新開地にあるアートビレッジ神戸に足を運び、フレンチシネマ特集で3本観てきた。一本目は二本立てで、「ラ・ジュテ」と「夜と霧」どちらも短編映画。
ラ・ジュテはほとんど静止画像だけで構成された前衛的な映画で、第三次世界大戦後に捕虜になった男が、過去や未来に行き来する実験に晒されて、子供の頃飛行場で見た女と戯れるというお話。1962年の作品なので、近未来的な話なのに、全くそういうところがなかった。
夜と霧はナチスのホロコーストのドキュメンタリー。アウシュビッツの過去と現在を、多くの映像や写真を織り交ぜながら、ナチスドイツが行ったユダヤ人大量虐殺を描く。観ていて怖くなった。人間てどこまでも残酷になれるんだな。特殊な空間に閉じ込められた時の、残酷なまでに本能的な生存競争や絶望感が伝わってきた。
二本目はエリック・ロメール監督の「獅子座」。叔母が死んで莫大な財産を相続することを知った音楽家の中年男が、友達を大勢集めてパーティを開くが、一夜明けて、財産は甥がすべて引き継ぐことになり、一文無しになる。友達を頼ろうとするが、皆バカンスに出かけたり、そっけなかったりで、男は浮浪者に落ちぶれていく。
教訓的な映画というか、人間ちゃんと働かないとだめだなぁとなんだか身に染みた映画。100分もあるんだけど、そのうち6,70分くらいは、文無しになった中年男がパリの街をさまよう描写にあてがわれていた。これといって台詞が多いわけでもなく、やつれた様子で、ただひたすらパリの街をさまよい歩く。
推理小説を古本の青空市で売るもわずかな金にしかならず、食事を取ろうとしたらズボンを汚してしまい、宿代を滞納して、ホテルの経営者の夫婦に警察を呼ぶとわめかれて追い出され、パリ祭に出かけて女を引っかけようとしても他に彼氏が居て逃げられてしまい、友人からホテル代として1万フラン借りて説教され、空腹から市場でお菓子を盗もうとして店主に追いかけられて暴力をふるわれ、周りからはお腹減ってたんだからしょうがないと同情され、手元に6フランしかないので6フランのパンをくれと頼んだら9フランのパンしかないのでそれを恵んで貰ったり、浮浪者が寝そべってたり、溝に脚を引っかけて靴が割れたり、彼とは対照的にいちゃついているカップルを見て「パリは猥雑な街だ!」と憤慨したり、このおじさん、名前をピエールと言うんだけど、石(ピエール)に爪を立てて「ピエール(石)も猥雑だ!」と自虐的にわめき立てたりする。
パリを彷徨している様がホント自然体の描写で、特にこれといって見所があるわけでも、物語的であるわけでもなく、はっきりいって、もうこの彷徨している間の1時間弱が退屈でしょうがなかったんだけど、それ故にリアルで、生々しくて、観ていて居心地が悪くなってきた。最後は一気に物語的な展開が期待できるのかと思ったら、またさらに浮浪者に身をやつしてからの描写が長々と続いて、ようやくハッピーエンド。
うん、最後はハッピーエンドに終わった。
このヌーヴェル・バーグの監督さんも、まだご存命で、21世紀に入っても映画撮ってるみたいで凄い。(※後記 2010年1月11日に逝去)
3作目は、こちらもエリック・ロメール監督の「コレクションする女」。いきなりくびれを晒したビキニ姿の女の子が登場。これだけで興奮ものですが、映画の方は、別荘で無の時間を過ごすことを決めた美術商の男がその少女と、友達と共にひとときを過ごすというもの。
やはりこれといって大きな物語展開があるわけでもなく、この少女がいろんなボーイフレンドとそれこそ取っ替えひっかえ情事を重ねるのだけれど、男が少女に対する恋心について、右往左往と葛藤するお話。コレクターのアメリカ人?の中年男性が、細身のジャックニコルソンに似てて、何ともデモーニッシュな風貌で、かなり渋い声出してて惹かれた。
髪がショートカットである以外は、顔も体も興味がないというものの、うまく少女を自分のものに出来ないと、嫉妬に駆られたりする。
最後は唐突に終わった。
映画代は計3,000円、うーん、もうちょっと期待していただけに、後半2本は退屈だったかなぁ。
50年代、60年代のフランスヌーベルバーグ映画って、基本的に退屈。ゴダールの「気狂いピエロ」その他は詩的で面白い。明日の写真映画ヤーチャイカに期待しよっと。
2008年10月16日記す。