グラナダTV版シャーロック・ホームズを久しぶりに見返して思ったこと

20世紀最高のホームズ作品と讃えられたグラナダTV版シャーロック・ホームズ
20世紀最高のホームズ作品と讃えられたグラナダTV版シャーロック・ホームズ

久しぶりにグラナダTV版シャーロック・ホームズの冒険のblu-rayを視聴した。この手のブルーレイ・ボックス、買ったところでなかなか見ない。もう何度も見たものだからという理由もあるし、単に興味が失せてきてみなくなったという場合もある。家にはそんな風にまだ一度も視聴していないblu-rayが数十枚もある。

英国グラナダTV版シャーロック・ホームズの冒険は、日本ではNHKで放送された。主役のジェレミー・ブレットが、当時連載されたストランドマガジンのシドニー・パジェット筆の挿絵に瓜二つだったことや、制作者側の原典へのこだわりなどから、大好評を博した作品である。「20世紀の完璧なホームズ」とまで称賛されている。

視聴したのは「恐喝王ミルヴァートン」、ゲスト俳優に「ハリーポッター・シリーズ」で魔法大臣を演じたロバート・ハーディが出演しており、貴族を恐喝する知的な悪役を見事に好演している。

久しぶりに見返してみてやたらと気になったのは、俳優の顔に来ていなければならないピントが意外と外れていた事だ。やたらと背景をぼかす絵作りが印象的なのだが、その犠牲としてなのか余り俳優にピントが合っていないのが目についた。当時のテレビカメラは自動でピントを合わす性能がなかったのだろうかと疑うくらいだ。まるでAF機能のないキヤノンの一眼レフデジカメで動画を撮っているような錯覚すら覚える。ボケ味を生かした作りとなっているせいか、これまでとは一風変わった、シリーズの転換点のような作品となっているのは確かなようだ。

放送時はブラウン管テレビの時代、今のように何でもかんでも精細に写すデジタルハイビジョンはなかったので、結構誤魔化せていたのかもしれない。

この作品から、映像がやたらカラフルで綺麗になる。それまでは1980年代のTVドラマにありがちなノイズが見られたり、やたらカーキ色を誇張して古風めかした色作りをしていた。それらの古くさい印象をガラッと変えたのが、「恐喝王ミルヴァートン」だった。

物語の終盤にさしかかり、カメラを傾ける演出に一気に引き込まれた。素晴らしい。不安定感を視聴者に与える効果が抜群に発揮されている。その他のシーンにおいても、この作品はTVドラマでありながら、一個の映画のように美しい。フラゴナールの絵画を想わせる美しい公園、変装、四頭立ての馬車が向かう豪華な邸宅、華やかな舞踏会、労働者達が集まるパブ・・・・・・。病気持ちのジェレミー・ブレットは息も絶え絶えに、だがまるで息を吹き返したかのようにスタイリッシュでカッコいいホームズを演じている。

これ以降は長編2編と短編6編しか作られず、ジェレミー・ブレットの逝去で名高いシリーズも完成を見ることなく終わってしまった。ちなみに同時期に放送されていたエルキュール・ポワロの生き写しとさえ言われたデヴィッド・スーシェ主演の名探偵ポワロは、数年前にアガサ・クリスティの原作をすべてやりきり、無事フィナーレを迎えた。

なぜカメラのサイトなのに、海外ドラマの話題を書いたのかというと、一つは自分もカメラを深くやるようになってから、映画やドラマを観ていると、話の内容よりも構図やピントやボケ具合に興味が向かうようになったのが一点、もう一つは、カメラ量販店で交換レンズでお馴染みのシグマのオシャレなパンフレットを持って帰って開くと、ホームズに扮したジェレミー・ブレットと、ワトソン博士に扮したエドワード・ハードウィックが二人仲よく並んだ写真が最後に掲載されていたからだ。それはまさしく「恐喝王ミルヴァートン」のスチール写真だった。シグマの社長のエッセイが掲載されていた。

デジタルの時代、ピントが合っていなければ何かと非難囂々な目に遭う。しかしアナログの時代、カメラにまだオートフォーカスの機能がなく、マニュアルフォーカスで撮っていた時代は、結構ピントの合っていないポートレート写真も多かったのではないだろうか。グランフロント大阪で開催されていた篠山紀信の「写真力」を観に行った時も、ピントの合っていない写真を見かけた。そこがまた人間臭さが出ていて、アナログ時代とはこういうものなのかと、ふんわりとしたイメージで伝わってくるものがあったのだ。