又兵衛桜という名の、日本一有名なしだれ桜があると聞いて、奈良は大宇陀まで撮りに行ってきた。何かの雑誌だったかTwitterだったかで、この桜の由来を知った。ネットで詳しく検索してみると、或るアマチュアカメラマンが写真誌に又兵衛桜の写真を投稿したのがきっかけで、一躍有名になったのだとか。約17年前に初めてハイビジョンで放送されたNHK大河ドラマ「葵徳川三代」のOPにもこの又兵衛桜の映像が流れ、知名度はぐんと上がり人気は更にヒートアップした。
葵徳川三代と言えば、太閤秀吉薨去後の権力闘争を巡る権謀術数から関ヶ原の合戦、大阪の陣、徳川幕府の治世の基礎固めまでを、家康、秀忠、家光の三代に渡り丹念に描いた、NHK大河ドラマの中でも屈指の名作だ。脚本はジェームズ三木、台詞回しが古風でこぎみ良く、聞いていて耳に心地よい。例えば先年放送された三谷幸喜脚本の「真田丸」のような、現代人の会話そのままの台詞回しで時代劇の興を削ぐ軽佻浮薄な雰囲気がなく、全編に渡り引き締まった語り口調で物語が進んでいく。
台詞だけでなく映像も見事で、後年のNHK制作の大河ドラマや歴史ドキュメンタリーでも、葵徳川三代の合戦シーンが繰り返し使われるほどに、騎馬が疾駆するシーンや騎馬鉄砲隊が銃を放つシーン、大軍が槍を突き合わせるシーンが素晴らしい出来となっている。テレビドラマにありがちな予算の関係の都合上、角川春樹監督の映画「天と地と」のような壮大な大軍が蠢くシーンはないものの、写真撮影術で言うところの引き算の哲学により、兵をクローズアップして切り取ることで、少数のエキストラを大軍のように見せている。
又兵衛桜の名前の由来
又兵衛桜の由来となった戦国武将、後藤又兵衛基次は、大坂夏の陣で華々しく戦死した勇猛な戦国武将だ。元は豊臣秀吉の軍師である稀代の智将黒田官兵衛孝高の家来であったが、官兵衛の息子で筑前福岡藩初代藩主でもある黒田長政との折り合いが悪く、口喧嘩がきっかけで黒田家を出奔してしまった。又兵衛ほどの武辺者なら他の大名家から仕官の誘いがあったであろうが、長政が奉公構えで横槍を出し、他家への仕官もかなわず、京都四条大橋の下で露を凌ぐ程に身をやつしてしまったという。
そこへ来て大坂が不穏な事態となる。方広寺の釣り鐘の文言をきっかけに徳川家康が豊臣家を詰問、家康の要求に従わない豊臣秀頼との間で一戦交えることとなった。世に言う大坂冬の陣である。天下分け目の戦い関ヶ原からおよそ14年の歳月が流れ、もはや天下の趨勢は徳川家のものとなっていた。豊臣方に味方する大名は一人もおらず、太閤秀吉が遺した莫大な金銀を使って関ヶ原で取り潰しとなり巷にあぶれていた浪人達を雇うことになり、又兵衛にも白羽の矢が立ったのだ。大坂城に迎えられた後藤又兵衛は、その采配の見事さから、真田幸村と並んで、大坂城浪人衆の中で筆頭の地位を占めるようになる。
大坂夏の陣において、後藤又兵衛は道明寺の戦いで戦死したとされている。道明寺での緒戦は元々は又兵衛の献策が功を奏した形だったが、後詰めの真田幸村隊が濃霧のために遅れてしまい、次々と繰り出される大軍に耐えきれずに討ち死にしてしまう。この辺りの経緯や豊臣方の双璧をなす武将二人の心理模様は、司馬遼太郎の短編「軍師二人」に詳しい。大阪の陣の後藤又兵衛を題材にした優れた短編で、ちょうど読み終わったところで又兵衛桜を訪れるという機会にも恵まれた。
史実では道明寺の戦いで戦死したとされる又兵衛だが、伝承では、大坂夏の陣を生き延び、大宇陀の地に落ち延びたのだそうだ。この辺りには後藤姓の家が多いという。又兵衛が暮らしたと言われる家には一本の大きなしだれ桜が咲いていてこれを又兵衛は愛でた。これが又兵衛桜の名の由来なのだそうだ。
