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映像の世紀に思いを馳せる

NHKスペシャル デジタルリマスター版 映像の世紀 ブルーレイBOX

映像の世紀は、1995年にNHK開局70周年を記念して、アメリカABCと共同制作した歴史ドキュメンタリー番組。フランスのリュミエール兄弟が発明した映画を起点に、世界各国に残されている映像アーカイブを発掘して、激動の20世紀を辿っていく番組である。1回の放送は1時間15分、月1で全11回が放送された。

当番組放送前には、NHK教育(12チャンネル)で、1993年にイギリスBBCが制作した海外ドキュメンタリー「ヒーロー達の20世紀」が放送されている。こちらの方は全9回の45分形式で、ナレーションは声優の羽佐間道夫、内容の方はというと、リンドバーグやヒトラー、エルビス・プレスリー、マリリン・モンローなどが登場したが、随分前の番組なのでほとんど記憶に残っていない。OPとEDの音楽。NHKのドキュメンタリー番組で現在も受け継がれている筆書風の日本語タイトルロゴをおぼろげながら覚えている程度だ。

まるでBBCの番組が、前菜か前座の様に放送され、満を持して映像の世紀の放送が始まった。今までにないキャッチャーなCG効果によるスタイリッシュな構成の番組は、大いにウケ、ドキュメンタリーファン、特にサブカルチャーに浸っていた若者達を唸らせ現在に至る伝説の番組となったのである。

2000年頃に神戸の実家から東京に遊びに行った時の話だ。今ではすっかりアニメオタクの街として知られている秋葉原のマクドナルドで昼食を取っていると、向かいのテーブルの席に着いていた20代くらいの好青年二人が、映像の世紀について会話を弾ませているのが突如として耳に入ってきた。東京まで来て、しかも秋葉原のマクドナルドという如何にもな場所で、耳にしたのが映像の世紀の話である。なんと運命的なことか。放送から5年を経てもなお、どれだけコアなファンの心を掴んでいたか、この出来事から窺い知ることが出来たのだった。彼らは第3集のラスト間近、アメリカ大恐慌の模様を伝える映像から番組のエンドロールへと至る流れの旨さと感動について、頬を紅潮させるが如く熱っぽく語っていた。

そう、そういう細かい演出が物凄く上手かったのだった。20世紀の幕開けと銘打った第一集は、リュミエール兄弟が発明した映写機のクリアでおごそかな取材映像から始まり、突如白黒ムービーへと移る。話が進むにつれて、加古隆の名曲「パリは燃えているか」がどこからともなく静かに流れ出し、好景気に沸いたアメリカの狂乱、台頭したヒトラーの演説、第二次世界大戦の惨劇、ベトナム戦争とマリリン・モンローの慰問などの映像を目まぐるしく流していき、あの荘厳なOPが始まるのである。

そのOPも秀逸極まりない。1990年から1900年までの数々のキーワードを弾幕の様に張り巡らせながら遡っていく背景に、画面中央にはその時代を象徴するかの様な特殊フォントで飾られた西暦とその年を彩った事件が流れ、最上層には切り抜かれた映像と歴史的大事件や文化人・政治家の名前などが四方八方から目で追うのが大変なくらい目まぐるしく現れては消えていく。まるで20世紀という時代を、年表と映像とCGフォントで表現した1つの映像芸術作品の様相を呈しているのだ。

ちなみにOPの年表は1990年から始まっているが、その年のキーワードは一言もない。放送は1995年である。僕はこのOPを見た時、即座にNTT出版から発刊された「情報の歴史」を連想した。その本はNTTに勤めていた父が記念に貰って持って帰ってきた物で、有史以前から1989年までの歴史を政治・経済・文化・テクノロジーなどの5つ程の項目に分けて、見開きでその年に何が起こったかを壮観出来る年表だった。数々の出来事は色分けされ、重要項目は大きなフォントで記載されていた。現代に近づくにつれて、我々の世代に馴染み深い言葉も出てくる。ファミコンや風の谷のナウシカなどだ。その最後の年が1989年で、オタクバッシングにも繋がった不幸な「宮崎勤事件」が表記されてあり、「おたく」等のキーワードが記載されていた。1990年の項目もあるが、僕の記憶が正しければ、その年のページは真っ白だった気がする。

