原題はDarkest Hour(最も暗い時)。まやかし戦争(仏:奇妙な戦争)を経て、ヒトラー率いるナチスドイツがいよいよベルギー・オランダ・フランスへと侵攻を開始した際の、英国首相ウィンストン・チャーチルの煩悶と決断を描く。ゲイリー・オールドマン主演(本作でアカデミー賞主演男優賞)。特殊メイクに日本人の辻一弘(本作でアカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞)。
20世紀における最も偉大な政治家の一人、ウィンストン・チャーチルを、LEONやハリーポッターシリーズ、裏切りのサーカスなどで変幻自在な役柄を見せてくれたゲイリー・オールドマンが演じるということで、YouTubeに予告編が上がったときから楽しみにしていた本作。そもそも裏切りのサーカスでスタイリッシュなロマンスグレーの初老スパイを演じたゲイリー・オールドマンが、今度は肥満した老政治家を演じることなど可能なのだろうかと期待が入り交じりながら半信半疑だったが、日本人メイクアーティスト辻一弘氏の特殊メイクで見事にチャーチルに化けていた。ゲイリー・オールドマンの熱の篭もった演説や詩的な光で縁取られたイメージを体感したくて、2度劇場に本作を観に行った。
冒頭からカメラワークが刺激的。イギリス議会の天井真上から議員達の白熱した議論を俯瞰して始まり、ゆっくりと目線まで降りてくる。時の英国首相、ネヴィル・チェンバレンが宥和政策によりヒトラーのヨーロッパ侵攻を許したとして野党から槍玉に挙げられ、挙国一致内閣に参加することを表明するが、目の前に居るチェンバレンが首相では、それを断固拒否すると熱弁する。
そうした経緯を経てチャーチルに組閣の大命が下るが、過去にはガリポリ上陸作戦や金本位制などで失敗を重ねてきた前歴があり、政界の嫌われ者だった。国王ジョージ6世とは、先の国王であったエドワード8世の王冠を駆けた恋に絡む退位騒動で恨まれソリが悪い。
バッキンガム宮殿で組閣大命を下すジョージ6世。今後週に何度か会わなければならないと国王は要請するが、チャーチルはすべてマイペースで予定を決めてしまう。ジョージ6世といえば、『英国王のスピーチ』が話題になったこともあり、日本でもどもりの癖がある英国王として広く知られるようになった。今回の映画でもややどもっているが、『英国王のスピーチ』ほどにはあまり強調はされていない。主役のチャーチルを食ってしまう恐れもあるからだろうか。ジョージ6世を演じる役者は皆どもりを演じるのかと妙に感心してしまった。
組閣大命のシーンは、日本の皇居における親任式と比べると、意外と素っ気ない。一対一で向き合い、組閣の大命を下す。しかしこのバッキンガム宮殿内のシーンの光の使い方がとても美しい。この映画全般に言えることだが、光のコントラストを効果的に使って詩的な映像作品に仕上げている。
作品内では、チャーチルの逸話が再現されている。朝からスコッチ、昼にはシャンパン1本を開けていたチャーチル。昼から良くそれだけ酒を飲めるなと会食時にジョージ6世に問われて、「鍛錬です(Practice)」とにべもなく答えるチャーチル。ウィットが効いている。チャーチルと言えば勝利(Victory)を示すピースサインの写真も有名だが、はじめは裏返しにピースサインをマスコミに対して示し、それは庶民の間では汚い罵り文句「クソ食らえ」であることをタイプライターの女性から教わり大爆笑する。しかしヒトラーに対してやったと解釈すればあながち間違ってはいないだろう。
