チャペック兄弟と子どもの世界 特別展 – 芦屋市立美術博物館

芦屋市立美術博物館

台風で電車が動かなくなり鈴鹿8耐に行けなくなったので、芦屋市立美術博物館の『チャペック兄弟と子どもの世界』特別展へ。ロボットという言葉の生みの親で知られる作家・劇作家のカレル・チャペック、その兄で画家のヨゼフ・チャペックを中心とした絵画や絵本の展覧会。何でもチェコアニメの上映会をやるとかで、それが決め手に。

カレル・チャペックはロボットの名付け親という事で名前だけは知っていたけれど、兄がいたことやその後の運命については知らず。弟はゲシュタポが家に踏み込む3ヶ月前の1939年に病死し、兄は強制収容所に送られ1945年4月にベルゼン・ベルゲン収容所内で死去。二人ともナチズムに対し反抗的な姿勢を作品などで鮮明にしていたので、『チェコ第二の敵』としてゲシュタポに睨まれ捜査対象となっていた。1938年にミュンヘン会談でイギリス・フランスが戦争回避のため宥和政策を採ったことによるミュンヘン協定をきっかけに、チェコスロバキアはナチスドイツに浸食されていく。両大戦を挟んだつかの間の平和な時期に2人は活躍したことになる。戦後チェコスロバキアはソ連の衛星国となり、1968年に『人間の顔をした社会主義』という変革の理念を掲げてプラハの春に沸き踊るもソ連軍介入によりその夢は潰される。チェコスロバキアの民主化が実現するにはそれから21年後、1989年のビロード革命まで待たなければならなかった。

共産主義国家の下、表現の自由は制限されていたが、絵本の分野は比較的自由だったらしく、芸術家の才能はそちらの方面に注ぎ込まれたとのこと。チェコアニメなどが優れた作品が多いのが頷ける。定期的にシネリーブル梅田・神戸などでチェコアニメの映画をやっているので、ちょくちょく観に行っているのだけれど、今回も上映会があった。

上映会は6本のチェコアニメ。

二人の少年と一匹の犬が走り回るのを見てごらん(1925年)

何やら筆で絵が描かれて、大人二人がソーセージを食べているシーンが出来上がる。意地悪そうな坊主の子供二人がインディアンの帽子を被って弓矢でソーセージを食べている大人を射る。犬が駆けつけてソーセージを食べてしまう。犬が一瞬いやらしい顔をする。少年二人がシェフの家に駆け込んで、シェフが七面鳥焼きやプディングなどのご馳走を振る舞う。上映会資料によると「しっかり脂肪をつけないと。バターは高いし、健康のためにマーガリンを使った料理を!」との字幕。その様子を窓から羨ましそうに見ているさっきの大人二人。力こぶが膨れ上がり星になり、マーガリンの会社のロゴマークになる。広告映画だった。音声は一切なく時折字幕だけが挟まれる。恐らく上映時は音楽が流れ弁士が口舌を振るっていたのではないだろうか。

フィリックス・ザ・キャット;海の上の水兵さん(1929年)

船長と船員フィリックス(お馴染みの黒いネコ)がボートに揺られていると嵐で流され島に漂着する。そこには人食い人種がいて二人は連行され囚われの身となる。会議で次の物を持ってこないと食べられてしまう事が決まり、困り果てている二人の下に神様が使わした二匹のカブトムシ(プロウク)が現れ、タンスやらバイクやら様々な現代的な商品が運び込まれてくる。プロウク&パプカというチェコに4店舗を構えていた百貨店の広告映画で、百貨店の様子を映した白黒の実写映像が流れる。3店舗同時に誇らしげに写る百貨店、百貨店前の往来、ショーウィンドウに群がる大勢の人々、入り口から入ってくるお客さんの様子など、アニメより尺が長い。かなり長かった。これも無声映画なので、恐らく上映時には音楽が流れ弁士がテンポの良い口舌を振るったのだろう。しかし当時のチェコの百貨店前の様子が映し出されていてなかなかの貴重な映像ではないだろうか。

子どもたち(1935年)

