永遠に僕のもの – 美少年と美青年の耽美な駆け引きが交錯する美しいクライムムービー

観たいと思っていた映画がいつの間にか最終日になっていたので、レイトショーで観に行ってきた。映画作品の上映はあっという間に終わるイメージがあるが、掲げてあったポスターに記されていた上映日を観ると実際には1ヶ月ほど上映していた計算になり、映画の上映期間よりも人生の時間の方が過ぎ去るのが早いということを実感した。今年の夏ももう終わりだ。

夏と言えば花火で、近畿各地の花火大会や趣味のコスプレ撮影に忙しかったので、8月は映画を1本も観ていなかった。そこで9月に入ってからまだ観ていない映画や観たい映画を観に行ってきたのだが、この日は映画を2本観た。日本映画の『タロウのバカ』、引き続いてアルゼンチン・スペイン映画の『永遠に僕のもの』。

国籍は違えど、どちらもクライムムービー、しかし『タロウのバカ』は完全にオリジナル脚本で、本作の方は1970年代に実際にアルゼンチンで起こった美少年による連続殺人事件に着想を得ている。どちらの映画もラストで破局を迎えるが、主人公達が直面した現実に対するその捉え方は全くの正反対となっており、どちらも主人公は美少年で、図らずも合わせ鏡の映画を観ているかのようだった。

原題は『EL ANGEL』、スペイン語で天使という意味。舞台は1970年代初頭のアルゼンチンで、盗みを繰り返していた美貌の悪童カルリートス(ロレンソ・フェロ)が、少年院を出所後に入れられた技能学校で窃盗一家の息子ラモン(チノ・ダリン)とひょんな事から意気投合し、ラモンの父親ホセ(ダニエル・ファネゴ)とタッグを組んで、銃器店から銃を大量に奪ったり、豪邸に押し入って高価な絵画などを盗んでいく。その過程でカルリートスは何の躊躇いもなく殺人を繰り返していき最後には片思いのラモンをも死に至らしめるが、その姿はまさに黒い天使だった。

あらすじ

冒頭はお金持ちを彷彿とさせる瀟洒な部屋で、カルリートスがポップな音楽に合わせてダンスを踊るところから始まる。部屋の様子からカルリートスが恵まれた家の子供であることが窺えるが、モデルとなったカルロス・エドゥアルド・ロブレド・プッチも読書が好きでピアノも習っていたとある。

そんな主人公が意外なことに犯罪行為へと自ら突き進んでいくのだが、そのきっかけとなるラモンとの邂逅は冒険的且つ暴力的まるでボーイズラブにあるストーリーのよう。煙草を巡りライオンの諍いの様な喧嘩の果てに奇妙な友情が生まれ、ラモンの家に誘われたカルリートスはラモンの父のホセから銃の撃ち方を習い、タッグを組んで窃盗行為に明け暮れるようになる。家の主人に見つかったことからカルリートスは銃を放つが、その行為をホセに咎められ共同で仕事をするには向かないと言われる始末。だが当の本人は臆面もなく、その後も窃盗中に邪魔が入ると銃でためらいなく人を撃ち殺していく。

車で窃盗旅行中に警官の検問に引っかかってしまい、身分証明書がなく留置所行きになる所を、捜査官を買収して家に取るに戻るが結局警察署には戻らず結果的にラモンを裏切ることになる。その際に捜査官がもし戻ってこなかったら股間(?)に電気を流すと言うようなセリフがあったり、個人の識別番号を言わされたりと、今で言う日本のマイナンバー制度がアルゼンチンにあったことになるが、当時はかなり強圧的な政治状況にあったのだろうかと思わせる描写。

その後に、盗んだ絵画を処分する過程で知古を得たゲイの資産家とラモンがニューヨークに旅立つことを知ったカルリートスは、ワザと自動車事故を起こしてラモンを死に至らしめるが自分だけは大した傷も負わずに生き残る。これはラモンを失うことによる発作的な自殺未遂なのかそれとも計算ずくされた他殺なのか。