しかし大好きな大河ドラマのOPに流れていたあの桜が、比較的近場にあるという事に驚いてしまった。てっきり関東は栃木県の日光東照宮辺りのしだれ桜かと勘違いしていたからだ。ここ最近は風景写真にシフトを移していたこともあり、コレは撮りに行かねばと、天気予報と相談しながら日程を決めた。
今年の桜の時期は雨続きの印象だったが、又兵衛桜の満開前後の時期が見事に晴れてくれたので、カメラ2台、レンズ6本、三脚という気合いの入れようで撮影に赴く事にした。
又兵衛桜へのアクセスと周りの風景
近鉄線の大阪難波駅(阪神なんば線の終着駅でもある)から鶴橋駅で乗り換え。そこから一本で
田舎の田園風景が広がる中、春の熱気を浴びながらとぼとぼと歩いて行く。やはり訪れる人が多いのか、「又兵衛桜はこちら」の矢印がついた看板が道路の角にさしかかる度に置かれている。交通整理の警備員も配置され盛況なようだ。所々に即席の売店などが設置されていて名物の草餅なども売っている。
樹齢300年の又兵衛桜
午後4時を過ぎて、いよいよお目当ての又兵衛桜が見えてきた。遠くからでも綺麗。又兵衛桜に辿り着く道の途上に、即席の入り口が設けられていて、100円の入園料を支払う。又兵衛桜の保全費用に使われるという。確かに警備員を雇ったり、周りを整地したり、樹齢300年という事もあり、保全維持管理に何かとお金がかかりそうだ。お金を払うと又兵衛桜の写真がプリントされた綺麗なデザインのチケットを貰えた。
実際に見てみると大きい。さすが樹齢300年だけのことはある。シャッターも弾む。
京都や奈良、姫路城に先日観光に訪れた際には、中国人や欧米人の観光客が多かったが、又兵衛桜に関してはそういった外国人観光客がほとんどと言っていいほど見当たらない。日本人以外には余り知られていないのだろうか。中心地よりも遠い田舎のせいもあるかもしれない。電車も乗り換えなければならないし、外国人にはアクセスの敷居が高いのだろうか。
奥の方まで進むと、簡易テントが設置されていて、地元の奥さん達がぜんざいやおでん、名物の草餅、カップ麺などを売っていた。自動販売機も置いていたが、お茶は全て売り切れ。カップ麺を買おうとしたら、ぜんざいもいかがですか?と陽気に声を掛けられる。もう終了間近という事で、おでんの卵をオマケしてくれた。ありがたい。
腹を満たしてからも日が暮れるまでパシャパシャとあらゆる角度から写真を撮っていった。さて今回のメインイベントという事で、対岸から三脚を立てて、星空と又兵衛桜のコラボ写真に挑戦する。三脚を立てて待っていたら、隣に同い年くらいの男性が来て同じように三脚を立てて、こちらのカメラを見て話しかけてきた。カメラの機種や装着しているレンズの焦点距離について話題が弾む。この日の星空指数は60だと教えてくれた。撮影現場でのカメラマンと交わす会話が、有益な情報収集にもなる。
さて、夜も暮れて寒くなる中での念願の星空撮影。数年前から夜桜ライトアップはなくなってしまったが、何とか上手く撮れた。本当は天の川も撮りたかったけれど、星空指数60では無理みたいだ。
朝方になると、人が大勢集まりだしてきた。写真雑誌に朝方に撮るのが一番良いと書かれていたからだろうか。又兵衛桜の周辺も、対岸もカメラマンだらけだ。後ろを振り返れば観光客のために整備された駐車場や田んぼの畦に三脚を構えてベストショットを狙っているカメラマン達の姿が見える。まるで何かの一大イベントでも始まるかのように皆が何かが始まるのを待ち構えている。真っさらな沈黙の中で潮のように盛り上がり、時折早朝の散歩を楽しむ地元の住民が通ったりする。陽が山の上に昇り、優しくも怜悧な光が又兵衛桜と水仙の花を照らし出す。
また来年機会があれば来ようと思う。