男の子と女の子が線路の上を歩いていると後ろから汽車がやって来て、どいてどいてといろんな手で促すもどかないので最後には黒い煙で二人を遠くへ飛ばしてしまう。靴が犬にちぎられたり棘やら石やら蹴って無理したりして破れてしまい、お母さんに怒られる。このときの声が言葉になっていなくて幼児の感性のようで面白い。箒で折檻されそうになるが、良い靴があるよと、靴の宣伝映画。

ユビキタスくんの冒険(1936年)

この当時にユビキタスなんて単語があったのかどうか。原題を見ても分からない。チェコで有名な二人の操り人形のキャラクターの内の一人が女王様と一緒に放送の星に出掛けて、ラジオの仕組みを紹介するというもの。マイクが音を飲み込み、U字型の波長が放送宮殿から電波を流して遠くで畑を耕している人にも音が聞こえることを解説する。やがてその電波は地球を一周しはじめる。どゆこと?!

最後は月に乗ってブーラブラ。

こういう宇宙っぽいアニメ、パペットアニメーションで以前見たことがある。おどろおどろしい感じだった。同じ人の作品だろうか。それともチェコアニメの伝統芸か。

ルツェルナ宮の秘密(1936年)

何やら権力者の手先のような官憲の長がその手先に、街灯辺りから怪しい音が夜な夜な聞こえてくるので調べてくるよう命じられる。上映会資料によると官憲ではなくプラハの探偵社とのこと。調べてみるとたくさんの靴職人が靴を一生懸命作っていた。「だからクラーサシャの手縫いの靴は素晴らしい」という靴メーカーの宣伝映画。

失敗作のニワトリ(1963年)

小学校の授業で女の先生がニワトリの写実的な素描を出してきて、これを描くように児童達に命じる。他の皆は一斉に画一的な動きでクレヨンと紙を取りだして描き始めるが、1人の男の子だけ幸せそうに空をボンヤリと見ている。女の先生が教鞭で机をピシッと叩き、男の子を叱りつける。

1人の眼鏡をかけた男の子は優秀で、ニワトリの絵を写生する。目をカメラのようにして正確に。お手本の絵にハエや糞が止まるとそれすらも正確に写生する。眼鏡の男の子は女の先生からオリンピアの月桂樹を掲げられた銅像のように褒め称えられるが、空をボンヤリ見ていた男の子の絵は、幾何学的な抽象絵画のようなニワトリの絵で、アンタは樽だとかネズミだとか散々貶されて、ゴミ箱に捨てられてしまう。そのニワトリの絵がひとりでにゴミ箱から飛び出して、外を飛び回り、権威ある鳥の専門家の庭の前に辿り着いて、蓄音機でニワトリの鳴き声を流した専門家に誘われ囚われてしまう。新種を見つけたとマスコミに大々的に誇る権威ある専門家。動物園に飾られ、そこを訪れた女の先生と児童達は、その鳥を褒めそやす。でもその鳥、先生が貶した男の子が描いた絵じゃありません?どういうわけか眼鏡の男の子が待たしても褒めそやされ、男の子は貶されてしまう。でも隣に座っていた女の子は男の子に同情する。男の子が新たに地面に描いた鳥がまたしても動き出し、2人はその鳥にまたがって空を飛び回る。得意げな眼鏡の男の子の頭にはその鳥の糞が落ちるというオチ。

最後の1話は時代が飛んで戦後のチェコアニメ。児童達に絵を描かせている間に女の先生は共産主義について書かれているっぽい赤い表紙の本を読んでいるふりをして、中には西側諸国の水着やら映画やらの情報が載った雑誌を読んで楽しんでいる。その他のシーンを観ても随所に大人の欺瞞が巧く描かれている。何やら共産党体制批判の匂いがする。

以前観たアンジェイ・ワイダ監督の遺作『残像』という映画では、ポーランドでモンドリアン風の抽象絵画を描く権威的画家である教授が、彼の描く絵が資本主義的であるとして共産主義体制の求める写実的な絵画を描くよう転向を促したが、拒否したので、美術館から絵が撤去され、国家から職を追われ、日本の桃山時代や江戸時代でいうところの奉公構えのような形で職にありつけず、絵の具などの絵画の道具を買うことも拒否されるという事態に陥り、最終的に食べるものにも事欠く有様で下宿費も払えずに飢え死んでしまうという内容だった。病死だったかも知れない。

