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チャーチル ノルマンディーの決断 – 過去の呪縛に囚われた懊悩とその克服、名優によるチャーチルの名演説も堪能出来る

チャーチル ノルマンディーの決断

史実をテーマにした映画を見ていると、このシーンは実話なのだろうか、それとも創作なのだろうかと思うことが度々ある。チャーチルの映画を観ている時は特にそうで、我々の大半はチャーチルの姿は残された映像でしか知らない。二一世紀になり第二次世界大戦が遠い昔の記憶になろうとしている時代に、チャーチルの自伝や彼について書かれた評伝を読む人がどれくらいいるか正確には分からないが、そう多くはないだろう。

この映画の中に出てくるチャーチルは、演説の草稿を練るために何度も言葉を吟味したり、タイプライターの女性に癇癪玉を浴びせたり、嵐になってノルマンディ上陸作戦が休止になるよう神に祈ったり、精根尽き果ててベッドでだらしなく寝そべったり、妻と喧嘩をしたり、妻の方もまたウィンストンの頬をひっぱたいたり。家を出て行こうとしたり、ホウホウホウとユーモアたっぷりになだめたりする。細かいことになるが、失意の中、車で帰路につく際に、通りかかった少年少女達がピースサインをしてくる。それに対してピースサインで答えるチャーチル。どれが実話でどれが創作なのか、非常に気になるのは、自分の中でそれだけチャーチルの人となりに興味が湧いている証拠だろう。自伝や評伝を読んでいれば、今作でもそれらの実話を元にした演技がどこに取り入れられていたのか知ることが出来たかも知れないと思うと、チャーチルについて詳しく知らなかったことを惜しいと感じる。

冒頭は海岸のシーンから始まる。海が血に染まっていき、若者の命を救わなければならないと決意するチャーチル。冒頭からこの映画の意図が本人自らのセリフであからさまに開陳される。映画としてはあまりにも直裁的ではないかと思われるのだが、スクリーンは待ってくれない。話は突き進んでいく。

第一次大戦時にチャーチル自身が作案したガリポリ上陸作戦が失敗に終わり数万の若いイギリス兵が命を落としたことで彼は懊悩を繰り返していた。あの時の轍は踏むまいと、英軍のモンゴメリー将軍や米軍のアイゼンハワー将軍と打打発止のやりとりをしてキプロス島に上陸し陽動作戦を採る作戦に変更させようとしたり作戦の無謀さを訴えようとするがうまくいかない。チャーチルが体験した第一次大戦はもう30年も前のことで、塹壕戦は過去の遺物で、最新の兵器があるので、あの頃の時代とは違うと反駁される。将軍達のこれらの反駁にふと我々はチャーチルが第一次大戦の実戦体験に囚われすぎていることに気づく。チャーチルの戦争体験とそこから発露するイメージは時代遅れとなってしまっていた。この映画を観る前まではてっきりチャーチルが若い兵士達の犠牲を最小限に食い止める為に英米軍の立案したフランス上陸作戦の一部を変更させる話だと思い込んでいた。どうも予告編かチラシでそのように錯誤してしまっていたようだ。実際はモンティやアイクが作戦の主導権を常に握り続けており、チャーチルは脇に追いやられてしまう。

チャーチルの願いむなしくノルマンディ上陸作戦の決行が決まり、英米二人の将軍が記念写真を撮るシーンでのチャーチルの立ち位置(実際には座っている)が印象的だ。チャーチルをよそに二人の将軍は記念撮影に臨む。作戦会議でもチャーチルは蚊帳の外に置かれている。軍人達はチャーチルが作戦には口出しせずに飾り物のように振る舞うことを願っているかのようだ。つまりスピーチをして国民を鼓舞するという重要な役割だけを果たして欲しいと。「I am Prime Minister of England(The United Kingdom) and Minister of Defense!」と本作中では二度ほど連呼するが、その肩書きも部屋にむなしく響くだけ。4年前にナチスドイツとの戦いを決意した栄光ある姿とは雲泥の差だ。ノルマンディ上陸作戦に反対する4年前のチャーチルの政治闘争は、ゲイリー・オールドマン主演の「Darkest Hour」で描かれている。こちらのチャーチル像はナチスドイツの大陸への猛攻に対して劣勢に立たされた英国が弱気に陥りながらもナチとの戦争を決意をするまでの軌跡が描かれている。

しかし今作はそのようなチャーチルの政治家としての英雄譚というよりも、過去の自身の大失敗からなんとかしてノルマンディ上陸作戦を止めさせようと煩悶しつつ、兵士を勇気づける演説をぶるモンゴメリー将軍や、大将が死んでしまっては国の支えがなくなる、我々には我々の果たすべき役割がありそれは戦場ではないと、チャーチル自身が作戦と共にフランスに上陸することを思いとどまらせる英国王ジョージ6世、若い兵士達が大勢死んでしまうと悲観的にわめき散らすチャーチルに対し、英国首相がそんな弱気なことを言っていたら戦場に向かう自分の夫が浮かばれないと訴えるタイピストの女性など様々な人たちと触れ合うことで、懐疑的だったチャーチルの心が変容していき、ノルマンディ上陸作戦の日、1944年6月6日にラジオで英国民に向けて名演説をふるうまでに至る過程を描いている。

このラストシーンのチャーチルの形相は血気迫るものがあり、演説自体も名調子なので、気分が盛り上がる。このシーンを見て国家危急の時にはこのような強いリーダーシップに優れた名演説家が国民を鼓舞するのだなという事が朧気ながら実感出来たのは、ふと3.11の東日本大震災の折に、当時の民主党政権下の枝野官房長官が一日中TVに出ずっぱりで淡々と状況を述べていた姿を連想したからだった。筆者自身は被災者ではないが、福島第一原発が爆発し、日本が先の大戦の大空襲以来の危機に陥っていたわけで、演説をぶっていたわけではないがテレビに映し出されるあの淡々とした姿だけでもなんだかホッとしたものだ。それと同時に震災当日に首相が一向に姿を現さないことには不安も覚えた。首相のリーダーシップは大切である。

ラストシーンでは、再びチャーチルが海岸に立つ。ノルマンディ上陸作戦は成功を収め、ヨーロッパ戦線の連合国軍の勝利は確実なものとなった。海は血に染まらない。チャーチルは帽子をステッキに掛けてクルクルと回す。この仕草は実際の映像から着想を得たのではないかと思われる。ナチスドイツのイギリス本土への空襲を退けて歓喜に沸く群衆達に囲まれながら歩くチャーチルらしき人物が、ステッキに帽子を引っかけてクルクルと回している映像がある。(NHK 映像の世紀 第5集 世界は地獄を見た :20分24秒頃)。或いは勝利や喜びを表す時の英国の伝統的な仕草なのかも知れない。

ノルマンディ上陸作戦が中止になる事を願い嵐になるよう神に祈りを捧げるチャーチルのセリフは詩的でさながら舞台演劇の様。他のセリフも歯切れが良いのは、やはり歴史の節目節目に名演説をぶってきたチャーチルというキャラクターに寄るものだろうか。「Darkest Hour」よりもセリフに強い意思が感じられた映画だった。