奈良の長谷寺でコスプレ撮影することになり、最寄りの長谷寺駅に降り立った際に、駅のホームによくある旅のパンフレットが綺麗に陳列されていたのでふと眺めてみると、京都で開催される時代祭のチラシがその色とりどりの紙の中に混じってあった。写真を飾っていたのは平安の美女だったかはたまた戦国の鎧兜の武者だったか、1度そういう行列を撮りたかったので、予定が空いていることを確認して楽しみを胸に秘めながらいよいよ当日という事になり京都へと足取りも軽やかに赴いたのだった。
神戸から京都へは昔は遠いように思えて出不精であったことも重なり全く行ったこともなかったのだが、コスプレ撮影がきっかけで太秦映画村やスタジオサイトルなどに赴くようになり、また5,060万画素の高画素一眼レフカメラCanon 5DsRを購入したこともあって、古都に触れその景色を感じたままに写し取りたいとも思い立ち、機会があれば京都へと通うことになった。これ総てカメラを趣味にしたことによる効能だ。
神戸から大体1時間半から2時間ほど、電車やバスに揺られていれば京都の主要な名所に辿り着くことが出来る。東寺の枝垂れ桜を見たり、二条城のプロジェクションマッピングの美しさに感動したり、大原の紅葉を愛でに行ったり、凍てつく貴船神社で赤く灯る灯籠に幻想を見たり、季節の折々に金閣寺、銀閣寺、南禅寺、天龍寺などの寺院を訪れたりしたが、まだまだ訪れていない場所はたくさんあり、京都は捉えどころがないほどに奥深いように思われる。
そんな古都の政治的そして精神的中央でもあった京都御所、かつてはここに天皇が住んでいたが、最近読んだ本では戦国の時代になると朝廷も困窮していたらしく、その荒れ果てた紫宸殿の様子なども描かれていたが、そこへ天下一統の野望を秘めたひとりの英雄が綺羅星の如く現れる。織田信長が帝に献金し皇室を篤く崇め奉ったのだった。その後お馴染みの曲折を経て徳川の時代になり帝も時の権力者に抑えつけられてまたしばらくは不遇の時代が続いた。公家なども困窮していたようで、屋敷を鉄火場として貸し出してしのぎを削っていたのもいたそうだ。嘉永六年(1853年)にペリーが浦賀に来航して江戸幕府の権威が揺らぎ始めるといよいよ朝廷が力を盛り返してきて関係が逆転し薩長連合に圧された幕府は瓦解、明治維新を迎えることになる。
京都御所のある京都御苑の堺町御門から、明治維新時代から延暦時代までを遡った衣装行列がゆるりゆるりと出てきては京都市街をぐるりと練り歩く。その行列は20列2,000人余にも及ぶと言うから、ちょっとした大名行列を見ているような感覚を味わえるわけだ。100万石の加賀藩で2,500人から多いときで4,000人の大名行列だったというから、80万石の大名行列を見るに等しいといったところだろうか。
最寄りの丸太町駅にはそこそこの人がいて警備員が片道通行の規制を設けていた。一番出口を出ると時代祭のスタッフが公式パンフレットを500円で手売りしていたでの買って開いてみたが、これがなかなかに中身が詰まっていて、行列の総てを解説している。例えばこの人は誰であったり、禿(かむろ)であったりと行列のイラストの上に名称が書かれている上に、衣装の細かな名称と解説まで載っている。
京都御苑の中に有料席が設けられていて、行列は中から始まるが、おそらくそこからだと上手く撮れないからという事で5月に葵祭を見たのと同じ場所にスタンバイした。年季の入ったアマチュアカメラマンも数人ほどカメラをスタンバイさせていた。
午後0時になり、いにしえの衣装を身にまとった平安騎馬隊の男女一組が騎乗の姿で現れる。
それからしばらくして長い垂れ幕を前に持った旅姿の女性達が現れ、次に文明開化の明治を彷彿とさせる黒塗りの馬車に乗った京都政財界の名誉ある重鎮達が沿道に手を振って笑顔を振りまき、それが3台通り過ぎた後に時代祭の旗を掲げた若い男が現れる。
それから行列が動き出すまでしばしの時間を要したが、やがて行列が動き出すとまずは明治維新時代の行列から始まる。
これから先は時代祭の行列の内容を写真で振り返っていこうと思う。
時代祭の撮り方や撮影スポットに関しては別の頁を設けて解説しているので、参考にして頂きたい。
今回の撮影で使用したカメラとレンズ
明治維新時代
維新勤王隊列
維新志士列
江戸時代
徳川城史時代
江戸時代婦人列
安土桃山時代
豊公参朝列
織田公上洛列
室町時代
室町幕府執政列
室町洛中風俗列
吉野時代
楠公上洛列
中世婦人列
鎌倉時代
城南流鏑馬列
藤原公卿参朝列
平安時代婦人列
延暦時代
延暦武官行進列
延暦文官参朝列
神饌講社列
前列
神幸列
白川女献花列
弓箭組列
ちょうど午後2時前に最後の行列が堺町御門の前を出たので、平安神宮へ向かった。地図だと近いように見えるが歩くと30分はかかる。まぁ近い方だろう。平安神宮前の公園に辿り着くと見物人達が左右を占めていて、ちょうど勤王列の先頭が差し掛かった所だった。
京都に着いたときには空は曇っていたが、平安神宮に着いた頃には太陽もちらほらと顔を覗かせて、雅な行列は午後の優しい光に包まれていた。