映像の世紀の話に戻そう。背景の年表に、「おたく」や「風の谷のナウシカ」等のキーワードを見つけた時、また年表が1990年から始まってるのを見た時に、これはひょっとしたら、このOPを制作したクリエイターはNTT出版の「情報の歴史」を下地にしたか、参考にしたのではないかと勘づいたのだった。そして、映像の節目で現れる、歴史的事件や著名人をCGフォントによって表したあの感動的なアイキャッチは、「情報の歴史」の中で目を惹く大きなフォントで記載された事件や人名を想起させた。同じ方法を使っていると思ったのだった。紙の上の効果を、映像の上にも応用させたのだと。

奇しくも1995年は、日本において、政治文化あらゆる面でターニングポイントとなった年だった。1月17日には、都市直下型地震の阪神淡路大震災が起こり5000人以上が亡くなった。倒壊した高速道路の高架橋やビルや住宅、大火災に見舞われる街並みがリアルタイムでお茶の間に放送され、日本人の防災意識を一転させる出来事となった。3月には東京で地下鉄サリン事件が起こった。戦後初の国家の中枢を狙った大規模な毒ガステロ事件は、50年以上騒乱を知らなかった日本人に衝撃を与えた。アニメマニアだけでなくインテリ層にも一大ブームと論争を巻き起こした新世紀エヴァンゲリオンが放送されたのもこの年だ。庵野秀明監督にとって、NHKで放送されてコアな人気を博したふしぎの海のナディアの次回作が、日本だけでなく、世界中のアニメファンに愛される代表作となった。マイクロソフトがwindows95を発表、今のパソコンの原型となるOSが初めて日の目を見た。店の前のお祭り騒ぎで訳も分からずに購入した客たちも話題になった。

そのような時代背景の中で映像の世紀は放送された。

第1集 20世紀の幕開け

カメラは歴史の断片をとらえ始めた

リュミエール兄弟が撮影した映画「工場の出口」を皮切りに、クロード・モネやオーギュスト・ルノワールの創作風景、万国博覧会に賑わうパリの光景、ヨーロッパの王侯貴族の様子など、普仏戦争以来50年以上戦争のなかった19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパの牧歌的な映像が続く。

モダンダンスの創始者、イザドラ・ダンカンが大きく取り上げられている。この放送がなければ、おそらく一生馴染みのなかった名前だったことだろう。ロシアの文豪トルストイの映像も残っていたのには驚きだ。当時南アフリカで人種差別解消運動に奔走していたマハトマ・ガンジーに宛てた手紙の朗読が印象的である。

物語の終わり頃になると、牧歌的な空気も薄れてくる。帝国主義によるヨーロッパ各国の軋轢が顕在し始め、サラエボの一発の銃声をきっかけに、複雑に絡み合った利権のマグマは一気に噴出、ヨーロッパは第一次世界大戦へと突き進むことになる。

第2集 大量殺戮の完成

塹壕の兵士たちは凄まじい兵器の出現を見た

第一次世界大戦の勃発と塹壕戦の様子、ホッチキス機関銃、飛行機、毒ガス、戦車などの新兵器の登場で凄惨さを増す戦場の様子が、当時の映像を通して描かれている。

この回で何といっても見所なのは、エンディング間近のウインストン・チャーチルが記した「世界の危機」の朗読だろう。シーザーやナポレオンが戦場に自ら赴いて馬上で指揮を執る英雄の時代は終わりを告げ、司令官が、物憂い執務室で電話1本で幾千万の兵士を死に追いやる命令を下す戦争へと時代は変わったとするあの一節と、同時に流れる鮮明な緑に萌えるベルダンの丘に立つ無名兵士の墓のおびただしい白い十字架の映像、背景に流れる「パリは燃えているか」の共演が、一個の芸術作品として見事に昇華されている。歴史ファンやドキュメンタリーファンを唸らせ、未だに語り草となっているラストシーンだ。

ちなみに新・映像の世紀では、ドイツ帝国皇帝ウィルヘルム2世の映像や、出征兵士に向けた肉声、敗戦後亡命先で薪割りをしている珍しい姿などが、放送されることとなった。

第3集 それはマンハッタンから始まった

噴き出した大衆の欲望が時代を動かした

何とも秀逸なタイトルの付け方だ。第一次大戦終結後の好景気に湧くアメリカと、ブラックチューズデーに端を発した1929年の株価大暴落までが、この時代の寵児スコット・フィッツジェラルドの証言などを通して描かれる。1920年代のアメリカは、パクス・アメリカーナの夜明けを告げるに相応しい繁栄を謳歌していた。ジャズ、フラッパー、禁酒法、ギャング、株式投資。そしてこの回のラストも大恐慌の始まりという時代的不幸で終わりを告げる印象的なシーンに仕上がっている。

