の名前で僕を呼んで』のタイトルが『Call Me By Your Name』という原題の直訳で素晴らしいというツイートが話題になった。

しかし洋画の原題を直訳して上手くいく上記のような例は極めて希なのではないか。例えば大ヒットした『アナと雪の女王』の原題は『Frozen』だ。これをそのままカタカナ英語にしたら、日本人は冷蔵庫かヨーグルトの商品名を連想してしまう。また『グランドフィナーレ』の原題は『Youth』だが、おそらくカタカナ英語のユースをタイトルにしたら観客は興味を持たないのではないか。ユースと聞いて、真っ先に思い浮かぶのがユースホステルかもしれない。日本語に直訳すると「若さ」「青春」。主演は老指揮者なのにワケが分からない。ここからいったい何が連想されるだろうかと疑問符が付く。エンドロールが流れる直前にYOUTHという白字のタイトルが出てきて映画の最後を締めくくりその意味を朧気ながらに掴めるのだが、観る前に果たして意味を掴めるかどうか。グランドフィナーレの方が豪華な響きがしてキャッチャーで、人生の最良な幕の閉じ方を模索し始めている年配者を集客できそうなイメージがある。ゲイリー・オールドマン主演のスパイ映画『裏切りのサーカス』の原題は、ジョン・ル・カレ原作と同じ『Tinker Tailor Soldier Spy』。日本語に直訳すると、「鋳掛屋、仕立屋、兵士、スパイ」、カタカナ英語なら「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」となるが、やはり邦題の方が格好いい。

一方で素晴らしい洋画のタイトルの日本語訳が、あまりにも観客におもねって分かりやすく改変された結果、ダサいと感じるような付け方を目の当たりにするのもまた事実である。昔の洋画の日本語訳はずいぶん詩的に巧いことつけていた様な記憶がある。

さて、Catcher in the Ryeの日本語タイトルはちょくちょく話題になっていて、これをそのまま訳すと、「ライ麦畑の捕手」となる話は誰かの本(『翻訳夜話』?)で笑い話のように語られていた。これを「ライ麦畑で捕まえて」と訳した翻訳者は実に手際が良い。

あらすじと感想

映画の前半では、作家志望のジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(通称ジェリー)が、大学の創作科で文芸雑誌「ストーリー」編集長でもあるウィット・バーネット教授に師事しながら小説を書いては出版社に送り、何度も不採用通知を受け取りつつも執筆を諦めない姿が描かれる。ユダヤ人で一文無しからベーコン王へと登り詰めた父ソロモンは息子ジェリーが挫折するのを心配して小説家志望に反対しまともな職に就くよう諭すが、母ミリアムは良き理解者で大学の費用を出すようソロモンに念を押す。この父親が叩き上げながらも実に穏やかな顔をしていて性格も優しく息子のサリンジャーを気遣っているのが終始垣間見えた。後にはミリアムは正しかった、ベストセラーになってこの騒動だから本の表紙に顔写真を載せるのは止めた方がいいと助言したり、自分の若い頃はピアニストになりたかったが反対されて実業を始めたと吐露したりするなど、父もまた母と同じく息子の良き理解者だった。

未来のヘミングウェイやフィッツジェラルドの原稿を読めることを楽しみにしている大学教授ウィット・バーネットは(トルーマン・カポーティやチャールズ・ブコウスキーなども世に送り出した名編集長)、反抗的なサリンジャーや他の教え子達に創作のスキルやテクニック、そして誰にも読まれなかったとしても書き続けるだけの意志があるか?という哲学を叩き込んでいく。「じゃあ次回までに自分の物語を書け、でなけりゃマスでも掻いとけ」「Write your story or your masturbate(or tion)」と講師が言い放ち一同が笑うシーンがあったが、アメリカでも書くと掻くを掛け合わせて表現できるのだろうか。創作に打ち込む一方で恋人と交際するも、生返事やすれ違いでうまく行かない日々が続く。

ヨーロッパでは既に戦争が始まっていたが、1941年の日本軍による真珠湾攻撃によりアメリカも参戦を余儀なくされる。また戦争勃発によりニューヨーカーに掲載される予定だった小説は時局に合わないと見送られることになる。ジェリーもまた徴兵されヨーロッパ戦線に送られることになるのだった。母ミリアムは息子を思う気持ちから寝る時は欠かさず靴下を履くようジェリーに渡すが、母親の子供扱いするような気遣いに青年らしい気恥ずかしさを覚える。

英国に派兵されたジェリーだったが、本国に残してきた恋人が、父親ほども年の差がある喜劇王チャールズ・チャップリンと結婚したと新聞の一面で知ってショックを受ける。キャンプで囃し立てられ面目丸つぶれとなるが、史上最大の反攻作戦となるノルマンディ上陸の日が迫っていた。侵攻の時は夕飯がステーキになるとキャンプ内で言われていたが、食堂に行くと皆が沈痛な面持ちでステーキを食べている姿を目にして、実戦が近いことを悟る。

D-dayは無事生き延びたものの、ヨーロッパ戦線では仲間達が銃弾などに当たり次々と悲惨な死に遭遇する。冬の寒い塹壕の中で凍えるジェリーに対し仲間が「お前の母親が大切にくれた靴下だろう」とジェリーに渡して優しくコートを掛け暖を取らせる。その間もサリンジャーの口からは物語の声が漏れるのだった。その後、自分に暖を取らせた仲間が雪の中で凍死してしまう。強制収容所を開放した時には、骸骨のように痩せほそろえた顔で手を伸ばして食べ物を乞う大勢のユダヤ人を目の辺りにする。それら戦争の出来事にショックを受けたジェリーは戦争が終わる頃には精神を病み、茫然自失とした呈で病院でPTSDの治療を受けることになる。手は震え小説を書くことが出来ないまでに弱っていた。やがて健康を取り戻して帰国したサリンジャーだったが、その後ステーキを前にして食べられなくなったり、取材カメラのストロボの閃光を浴びて戦争の悲惨な光景がフラッシュバックで蘇るなど、事ある毎に苦しめられることになる。