脇を固めるジョージ6世にしてもネヴィル・チェンバレンにしても、史実の写真とソックリなのがまたいい。特にネヴィル・チェンバレンは、日本においてはヒトラー率いるナチスドイツに対し宥和政策を採ったことで世界史上で有名で、ミュンヘン会談から飛行機で帰ってきた際に、署名された条約書を空にかざしてヨーロッパは大戦の戦火から免れた事を誇示する記録映像は強く印象に残っている。その僅か1年後の1939年9月1日にナチスドイツはポーランドに宣戦布告して僅か一ヶ月でポーランドの西半分を平らげてしまうのだが、その際のナチスドイツに対し宣戦布告を告げるネヴィル・チェンバレンの悲痛なラジオ演説も印象深い。そのネヴィル・チェンバレンが映画冒頭にいきなり出てきて切羽詰まった歴史の転換点をまざまざと見せつけられている感がして震えた。物語の波の中に飲み込まれていくような感覚だ。当のチェンバレンは議会で槍玉に挙げられているわけだが、ちょこんと大人しそうに、特に何の感情も示さずに座っているのが、これまた老獪な政治家を彷彿とさせる。
この作品では、ヒトラーに対して強攻策を採るチャーチルに対し、ネヴィル・チェンバレンとハリファックス子爵がナチスドイツと和平を結ぼうと策を巡らす。ナチスドイツがイギリスの宥和政策の期待を破って戦争に突入したにもかかわらず、未だにチェンバレン派はヒトラーとの和平を画策していたのも驚きだった。
それもそのはずで、当時のヒトラーの勢いは凄まじく、電撃戦を以てして西ヨーロッパの大半を短期間の内に手中に収め、イギリス陸軍兵力の大半を占める英仏連合軍30万人をダンケルクへと追い詰めていた。空軍力においても英国はドイツの比ではなく、戦争継続の為の物資もままならない。化粧室のような個室の直通電話で、車椅子のアメリカ合衆国大統領フランクリン・デラノ・ルーズヴェルトと会談し援助を取り付けようとするが、アメリカには中立法があり、他国への武器貸与が出来ないという。既に貴国から購入した戦闘機があるからそれを前倒しでと弱々しく言うチャーチルに対して、カナダの国境まで戦闘機を運んで、そこから貴国が馬車を用意して、カナダ国境まで馬で運んでくれればモーターを使わないから法的に問題ないと答えるルーズヴェルト。今のアメリカの姿勢からは信じがたいことだが、この頃のアメリカはまだ他国の紛争には介入しない政策を採っていた。第一次大戦の時もドイツに宣戦布告したきっかけは、無制限潜水艦作戦を採っていたドイツ海軍の潜水艦Uボートに自国の船を沈没させられた1917年になってからだったし、アメリカがナチスドイツとの戦争に突入することになるのは、1941年12月8日の日本の真珠湾攻撃をきっかけとしてヒトラーがアメリカに宣戦布告したことに始まる。この時点ではアメリカはヨーロッパの戦争には関わっておらず、ルーズヴェルトも消極的な姿勢だった事が会話のトーンから窺える。それにしても電話口のルーズヴェルトも本人とソックリの声色と特徴で、細かい所にまでこだわりが見られる素晴らしい映画だと感心した。
ハリファックス子爵は積極的にナチスとの和平を推進しようとし、その影で前首相ネヴィル・チェンバレンが寡黙に支えているというような構図に見える。ダンケルクでイリギス・フランス連合軍30万人がナチスドイツに追い詰められた状態で、戦時内閣内で更なる和平の気運が高まる中、チャーチルは戦争継続か和平かで逡巡する。敢えて政敵を戦時内閣の閣僚に据えたチャーチルだったが、自国の窮状に万策尽きた状態で和平に傾きかけるのだった。
この当時ネヴィル・チェンバレンは既に胃癌に冒されており、鎮痛剤を服用して政務に当たっていた。ビッグベンが見えるバラ園でハリファックス子爵と会話を交わすチェンバレン、私が生きている間に祖国が平和である状態を見ることはないだろうと零す。
話は前後するが、フランスにも飛んだチャーチルは,フランス閣僚達とナチスドイツとの戦争を継続するよう説得に赴くが、無理してフランス語を使うチャーチルに対し、英語で会話しましょうと促される。この片言のフランス語の演技もまた苦渋に満ちていて渋みがあって良い。ナチスドイツは戦車で侵入しただけで、いわば貴国の領土に旗だけを立てただけのようなもので、占領部隊が到着していない状態では征服されたとは言えないと抗弁するチャーチルだったが、フランス閣僚達は全く乗り気でない。
