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プーシキン美術館展 – 旅するフランス風景画

プーシキン美術館展

大阪国立国際美術館で開催されていたプーシキン美術館展に会期終了前日に訪れた。チケットを買ったのは夏頃で、最終日はまだまだ先だと思っていたらあっという間に終了。時が経つのは早い。

今回の目玉作品は、本邦初公開となるクロード・モネの『草上の昼食』。サロンに出展する予定だったが、クールベのアドバイスを聞いて描いていたら自身が理想とする絵に仕上がらずに結局断念したものの、後年描き直したという曰く付きの絵画だ。陽光を浴びる木々の辺りなどが印象派が花開く前の蕾のような筆のタッチだと解説で述べられていた覚えがある。

絵画全体によく目をこらしてみると、右端の木にハートに矢ののマークが彫られた跡が描かれている。古典の再解釈の過程を経て描かれた本作品は、幾つかの絵画に影響を受けているそうで、その中の1つ、ジャン・アントワーヌ・ヴァトーの『シテール島の巡礼』に描かれたヴィーナスの彫像も同じ位置にあることから、愉快な関連性が指摘されている。

王侯貴族がパトロンだった時代が、新興階級のブルジョワへと移り、やがて労働者などの一般市民階級へと鑑賞者があまねく広がっていくに従い、絵のテーマも宗教画や肖像画から風景画へと遷り変わっていく。かつて風景画の地位は低かったが、王侯社会から市民社会に移行するにつれてより身近で身の丈に合ったテーマである風景画のジャンルが確立しはじめる。フランスでは19世紀にパリ郊外の村バルビゾンに集った画家たちから生まれたバルビゾン派の風景絵画が人気を博した。

クロード・ロダン『エウロペの掠奪』。海景を描きたいがために選ばれたギリシア神話の題材。エウロペに恋したゼウスが牛に化けてエウロペを連れ去ってしまう。巨木と紺碧の海とに浮かぶ帆船と遠くにうっすらと見える島。数多の登場人物達は下の方に小さく描かれているが、近づいてよく目をこらして見ると、どの人物も細密に描かれている。これを少し遠くから見ると非常に立体的で浮き出ているように見えるのは、iMacの5K Retinaディスプレイと同じ原理だろうか。

『ルイ14世の到着、ヴァンセンヌ』、同じくルイ14世の大同盟戦争が題材の『ナミュール包囲線 1692年』なども風景が大きく、人物は小さく描かれている。

ジャン・バティスト・フランソワ・パテル『五月祭』、ニコラ・ランクレ『森のはずれの集い』、ジャック・ド・ラジュー『狩猟後の休息』などロココ絵画が続く。古典的解釈の制作から脱却した雅宴画(フェト・ギャラント)、ブランコに興じる貴婦人が描き混まれている牧歌的恋愛風景(パストラル)などは筆者好み。

ロココ画家のフランソワ・ブーシェ『農場』。ジブリ映画の風景画と似通ったところがある。高度に都会化した街に住む人たちが田舎の牧歌的風景に憧れるのは、国に関係なく今も昔も変わらずか。

「廃墟の画家」ユベール・ロベール『水に囲まれた神殿』。写真家も長崎の軍艦島をはじめとした廃墟を好むが、昔も廃墟を描くことを好む画家がいた。18世紀後半のフランスにも、現代と同じように本来の用途が失われた廃墟に崇高さを見いだし、廃墟画を好む思想家もいた。この時代はローマの遺跡が好まれたが、現代では産業遺跡が好まれている。

フェリックス・フランソワ・ジョルジュ・フィリベール・ジエム『ボスポラス海峡』。世界史によく出てくる小アジアとヨーロッパの間に跨がる重要な海峡。エキゾチックで黄昏の色合いに包まれた異国情緒漂う作品。手前にはターバンを巻いたトルコ人達。遠景にうっすらと見えるイスタンブルの聖ソフィア大聖堂とおぼしき建物は大気の霞の中で朧気に存在している。

ジャン・バティスト・カミーユ・コロー『夕暮れ』。寂しげな帰り道にF1.4の単焦点レンズで撮ったかのようなぼんやりとした木々の風景は薄明を描いている。『嵐 パレ=ド=カレ』も同じく曇天の空気をうまく伝えている。

アンリ・ジョセフ・アルピニー『女性のいる森の風景』。このような写真が撮ってみたいと思わせる大胆な引きの構図。女性はただボンヤリと陰影のように描かれている。緑のグラデーションが奥行きを感じさその場にいるような、絵画の中に入れるような錯覚に引き込まれる。

ピエール=オーギュスト・ルノワール『庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰』。ルノワールの絵画では『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』の方が有名で本作と似通っているが、その準備段階として描かれたと解説にある。ルノワールの特徴である明るく淡くカラフルで今にも踊り出しそうな色彩がとても良い。

ルイジ・ロワール『パリ環状鉄道の煙(パリ郊外)』。構図が大胆。消失点を左寄りに定めているために、右側の道路の沿道の線が長く伸びている。道路の幅が広々と見え、煙が長々と漂っている感じが強調されている。視線は道路の縁の傾斜に沿って滑り込んでいく様な感覚。

ピエール・カリエ=ベルーズ『パリのピガール広場』。建物の2,3階の窓から描かれたような構図は、写真の技法のよう。

エドゥアール=レオン・コルテス『夜のパリ』。タイトルに夜とあるが遠くの空がまだ明るいので薄明のパリだろうか。街灯の明かりが赤々と街並みを浮きだたせているのが非常に印象的。

クロード・モネ『白い睡蓮』。モネの自宅の隣に作り上げた睡蓮の庭。そういえば比叡ガーデンプレイスにもモネの庭が再現されていたので、親近感を覚えた。

アルフレッド・シスレー『オシュデの庭、モンジュロン』。実業家で印象派のコレクターでもあったオシュデの邸宅。しかし描かれた頃には既にオシュデは破産しており、狩りや宴に賑やかだった記憶を残すのみ。前景に木々を入れて視界を覆いつつ、その奥に広がる青空と明るく色彩豊かな景色に囲まれながらひっそりと佇む邸宅が、かつての楽しい記憶を宿しているように見えてくる。儚い夢の跡といった趣が美しさを際立たせる。

カミーユ・ピサロ『耕された土地』。なにげない田舎の農村風景を淡くボカしたタッチで。日本にもこういう景色はありそうだし、田舎の田んぼの景色は美しい。

アンリ・マティス『ブーローニュの森』。抽象絵画のようにざっくりと区割りされた小径の絵画だが、遠くから見ると、不思議とリアルな景色に見えてくる。

モーリス・ド・ヴラマンク『小川』。深い緑の木々や草が午後の気まぐれな強風にでも煽られているように荒々しく描かれている。

ポール・セザンヌ『サント=ヴィクトワール山の平野、ヴァルクロからの眺め』。昨年日本で公開された映画『セザンヌと過ごした時間』のラストシーンとエンドロールにも出てきた、セザンヌ最晩年の作。20年前に別の場所から描いた同じ山の絵がもう一枚あり、また同じ山を二十数枚ほど描いているそうなので、そのうちのどれかかも知れない。