第4集 ヒトラーの野望

人々は民族の復興を掲げたナチス・ドイツに未来を託した

放送開始前の予定タイトルは「国家の狂気」だった。本放送で採用されなかったタイトルは代わりにOPのCGに用いられた。

さて今回は、歴史ファンなら誰もが興味を持つヒトラーの回だ。ヒトラーのドキュメンタリーは、ドイツの放送局が作った6回シリーズのドキュメンタリーがより詳しく、メインBGMも如何にも狂気の独裁者といった仰々しいものだったが、「映像の世紀」の方はいつもの流麗なBGMにまとまっており、史上最も罪深い独裁者を一個の人間として扱っている。

ヒトラーの出生地ブラウナウの風光明媚な映像から始まる今回は、ナチスが如何にして権力を掌握し、大衆を惹きつけたか、彼の演説の映像に焦点を当てることで、詳細に解明しようとしている。日本人にとってドイツ語は馴染みが浅いものだが、実際にヒトラーのがなり立てる様な声を張り上げての演説を聴いていると、非常に高揚させられるものがある。真似てみたいと思う程だ。敗戦後のインフレと失業者の増大に苦しむドイツと、ヒトラーの登場で立ち直っていくドイツの比較も分かりやすい。その一方で、負の側面であるゲットーなどのユダヤ人排斥政策もきちんと描かれている。

平和の祭典ベルリンオリンピックを経たヨーロッパはやがて緊張に包まれる。国民投票によるオーストリア併合、独伊英仏首脳によるミュンヘン会談を経てのチェコスロバキア・ズデーテン地方割譲、領土の野心を燃やしていくヒトラーは遂にチェコスロバキア全土に軍を押し進め、ヨーロッパに平和を取り戻したと自負していたイギリス首相ネヴィル・チェンバレンを失意のどん底に突き落とす。その際のチェンバレン首相の悲痛が滲む演説も聞き応えがある。

そして第二次世界大戦の勃発。ヒトラーはポーランドに電撃的侵攻を敢行する。世界は再び、人類史上類を見ない凄惨な世界大戦へと突入するのである。

新・映像の世紀では、ヒトラーの別荘での一個人としての様子や愛人エヴァ・ブラウンなどの映像が採用されたほか、なるべく多くの失業者に仕事を与えるために重機を用いなかったアウトバーンの建設方法、今で言うワークシェアリングや当時新しかった公共事業、労働者のための保養施設や、週休2日制40時間労働などを取り入れた政策で、不況に苦しむドイツを甦らせ、国民の圧倒的支持を集めたヒトラーの功績が、第二次世界大戦における対ソ戦での殲滅作戦や強制収容所などのユダヤ人政策の罪過とともに描かれた。特に前者は、格差社会や劣悪な労働環境が社会問題として浮上した失われた20年を地で行く今の日本に直接リンクさせる意図があるものと思われる。新・映像の世紀が単なる過去を回顧するだけの歴史ドキュメンタリー番組ではなく、監視カメラやスマートフォンなどの登場で一挙手一投足が四六時中映像として記録される真の意味での映像の世紀と呼べる21世紀に生きる我々の実生活にも訴えかける構成となっているのは見過ごせない点だ。

第5集 世界は地獄を見た

無差別爆撃・ホロコースト・そして原爆

タイトルの通り、全編を通して凄惨な第二次世界大戦の模様が当時のフィルムで甦る。映像の世紀の定番となっているCG効果も絶妙で、廃墟の窓枠に戦場の凄惨な映像を合成して流すなど、1時間15分を退屈させない構成にまとめ上げている。この手法は新・映像の世紀のヒトラーと第二次世界大戦を扱った第3集冒頭でも使われている。まるで旧映像の世紀を想起させるかの様な演出だった。

ホロコーストのシーンでは、BGMを極力抑えている。これが一昔前のワイドショーなら、ホラー映画か何かの様な凄惨極まりないBGMで視聴者の恐怖心を掻き立てていたことだろう。「映像の世紀」ではそのような愚かな演出はしなかった。死んでいった犠牲者達に対するレクイエムであるかの様に、映像に記録されている死者の尊厳を冒涜しない為であるかの様に、最小限のBGMを流すだけに留められていた。

第6集 独立の旗の下に

祖国統一に向けて、アジアは苦難の道を歩んだ

世界大戦から一転して、アジアの独立運動に焦点を当てる。中国独立の父・孫文、国民党の蒋介石、中国共産党の毛沢東、ベトナム独立戦争の英雄ホー・チ・ミン、そしてインド独立運動のマハトマ・ガンジーの生涯にスポットが当てられる。放送前のサブタイトルは孫文の有名な言葉「革命いまだならず」。

