私は、ダニエル・ブレイク 全世界で共感を呼ぶ映画

私は、ダニエル・ブレイク

映画というのは宣伝を見ないことにはその映画がどのような映画なのかわかりようがないし出会いもない。映画が始まる前の予告編をいくつか見て、その中から見たい映画があったら、前売りを買ったり、気が向いた時に足を運んだりする。

私は、ダニエル・ブレイクという映画は、感動的な予告編やポスターから受ける印象と比べると、地味な内容だった。たいていのミニシアター系の映画に言えることだが、宣伝を見る限りでは見たい気持ちにさせるほどの内容に思えても、実際に映画を見てみると宣伝が過ぎるのではないかと思える映画が多い。宣伝とはそういうものだ。感動どころ、ダイジェストをつなぎ合わせる。本作もそうだった。しかし、この映画は我々現代人が生きる社会制度と直結する精神的な問題を見事に描き出していた。

英国映画にもかかわらず極東日本の一市民の心に響いたのは、官僚主義というものが、全世界的に行き届いているからだろう。これが江戸時代とか明治初めの頃の時代に生きる人が見たとすれば、なぜ主人公がこのような怒りの感情を抱くのか不思議に思うかもしれない。

この映画で官僚主義は日本で言うところの失業保険をめぐって描き出されていく。心臓を患った59歳の大工の男が医師から仕事をやめるように諭され、雇用支援手当てを受けていて、その継続審査に赴くことになる。しかし心臓の病とは関係のない質問が続く煩わしさから不遜な態度になり、そのことが審査の影響に響く。審査を担当しているのはアメリカの会社の人間だともいう。ここは英国なのにアメリカの会社? 結果、就労可能と判定され援助は打ち切られる。役所に求職者手当ての申請をしに赴くが、パソコンでしか受け付けていない。大工一筋で生きてきたダニエルはマウスの使い方すらわからない。求職者手当てを受けるには、表向きにでも職探しをしなければならない。このあたり日本の失業保険も同じだ。メモに手書きの履歴書を携えたダニエルは職場に直接訪れ、雇い主に大工の腕を見込まれるが、実際には働けないので断りを入れなければならず、雇い主を怒らせてしまう。ダニエルは自分の仕事に誇りを持っていたので信条に反する行いにでなければならない状況に精神的にも追い詰められていく。

一方で母子家庭で貧困に苛まれていた女性を援助するダニエル。女は生活苦からスーパーで万引きをするが店長に見逃され、警備員から助けになれるかもしれないとメモを渡される。女は生活苦から買春に走るのだった。

最終的に血の通っていない役所の人間と揉めたダニエルは、ささやかな反抗を企てる。そこまでに至るストーリーの一つ一つが共感を呼ぶ。物語に触れ、あらゆることが予測可能であると言うことは共感以外のないものでもない。真面目に生きてきた人間の尊厳を官僚主義がゆるゆると捻り潰していく道程が丹念に描き出されていく。得体の知れない官僚主義と個人との対立をこれほどまで見事に描き出した作品はないのではないだろうか。『踊る大捜査線』は官僚主義をコミカルに描き出してはいたがそれほど深刻さはなく全て笑いに収斂されていった。主人公自体が役所側の人間なので、深刻になりようがない。あれはあくまで官僚主義を笑い飛ばしている喜劇にすぎない。

登場人物の一人一人がリアルであり、ダニエルの他に、審査員や役所の人間から、コピー商品で一稼ぎしようとする若者、母子家庭の女、クライマックスシーンの通りの人々の反応に至るまで、日本でも同じような人がいるであろうし同じ反応を示すだろうと思わせる内容。日本も失われた20年を経て格差社会が板についてきた感がある。本作を観ることで先進国における貧困が人間を経済的、精神的にどのように追い詰めていくのか、その複雑さを体感するのもいいだろう。