20年ほど前にスカパー!のシネフィルイマジカという名画チャンネルを契約していたときに、或る映画の予告編が流れてきた事があった。工場の出口のような所から同じような作業服を着た大勢の人がゾロゾロと出てくるシーンで、映画の舞台がソ連である事が解説に流れてきたが、先日映画館に赴いた際に『ひまわり』HDレストア版の告知ポスターが架けられていて、ふとそのシーンを思い出した。あぁこの映画か、と観る事に決めて後日再び映画館に赴いたのだが、この日2度目の映画鑑賞で3時間の長尺を観た後だったので体が鈍ってしまってもどかしい、ストレッチマンを召喚したい程の気分だった。
映画が始まるとパンフォーカスの広々としたひまわり畑が流れてきたが、HDレストア版を謳うわりには、小さなひまわりの描写がPhotoshopで塗り潰したようだと感じた。一輪の大きなひまわりにクローズアップされても期待していたほど精細というわけではない。しかしながら元の状態が随分悪かったとのことであるし、直近で観た映画が最新作だったのでバイアスがかかってしまったのだろう。それに普段写真を撮っているから動画と写真の画質を無意識のうちに比べてしまい期待を膨らませすぎたというのもある。デジタル修復を担当したのはイマジカで、画質/音声共に現在の技術で出来うる限りの細かな修復が施されている。良質なフィルムが残っていない理由として、『ひまわり』が日本だけ根強い人気が出たという点が上げられていた事も書き添えておきたい。
しかしながら名画にハズレ無しで、大勢の支持を得た作品はやはり良い、全編に渡って楽しく鑑賞できた。最近の映画は現在と過去を行ったり来たりする(タイムトラベルという意味ではない)意識の流れを多用したものが多く、観ていてストーリーについて行けなくなったり疲れたりするのだが、この映画はほぼ時系列で進展していく上に、ストーリーが至極単純で面白い。直近で観たヒューマンドラマ『在りし日の歌』にもちょっぴりサスペンス風の仕掛けが盛り込まれていたが、こちら『ひまわり』も『母をたずねて三千里』にも似た冒険が盛り込まれており、ハラハラドキドキ感を久しぶりに味わう事が出来た。
冒頭のひまわり畑には、その地の独ソ戦で命を落としたドイツ兵、ソ連兵、イタリア兵、虐殺された住民など様々な人種の遺骸が埋まっていると事だが、映画も中盤の第二ステージに差し掛かると、独ソ戦の記録映像を織り交ぜたかなり長い戦争描写が、敗残兵として撤退するイタリア軍の雪のロケーションと共に紡がれており、イタリア気質の陽気な出征シーンから一転して戦争の過酷さを観る者に催させる。これが雪ロケの効果もあり、またエキストラの数もそこそこ多くなかなか本格的で、陽気な第一ステージとはガラッとイメージが暗転する。
では冒頭はどうだったかというと、耳に馴染みのある名曲と共にひまわり畑のシーンが一端終わると、黒い服に身を包んだソフィア・ローレンが軍関連の役所で恋人の消息を必死になって尋ね回っている。このシーンもまた背後に細緻なイタリアゴシック建築が控えており見物だが、そこからまたシーンは一転して過去へと遡る。風光明媚なイタリアの海岸のパンフォーカスにシーンは移り、それが海岸の岩陰にぎこちなくズームアップされて、2人の男女が乳繰り合っている姿がクローズアップされる。今コロナ禍で頻繁に出てきてネタにもされている「濃厚接触」の映像化。過去に観た予告編からてっきりソ連の映画かと思っていたが、テロップがイタリア語で更にこのシーンでイタリア映画である事をここではっきりと悟った。その後しばらく情慾的なシーンが続くが、男の方が金のイヤリングを呑み込んでしまいハンサムな顔を歌舞伎役者のように滑稽に歪ませてもがき苦しむ。女は女の方でそれ金のイヤリングよと慌て水を飲めと促し、どこにあると尋ねられると目の前にあると海水を示して男は言われた通りにし更に状況を悪化させる。その後は海岸でお喋り。親は何をしているだとか、いろんな事をペラペラと喋っていた。海岸で出会った途端に恋に落ちこのような事をして、やはりイタリア人は恋に生きる人種なのだ。イタリアに旅行に行った知り合いの女の子がイタリア人男性によく褒められて、ホンマ日本人と比べると・・・、というような愚痴をこぼしていたが、ふとそのことを思い出すシーンでもあった。