その抽象絵画と似たような幾何学的なニワトリの絵を見て『残像』をふと思い出した。共産党政権が推奨する写実的な絵を描くように教える女教師、しかし内心では西側諸国の自由に物が溢れる物質的に豊かな資本主義に憧れている。一方それとは知らずにカメラのように正確な目で忠実に従う優等生、窓の外に浮かぶ自由な雲を見て自由にありたい思う少年は自由な発想で幾何学的なニワトリを描く。叱られる少年を慰める隣の席の母性的な少女、蓄音機で自分を「ブラボー!!」と称えている声を何度も聞いて酔いしれている権威ある専門家、その権威ある国家的専門家のいう事には従う女教師、それでも少年のことは認めようとしない女教師、そんなことは気にもとめず空を自由に飛んでいく少年と少女。

表現の自由が制限されている共産主義国家でよくこんな風刺の効いたアニメが制作され放映できたものだなとの驚きがまずあった。あとはやはり大人の欺瞞が見事に抽出され巧く描かれている。どんな体制下であっても教師なんてのはロクなもんじゃない。

上映時間は約45分。

展示の感想

上映が終わった後は展示物をのんびりと鑑賞。まるで異国の絵本作家とは思えないほどに、現代風で描いた人の思いが伝わってくる。図録には収録されていなかったが、パステルカラーの二人の女の子の絵が90年以上前に描かれたものとは思えず、現代的だった。初公開の絵も飾ってあった。初々しい子供が描かれた絵。

飾られている絵はどれもふんわりしていて丸い。子供の感性を知ることが始まりとのことで、子供が生まれたことが、新しい創作の泉となったようだ。やはり子供の視線や感性というのは大事で、大人になるにつれて子供の無邪気な感性は鈍っていき、失われていくものだけれど、こうして新しい命に触れることで子供の感性に触れ、自身の内に取り込んで、創作に生かしていったという事か。美術館を訪れて具体美術協会やミニマムな音楽やその他の前衛芸術などに触れると、これは子供の頃に体験したことと同じだと感じ、ふと子供の頃の記憶が蘇って、子供の感性が戻ってくることがある。

「夏の少年たち」シリーズでは、戦争の暗雲が立ちこめてくると、その絵の中の少年達も暗い表情で描かれていた。

アマチュアカメラマンとしても活動していて、フサフサの可愛い犬の写真もある。犬との擦った揉んだも本にしていた。強制収容所に入れられた後、この犬はどうなったのだろうか。

後はヨゼフ・チャペックが手かげた絵本の表紙などの展示がズラリ。

お隣の谷崎潤一郎記念館は文豪ストレイドッグスとコラボ中

帰りは谷崎潤一郎記念館によって、文豪ストレイドッグスの展示を見てきた。9月9日までコラボ。

谷崎潤一郎記念館 谷崎潤一郎記念館 文豪ストレイドッグス 谷崎潤一郎記念館 文豪ストレイドッグス 谷崎潤一郎記念館 文豪ストレイドッグス

お庭を散策。ここのお庭が限定クリアファイルの背景に使われているのかな。のんびり写真を撮っていたら小雨が降り出した。

谷崎潤一郎記念館

限定品という言葉に弱い。クリアファイル3枚購入。後ろから抱きついているのは『痴人の愛』のナオミだろうか。

谷崎潤一郎記念館 文豪ストレイドッグス 限定品クリアファイル

なんだかんだで2館で1万円ほど使った。鈴鹿8耐に行っていたら、交通費チケット代グッズ代で多分15,000円から20,000円ほど使ってただろうから、安く済んだ方か。後はぶらぶら散歩。台風の通過後の空は夕焼けになるかと期待したが、それほどでもなかった。

参考文献

  • 芦屋市立美術博物館 上映会資料
  • チャペック兄弟と子どもの世界