やがてカルリートスは警察に掴まるが、広く影響を及ぼしていた「ロンブローゾ理論」では殺人犯の顔つきには醜悪な所がある、その説を単純に帰納すれば犯罪者は凶悪な顔をしているとされていたが、それを覆すような美少年だとニュースで解説される。その美貌から女達を熱狂させることになる。映画のキャッチコピーにもあったように「世界中の女が発情」した。

その後脱走を試みて廃墟となったラモンの家に辿り着くが、警察に幾重にも包囲されてしまう。銃を構えた警官の影が背後に見える中で、カルリートスはポップな音楽をかけてダンスを踊り続ける。死をも厭わないような態度だが、この映画のモデルとなった犯人カルロス・エドゥアルド・ロブレド・プッチは終身刑を受け今も服役中で、彼の独房にはピアノがあるという。

美少年が美青年に仕掛ける駆け引き

予告編を見たときに『ベニスに死す』のタッジオ少年の美貌と重なるところがあったのがこの映画を見てみようと思ったきっかけだが、相棒のラモンも目元涼やかで瑞々しく、雄々しくもまだ子供っぽい幼さを輝かせた瞳、もみあげのせいか『パタリロ』のバンコランとその容貌を重ねていた。或いはFGOのナポレオンのイラストに似通ったところがあった。共通するのはもみあげだが、これも一つの魅力なのだろう。

スマホゲーム『FGO』のナポレオン・ボナパルト。

美貌の少年カルリートスは冒頭では瀟洒な部屋で、ラストシーンではラモンの住んでいた貧しい家でダンスを踊っているが、演じる主役のロレンソ・フェロはKiddo Toto名義で音楽活動も行っており、PVでもヒップホップダンスを踊っている。『タロウのバカ』の主役のYoshiも多才だが、こちらの美少年も多才の持ち主だ。

時折クローズアップされるふっくらとした唇も溢れんばかりの欲情を表しているかのよう。

映画『たんぽぽ』との類似点

初めに押し入った邸の主の老人を撃ったシーンで、老人がすぐには死なず、撃たれた心臓の上辺りを手で押さえても倒れずに、そのまま何事もなかったようにのんびりと動き出し、階段をゆっくりと上がり、トイレだっただろうか、そこに佇んで、ようやくそのまま息を引き取る。このやや長めの緊迫したシーンを観て思い出したのが、女性がラーメン店を旗揚げする過程を描いた伊丹十三監督の『たんぽぽ』という作品にオムニバス形式で差し挟まれる人生における「食」にまつわる様々な一幕のうちのひとつだ。

その1シーンでは、仕事終わりの夜に中年のサラリーマンが都会の貧しい家々を駆け抜けて線路沿いの踏切近くのアパートの自宅へと向かい、家に着くと3人の幼い子供達と医師と看護婦に囲まれて臨終の際にある妻を無理やり起こして、何かしないと死ぬぞ!メシを作れ!と急き立て炒飯を作らせようとする。妻はゆらりと立ち上げり足まである寝間着のままふらふらの呈で台所に直立して、炒飯を作る。出来上がった炒飯を食べている夫と子供達の姿を見届けると、ふっと笑みを浮かべてそのまま倒れて息を引き取る。

このシーンがふと頭に思い浮かんだ。昨今TwitterのTLに流れてくるフェミニズム思想にかぶれたツイートを見て夫婦の今昔の関係性について思念を巡らすときにこのシーンが度々浮かんでくるほど印象が強く残っており、このシーンを切り貼りしたYouTubeの再生数を見ても一般的にも名シーンと見なされている。他の映画にもこのような長いシーンがあるのかも知れない。

果たして老人は死の間際に微笑んでいたかどうか、記憶が曖昧だが今一度確認しておきたいシーンでもあった。