或るパーティで出会った女性はブロンドの美女でまるで映画女優のような顔立ちで(実際女優なのだが)、ライ麦畑を読んでも何とも思わなかったとあけすけに感想を述べるが、そんな性格の彼女をジェリーは気に入り交際を始める。プライドが高そうで鼻持ちならない顔立ちではあるが、実際に交際を始めて見るととても性格のよさげな女性に見えてくる。やがてその女クレア・ダグラスと結婚し、子供をもうけることになる。

一方でウィット・バーネットが編集している雑誌「ストーリー」に自分の作品が載るはずだったが、出版社が経営難の為に約束を反故にされる。怒ったジェリーはウィットとは金輪際会わないと言い放ち店を後にする。

夜の町を徘徊中に路上強盗に襲われて傷だらけになったジェリーは、楽しそうな家族連れで賑わう遊園地のメリーゴーランドを暗い面持ちで眺めたあと、ふらりと公園に出向く。そこで東洋思想の禅に勤しんでいるサークルと出会い、紹介された寺院でインドの僧と邂逅して禅やヨガにのめり込む。執筆意欲が湧いてきたジェリーはタイプライターの前に座り小説を書き始める。再びメリーゴーランドの前に立った時、その光景は輝いて見えた。

その後短編小説「バナナフィッシュにうってつけの日」が日の目を見て小説家として成功を収めたジェリーだったが、戦前に描いた短編小説のホールデンを主人公にした『ライ麦畑で捕まえて』の長編を出版社の人間に見せると、幹部達から作家の面が出過ぎている、数年寝かした方が良いなどと助言される。ところが出版にこぎ着けてみると絶賛だらけ。本を出版するに当たって、宣伝部門が用意したハンチング帽を被った後ろ姿の主人公の然もありなんなポスターに、ジェリーはこれは自分のホールデンのイメージとは違うとノーを突きつけるが、それなら売れない、自分で刷って少人数に渡せば良いと反論される。自分で100部パンフレットを刷って渡すとジェリーも譲らない。これなどは先日物議を醸した洋画の邦題の付け方に対する映画ファンの批判の関係にも似ている。

一方でウィット・バーネットは歯痒い思いで『ライ麦畑で捕まえて』の大成功を見守っていた。自分が以前ジェリーにホールデンの話を長編にするよう助言したのがきっかけで生まれた小説でもあったからだが、どこにも自分の名前が載っていなかった。金策にも行き詰まり絶交状態にあったウィットはジェリーに電話で作品集の序文を書いてくれるように頼む。この頃ジェリーの方は「ライ麦畑で捕まえて」の騒動で、自分のことをなぜこんなに知っているのかという熱狂的なファンに追いかけ回され、すっかり気が滅入って山奥に一軒家を購入して妻と子供達とで静かに生活していた。ある日家にやって来た高校生達の中の女の子からインタビューしたいと請われるが、普通の新聞ではなく学校新聞ならまあいいだろうと言って応じる。しかし実際には大新聞に自分のインタビューが載ったことを知り、子供すら自分を欺すと激怒する。人嫌いが激しくなり遂には家の周りに人避けの塀を打ち立てるのだった。

意外なことに序文を書くことを快諾し、二人は久しぶりに会うことになる。あの時の作品集に載せる際の25ドルが一番の原稿料の払いだったと自負するウィットは、ジェリーの書いてくれた序文がウィットに対する謝意に終始していて載せられないと打ち明ける。

やがてジェリーは小説を書くことを止める。カーク・ダグラスを主演に据えた映画化の話も、ホールデンは自分しか演じられるのはいないが、自分が演じるには年を取り過ぎていると言って断る。これらの行為がジェリーを伝説化する。一方でタイム誌の表紙になったジェリーに父は静かな喜びを覚える。やがて妻とも離婚。亡くなったのは2010年。つい数年前のことだ。

果たしてジェリーは、誰にも読まれない小説を書いたのだろうか。物語はジェリーの中にありつづけたのかも知れない。応えのない余韻を残しながら映画は幕を閉じる。

多大な社会的影響を与え続けたサリンジャーの『ライ麦畑で捕まえて』

サリンジャーの小説「ライ麦畑で捕まえて」の信奉者が二人ばかり出てくるが、どれも赤い帽子を被っている小太りまたは痩せている腺病質な顔立ちだった。日本的に喩えればアニメオタクっぽい若者だ。木陰に赤いスカーフを被っている女を見て逃げだそうとしたジェリーが当の本人に呼び止められ、恋人のクレアだったというシーンもある。また史実として、ジョン・レノンを射殺した犯人やレーガン元大統領を襲撃した暗殺未遂犯も、サリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」を直前まで読んでいたり、熱心な読者だったりした。出版当時はホールデンの言葉遣いや態度が悪影響という事でカリフォルニア州の学校の図書室から彼の本が放擲されたという。果たしてこの小説にそれほどの多大な影響力、人を熱狂させたり狂気に陥らせたりする程の人気があるのはなぜなのか、読んだ当時はサッパリ分からなかったが、村上春樹による新訳が出ていた事を思い出し、映画を観た帰りにジュンク堂に寄って買ってきた。パパッと読んで感想があればまた別の項で書き記しておきたい。