その後は家でご飯を食べようという事になり、祖父に倣い24個ほどの卵でオムレツを作る。そのシーンが丹念に描かれるが24個の卵黄と白身の混ざった薄い液体がフライパンに注がれているのを観て気分が悪くなってきた。できたオムレツはホットケーキのように分厚く結局食べきれない。窓から捨てようとすると、母が持ってきたとおぼしき籠に新鮮で真っ白な卵が山積みされている。このシーンでは、ソフィア・ローレンが卵の殻を腕でさーっと籠に戻すのだが、美貌の持ち主にもどこか人間味が出ていて滑稽だった。
時は第二次世界大戦の最中、イタリアはファシストのムッソリーニ政権下。結婚すれば2週間の休暇を与えられるいう事で2人は結婚したが、まだ一緒に居たい。そこで気が狂ったように装い、精神病院に送られるが、面会の部屋で早速乳繰り合っているところ、壁に掛かっているキリストの絵画に穴が空いていて濃厚接触しているところを見破られてしまう。イエス様は何でもお見通し、というわけだ。
懲役か兵役かを選ばされ、独ソ戦に向かう事になるが、ソ連軍による猛反攻に戦線は瓦解、豪雪の大平原を敗走中に力尽きる。一方でイタリアに残された女は「夫はまだ生きている、現地の人に助けられて生き延びた例もある」と軍政局に食ってかかるが取り合って貰えない。そこで単身ソ連に向かい夫を探し出す決意をする。モスクワの雑踏の中でソ連に帰化したイタリア人らしき男を見かけて後を付け夫の消息を尋ねるが手がかりは皆無。しかしイタリア人がいたから夫も必ずどこかで生きているという確信を強め、コーディネーターを伴い、ひまわり畑や様々な村を尋ね歩き、ようやく夫と再会するが・・・。
広大なロシアの地で方々の村を回り失踪したイタリア人の夫を見つける事が叶うという展開はご都合主義ではあるが、スクリーンにのめり込んでいるのでそんなのは些末な事に過ぎないと受け流す事が出来る。或る町の家に住まう美しいロシアの若い主婦が夫の再婚相手であると分かり、衝撃的な事に2人の間にもうけていた娘もまだ小さく、母親は八つ当たりする事で母の威厳と威嚇を前妻に見せつけるかの如くやたら躾けに厳しい。駅で仕事から帰ってくる夫と遂に相まみえる事になるが、哀しみが炸裂して発作的に電車に飛び乗り言葉を交わさずじまいで町を後にする。
ここで映画が終わっていれば、歴史の運命が夫を他の女に走らせ結果的に捨てられた女という悲劇的な結末で綺麗な収まり方だ。監督自身もそのつもりだったらしいが、それはソフィア・ローレンの演じるイメージにそぐわないと、実生活で夫となるプロデューサーが許さなかったらしい。その後イタリアに戻った彼女は笑顔で敬礼する元夫の写真や思い出の品を破り捨て、ここで夫の母親との対照的なシーンも描かれている事から、女の中での夫との関係がガラリと変わった事が窺える。今度は元夫の方が彼女を忘れられず単身ソ連からイタリアにやって来て再会を乞うが、それを拒む。諦めきれずに2人は会う事になり、お互い総てを受け入れて再び駅で別れを演じる事になる。
ソ連ロケは許可がおりづらかったらしいが映画の内容を知らせると許可が出たという。モスクワの美しい景色や街の大雑踏の他に、小さな町のシーンでは原子炉のような建物も緩やかな白煙を吐いていて如何にもソ連を象徴する建造物だと思ったが、火力発電所の炉だという。
人の記憶は当てにならないもので、全員同じ服を着ている工員かと思ったら普通の服を着ているロシア人の群集だった。冒頭で24個の卵を使ってオムレツを作るが、まるで漫画のようなオムレツでふと宮崎駿のアニメに出てくる食べ物のシーンを連想した。冒頭と中盤からガラッとイメージが変わるが、あの冒頭の賑やかしさやエネルギッシュで溌剌としたパワフルな勢いはどことなく宮崎アニメの勢いとも似通ったものがある。
この日は図らずも共産主義国家を舞台にした映画を2本続けて観たのだが、名作にハズレなし、という事で昔の映画を渉猟するのもアリかなと思った次第。この映画を観に行った日は、日本テレビの金曜ロードショーで1980年代の名作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が久しぶりに地上波放送された日でもあった。次はファイナルカット版で上映中の『地獄の黙示録』を観に行く事になるだろう。そして嬉しい事に、宮崎駿監督ほかのジブリ作品『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲト戦記』が6月26日より全国の劇場で上映されるという。これは観に行かないわけにはいかない。コロナ禍で映画館も営業停止・客も激減で大変だが、映画の灯火が消えないように多くの名作を劇場に観に行きたい。