紅葉づいた山を背後にいただく宇治川を渡ると、巻物を手にしてきょとんと座している紫式部の石像が見える。なんでも紫式部が記した源氏物語の最後の十帖がここ宇治を舞台にしているとか。源氏物語といえば谷崎潤一郎が現代語で訳したものがある。先日、関西文化の日に芦屋にある谷崎潤一郎記念館を訪れた際に立ち読みしてきたが、ページをひらくと有名な冒頭が暖かみのある現代語に訳されていた。
紫式部の像を過ぎると細長い道に土産物店が立ちならび、宇治茶や抹茶のスイーツなどを売っている。その先に平等院鳳凰堂がある。改修工事を経て、今回15年ぶりに夜間特別拝観が実地されるということで、すでに行列が出来ていた。寒い中、紅葉を撮りながら待つ。あたりはすでに闇に覆われておりライトアップされた紅葉だけがあかあかと輝いている。
貼らないカイロを持ってきておいてよかった。夜6時に開場だったが、スタッフが気を利かせてくれて15分早く開場した。ぞろぞろと人が動く。まるで腸のような行列だ。終わったかと思えばまだうねうねと続いている。
ライトアップされた平等院鳳凰堂は数年前の昼間に訪れた時よりも美しい姿でそこにあった。池の水面に見事に反射している。中央には阿弥陀如来坐像が金色の輝きを放ちながらこちらを見守っている。無宗教のこの時代にこれだけありがたみを感じるのだから、昔の人はもっとありがたみを感じたのだろうか。それこそ極楽浄土のように。
平等院鳳凰堂とは何か。「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」と詠んだことで有名な藤原道長の息子で時の関白藤原頼通が、父から譲り受けた別業を寺院に改めたとある。永承7年(1052年)の事で、末法初年にあたるらしい。末法思想。20世紀末に話題になったノストラダムスの大予言のような感じだろうか。それともヨハネの黙示録のようなものだろうか。
それにしても人がたくさん。やはり15年ぶりの夜間特別拝観ということもあるし、Instagramの流行もあるのだろうか。皆スマートフォンやタブレットや一眼カメラを取り出して、リフレクションが美しい平等院鳳凰堂の姿を収めようとしている。一億総写真家時代の感がある。しかし日本人のカメラ好きは今に始まった事ではないのではないだろうか。一昔前の海外の映画に出てくる日本人観光客は必ず首から黒いカメラをぶら下げていた。
中央からの平等院鳳凰堂の姿を皆撮りたいので、長蛇の列がうねうねとできている。待ち時間は30分くらいだっただろうか。不思議と長く感じなかった。番が回って来たので早速写真に収める。しばらくしてから後ろの人と交代し、サイドからも撮ってみる。
後ろから「ほら、あの人みたいに綺麗に撮ってよ」というおばさんの声が聞こえてきた。何だか小っ恥ずかしくてカメラの電源をオフにする。
鳳凰堂の姿にありがたみを感じつつ、先へと進むと今度は紅葉が赤々と色づいていた。石段を登ると梵鐘もある。先ほどの紅葉が背後を覆っていてとても美しく見える。
さらに先を進むと、観音堂があり、ここから見える観音像などもまた煌びやか。拝ませてもらった。
さて時間いっぱいまでゆっくりと堪能した帰り道、流石にこんな夜だと土産物店はやっていないだろうと思ったら、店が一つ開いていて、人の良さそうな店主がニコニコとこちらを見ている。しかしこの日は連日の山登りを兼ねた小旅行で疲れが出ていたので、何も買わずに帰ってきた。一つ茶団子でも買っておけば家で愉しめたかもしれない。また機会があれば今度は昼に訪れてみよう。