没後30年 小磯良平展 – 西洋への憧れと挑戦 –

没後30年 小磯良平展 - 西洋への憧れと挑戦 - 神戸市立小磯記念美術館

小磯記念美術館なので、大体の催しが小磯良平かそれに関する絵画になるのだけれど、まぁ何度も観に行けば頭に叩き込めるし、絵画に関する知識も身についてくるので行ってきた。今回は兵士の素描や、遺族に依頼されて描いた特攻隊員の肖像など新たに発見された絵画もある。

学生時代に帝国美術院美術展覧会(帝選)に出品して特選の栄誉を得て注目を浴びた「T嬢の像」の次に一際目を引いたのが、ジョルジュ・デヴァリエールの「ミュージックホール」。倉敷にある美術展覧会に小磯が17歳の頃に見に行った絵画が、当時の意匠を再現しようと黒壁を黒布に見立てて飾られていた。どことなく家に飾ってあるカシニョールの版画と似通っていたので、ふと親近感を覚えた。もう一つ飾られていたシャルル・ゲランの「タンバリンを持つイタリアの女」は絵の角を小磯が舐めたという逸話が残っている。「いい絵は舐めれば分かる」という言葉通りの行動をしたというが、本人は否定している。

セザンヌの静物画の方に興味を抱いていた小磯が、この二つの絵を見て女性の人物画にも興味を抱くようになったという。小磯が10代の頃に描いた静物画を見たが、絵筆は嗜んでいないので絵の善し悪しは分からないが早熟な天才のように思われた。

ブルターニュ ソーゾン港」。油絵らしくトリコロールの船が筆をちょちょいと走らせるように描かれている。油絵のこういう技法を眺めていると愉しい。光を反射した船を精緻にではなくこうした筆のさりげない走りで表しているのが愉しそうでもあり、発想の転換を想起させてもくれる。

小磯良平といえばバレリーナの絵画が多いが、バレリーナ2作品の後に裸婦像が続く。「裸婦」は青緑みがかった薄暗がりの中で、裸の女が化粧をしている。この色は例えば写真なら少しグリーンの方にブレているから、ホワイトバランス微調整でマゼンタの方に寄せていきたくなる色合いだが、窓のブラインドを閉め切った薄暗がりの淀んだような空気感が得も言われぬ違和感と共に怪しげな小世界を垣間見せてくれる。

婦人像」。喪服のような黒い洋服を着た女が気品のある公園の花壇のような場所を背景にして描かれている。ふとよく出来たポートレート写真を連想させる。

洋裁する女達」。洋裁工場だろうか、窓からの明るい光が洋裁している女達を明るく照らしている。こういうのは写真で撮ればシャッターを押すだけで本当に簡単に撮れるのだが、絵画だと光をまず絵の具で表現しなければならない、そこまで頭を回さなければならない。写真家なら光の入る方向を読んでモデルを立たせるか或いはカメラマンが動いて絞りやシャッタースピードなどで暈けや明るさを調整してシャッターを押すといった程度だろうが、洋画家はどこから光が入ってくるか、光を絵筆で描かなければならないのだから、写真はつくづく楽だなと思う。

その明るい光に照らされたテーブルの上の白い布、右側の黒い女性達とのコトンラスト、また手前のピンクの服の女性が淡い彩りを放ちつつ、額縁の中の世界に拡がる光の明るさや柔らかさのイメージを膨らませてくれる。配色の妙かな。

一際大きな絵画が飾られていて目を見張った。「練習場の踊子達」。これなども「洋裁する女達」と同じように光が強く意識される作品。上の方にある窓からだろうか、窓自体は描かれてはいないが光が差し込んでいる。バレリーナの白いスカートに帯びる一際強いハイライトと明暗のコントラストが差し込む強い光を表現している。右端の女性の方に帯びたなだらかな光の表現も見逃せない。そして人物の顔は舞台裏を表すかのような影がかかっている。舞台裏ではあるが舞台のよう。ゲイリー・オールドマン主演の映画『ウィンストン・チャーチル』の冒頭シーンの巧みな光の使い方を思い出した。

学芸員に言わせると、絵画の中に描かれた人物誰もが視線が合っていないことから、都会の冷たさを表しているように見えるという。

踊り子」。こういう窓側に半逆光で顔を向けたような絵は、写真としても撮りやすそうだ。あそこのスタジオならこういうものが撮れるなと思うが、カーテンが掛かっていないので難しい。

戦争画のコーナー。「娘子関を征く」。馬の彩度が強く背景は弱い。遠近法だそう。空気遠近法というのだったか。他にも兵士達と馬が同じ高さに描かれていたり、馬と兵士達の足下が三角形を描いていたりと解説を受けたが絵は描かないのでいまいち分からない。

カリジャティ会見図」「軍人の肖像(カリジャティ会見図のためのエスキース)」。太平洋戦争時にオランダ領インドネシアを降伏させた際の停戦会議の様子。本作は1942年制作とあるが、「カリジャティ会見図」を描いたときには既に戦局は悪化していたそうで現地には赴けずに、技巧的であるという。背後に1人幽霊のように立つ人がいると言うが、これが技巧的なのとどう関係があるかは分からなかった。しかし全体像は毅然としていて計算され尽くしているかのように極めて水平で、次に垂直のイメージが・・・、重要な会見らしく安定感がある。