一方でチャーチルはダンケルクに取り残された30万人の英仏連合軍を救出する作戦を推進しようとしていた。カレーに駐屯している部隊を囮に使って時間稼ぎをし、その隙に英国艦艇にドーバー海峡を渡らせて連合軍を救出するという作戦だったが、船が全く足りない。そこで民間の漁船やヨットなどの小型船舶を徴用して、救出に向かわせるという大胆な作戦を立てる。所謂ダイナモ作戦である。詳しくは『ダンケルク』の映画で描かれているが、この映画も観ておけば良かったと後悔した。ちなみにダンケルクの撤退戦を扱った映画は、イギリスのプロパガンダ映画制作からの視点の作品が同じ時期に1本公開されている。史上最大の作戦と呼ばれるノルマンディー上陸作戦前夜のチャーチルを扱った映画も2016年に制作されており、こちらも2018年中に日本で公開予定とのこと。連鎖的に似た題材の映画が公開されるのは、やはり2匹目のドジョウというか、観客の熱や興味が冷めない内の相乗効果を狙ったものだろうか。
ダイナモ作戦でカレーにいる若い兵士達の命を犠牲にするのかと詰問するハリファックス子爵に対し、チャーチルは「責任はすべて私が取る!その為にこの椅子に座っているんだ!」と激高する。チャーチルが最も尊敬される指導者と仰がれる所以の一端を垣間見たシーンだった。
かくしてダイナモ作戦は成功を収め、ダンケルクに取り残された英仏連合軍の大半は無事イギリスに帰還できた。ハリファックス子爵がお膳立てしたイタリア首相ムッソリーニを介してのナチスドイツとの和平交渉も中止となり、英国はヒトラーとの全面戦争に突入していく。
チャーチルがナチスドイツとの戦争継続を決断する前に、地下鉄に降りて市民達の意見を聞くというシーンがある。地下鉄に乗ったことがないという上流階級のチャーチルが自動車を降りて地下鉄に乗り市民達の声に耳を傾けるのだが、これは全くのフィクションとなっている。このシーンだけどうも違和感があり、まるで舞台劇に切り替わったかのような様相だった。地下鉄の電車の中で、レンガ職人に代表される労働者、女性、黒人、幼い女の子達に意見を聞いていく。ドイツに降伏するか?というチャーチルの問いに対し、皆一様に「NEVER!」と声を上げる。厳しい階級社会のイギリスで気位の高そうなチャーチルが庶民と触れあうこの唐突なシーンは違和感を覚えざるを得ないが、チャーチルを演じるゲイリー・オールドマン自身は労働者階級の出身だ。その辺りの齟齬と合致の入り交じった要素が、外面的には違和感がありながらも、内面的には親近感のあるまなざしが可能だったのだろうか。
市民達の声を聞いたチャーチルは、市民の名前を書き記したメモを読み上げ、市民達の声を代弁して議会前に小演説を打つ。流れは整った。いよいよ議会で、ナチスドイツとの対決を鮮明にした有名な演説をぶち上げる。
ややもすれば、主権は保障してもらうという条件でナチスと和平を結び、ヒトラーに屈していた可能性があったイギリス。もしこの時点でナチスに靡いていれば、イギリスはファシズム派の政治家達に乗っ取られていたかもしれないし、その後の独ソ戦でナチスは後顧の憂いなく勝利し、世界を牛耳っていたかもしれないと思うと、チャーチルのこの時の決断は、まさに映画のキャッチコピーにあるように世界を救ったと言えるだろう。
帰ってからパンフレットを読んでみると、冒頭のシーンについての解説が載っていた。なるほど、そういうことかと膝を打った。冒頭のシーンやドイツ軍から逃れるフランス人少年を殿上人として上から見ろしていたチャーチルだったが、戦況が悪化するにつれ精神的に追い詰められ、今度は上から見下ろされるシーンになり、チャーチルの心理状態を表している。最後の議会のシーンではチャーチルの心情が託されたカメラワークは空高く飛翔する。やはり映画を観に行ったらパンフレットは買っておくべきだ。カメラワークに秘められた1つの見方を知ることが出来た。
史実を元にした映画は歴史好きとしては大変楽しめるが、それだけでは駄目だ。やはり詩的な映像美があってこそだろう。Darkest Hourは題材もさることながら、光を駆使した映像美も秀逸な作品だった。