第7集 勝者の世界分割

東西の冷戦はヤルタ会談から始まった

旧ソ連の避暑地ヤルタで開催されたヤルタ会談での、米英ソ三巨頭のやりとりの記録を元に、ヤルタ体制と呼ばれる戦後の世界情勢を振り返る。ヤルタ会談自体は映像には記録されていないが、その前後の映像と写真をつなぎ合わせて、声優のアフレコで英国首相ウインストン・チャーチル、ソ連共産党書記ヨシフ・スターリン、アメリカ合衆国大統領フランクリン・D・ルーズベルトのやりとりを見事に再現している。「チャーチルというのは、油断したらポケットから1カペでも盗みかねない男だ!」などスターリンの辛辣なチャーチル評を、声優が熱のこもった演技で演じているのが印象深い。チャーチルもスターリンに対して応酬している。

ヤルタ会談によって、ポーランドやドイツの領土問題、ソ連の対日参戦を促す極東密約などの重要事項が締結された。

第8集 恐怖の中の平和

東西の首脳は最終兵器・核を背負って対峙した

米ソ両陣営による核開発競争に晒された世界を顧みる。ソ連共産党書記長ニキータ・フルシチョフの仕掛けたキューバ危機を、アメリカ合衆国の若きリーダー、ジョン・F・ケネディ大統領がどの様に克服していくか、緊迫した当時の政府内の模様を描き出していく。

第9集 ベトナムの衝撃

アメリカ社会が揺らぎ始めた

放送前の予定されていたサブタイトルは「超大国が揺らぎ始めた」だった。こちらの方がサブタイトルとしてカッコイイと思うが、「アメリカ社会が揺らぎ始めた」がリード文として採用された。このリード文も短くて小気味よいと思う。

ベトナム反戦運動を軸に、キング牧師の公民権運動や、ブラックパンサーなどの黒人暴動、アポロ13号の月面着陸、ヒッピー文化、LSD、ロックフェスティバルなど、1960年代から70年代のアメリカを象徴するシーンが盛り込まれている。「パリは燃えているか」もエレキギターバージョンや宇宙バージョンで流される。他にもジミ・ヘンドリックスのギター音が、チャプターの導入BGMとして流されるなど、現代的な構成仕様になっている。

「We shall overcome」が歌われる中で、メインテーマが重なり、歴史的映像に感動の重みが増す。興奮で震えるほどだ。歴史ドキュメンタリー番組でこれほど物語性を持った作品は他に見当たらないだろう。第9集に限らず、巧みに編集・再構築された映像を通して、時代の奔流を感じることが出来る希有なドキュメンタリー番組である。

第10集 民族の悲劇果てしなく

絶え間ない戦火、さまよう民の慟哭があった

20世紀は難民の世紀でもあったというナレーション、21世紀もまた難民の世紀となりつつある。2015年、シリアの内戦により、ヨーロッパにシリア難民が大量に押し寄せた。あるヨーロッパの国は無慈悲に排斥し、かつてユダヤ人を大量殺戮したドイツは寛容に受け入れた。難民が生まれる背景とその後の終わりなき戦いを、残された映像で探る。ユダヤ人の歌う歌が非常に印象に残る。放送前のサブタイトルは「さまよえる民」

第11集 JAPAN

世界が見た明治・大正・昭和

映像の世紀の最終章を締めくくるのは我が国日本。明治・大正・昭和に残された貴重な映像で振り返っていく。主に明治末期から太平洋戦争終了後の混乱期、サンフランシスコ平和条約締結までが描かれている。その後の高度経済成長は全く出てこないが、ラストシーンの映像として、サブタイトルテロップとともに、1970年の大阪万博の開幕映像が流れる。1970年は現代日本のターニングポイントで、戦後から続いてきた高度経済成長時代が終わりを告げる象徴的な年代でもあった。

「映像の世紀」以後も、様々な歴史映像ドキュメンタリー番組が制作された。同じNHKの「日本映像の20世紀」や、1992年から2002年までの10年間、朝日放送の深夜枠で放送された「映像タイムトラベル」など。どれも秀逸な番組なので、機会があれば視聴をお薦めしたい。

そして20年の歳月を経て、2015年10月より6回シリーズで「新・映像の世紀」が放映中である。そちらの方も是非併せて視聴いただければと思う。