この2枚ともに日本軍の中心人物として描かれているのは、今村均陸軍中将。軍人には珍しく穏やかな性格で、戦後は反省の人でも知られる。インドネシア占領中はなるべく現地の住人達の生活を尊重し、本国からの綿布の徴用についても葬儀の際に綿布で遺体をくるむので住民感情を害し、占領政策に支障を来すと断ったという。また捕虜のオランダ人達の待遇も穏やかだったそうだ。故にインドネシアでは他の占領地とは異なり軍政が上手くいっていたという報告がある。しかし本国の方針に背いたためだろうか、8ヶ月のちにラバウルに転任になるが、空襲に耐えるために洞窟を掘り土を耕して自給自足体制を敷き、終戦まで陥落することがなかった。今村大将が築いた大要塞が堅固だったことに加え日本本土を攻撃するための重要拠点とは見なされなかったのも功を奏したのではないか。戦後は戦犯として軍事裁判を受け死刑になりかけたが現地住民の証言などから一命を取り留め、現地に戻り部下達と共に懲役に服する。日本に戻ってからは家の隅に小屋を建てそこで反省の日々を送ったという。何かと人格者としての逸話が残っている名将だ。

その今村均中将の穏やかな横顔が描かれている。これらの戦争画は他の展覧会でも二度ほど見た記憶があるが、当時は今村均という説明書きはなく、恐らくオランダの停戦調印会見だから、今村中将であると当たりをつけながら見ていたが、今回ハッキリと明示されていたので、これが小磯が描いた今村中将の肖像画かと見入ってしまった。性格を表しているかのようなつぶらな瞳の横顔である。お坊さんにも見える。

斉唱」。小磯良平の洋画を代表する一作。ようやく見れた。兵庫県立美術館の催しでも飾ってあった気がするが覚えていない。人の顔の大きさは変わらないが、足の位置は前後して描かれている。西洋絵画の技法だという。制作年は1941年。戦時中の暗い時代に描かれた事を鑑みると、意味深な一枚だ。制作年が同じ戦争画「娘子関を征く」とよく対比されるという。神戸にある松蔭中学校/高等学校の制服だそうだ。以前同じ場所の小イベントで誰かが語っていて神戸の男子学生達にとって憧れの制服だと言っていた。あぁあの気品溢れるお嬢様風の制服かと合点がいった。

戦後になると、荒廃した神戸の復興を願う為の、労働者を主題にした絵画が多く見られる。キュービズムで描かれているのだが、ややもすると旧ソ連の絵画とも似通っていて、フロアに入ると共産主義絵画の展覧会に迷い込んだ錯覚がする。

働く人びと」。小磯作品の中で最も大きな絵画。神戸銀行から依頼を受けて制作された。人物は古代ギリシアのレリーフから、背景はキュビズムの手法を用いて描かれている、古代と現代の技法が織り重なった作品。女性の羽織っている白い服が脚に貼り付き透けるようにして浮き出ている。そういえば少し前に、公共の乗り物である電車のポスターに萌えキャラクターが採用されたが、その制服の紺のスカートが脚に貼り付いていて脚や股の形が浮き出ているように見えて卑猥でけしからんという苦情が入ったらしく、スカートの影を消して描き直されたポスターが話題になったが、この絵画を見ているとそのようなクレームがこざかしく思えてくる。向かい風が当たれば紺のスカートはそういう感じに浮き出ますよ。実際そうなっているのを目の当たりにしたことがあるから断言出来る。

やはり労働者を描いた作品はキュビズムで力強い線で描かれている。主題を変える毎に技法を変えるところも鮮やか哉。

家族」。黄色いヘルメットを被った粗野な肉体労働者の父親の横に座っている二人の母親が片方の乳を出して乳飲み子に乳を与えている。当時はこういうあっけらかんとした乳の与え方が当たり前だったのだろうか。母になったことの強さを感じる。肉厚的な描写も母を象徴している。

絵画」「音楽」。東京赤坂離宮の迎賓館に飾られている作品だが、迎賓館にあるだけ合って借りられなかったので、パネルで紹介。迎賓館なのにジーンズ姿の絵というこの差異。この絵に関しては前回の兵庫県立美術館の催しで見た記憶がある。

年を経ても旺盛に西洋の新しい手法を取り入れて絵画制作に勤しんでいたが、晩年になると妻や友人の死に面して、外出もままならず創作意欲も衰えていたらしい。そんな中で写真を元に描かれた「御影の風景」と、絶筆となった「帽子の少女」。「御影の風景」は何度か見たことがあるが、瀟洒な一戸建てとマンションという現代的なテーマではあるが、前景に茨のように枯れた木々が覆い被さっており、具象でありながら抽象的で、どことなく横尾忠則の絵を連想させ、身近であるが故にこの場所はどこだろうと探したくもなる。「朝のひととき」は左側から光が入ってくるフェルメールの手法を取り入れており、他に並んでいる絵画と比べると目が冴えるように鮮やかさが目立つ作品。左からの光という言葉が気になった。右からでは駄目なのだろうか。太陽は南にあり朝方だと左から光が差し込む。絵画の中の時計は午前10時を指している。北側から描いたら右から光が漏れるように差し込むかなとも思ったが、やはり左から差し込まないと朝を表現出来ないから左からの光を描くことにこだわるのだろうか。ということは夕暮れ時を描く時は右側から差し込む光で描けば良いという事か。光の入らないスタジオでストロボを使って撮る写真にどう応用出来るだろう。

帽子の少女」。絶筆となっているが、可愛らしい少女の横顔。ポストカードにちょうどよさげかと思ったが売店には売ってなかった。「斉唱」のポストカードもなかった。小磯良平は結構洋画のポストカードを購入して絵を描く際の参考にしていたみたいだ。確かに嵩張るブックレットよりもポストカードの方が手軽に手元に置けるし壁に貼れるし、気に入った絵だけ小型のアルバムにしまって好きな時に見返せるなと思った。

小磯良平と言えばバレリーナの洋画。筆者もバレリーナを美しい光で撮りたくなったので、モデルになって頂ける方は、フォームメールTwitterをフォロー頂いてからメッセージお送りください。