コスプレイヤーとカメラマンの関係 – 理想的な撮影方法を探る

撮影は鳥のように自由でありたい。

コスプレイヤーとカメラマン、この二つは相性が良いときもあれば悪いときもある。人格を形成する未成年時に置かれていた家庭環境や、人間関係などにより培われた人生観が、対人関係における対処に大きく左右しているから仕方の無い事と言えば仕方が無い事だ。そこを踏まえてコスプレという趣味を介して、この2者が良好な関係を築くにはどうすれば良いか、という事を考えてみたのだが、人には好き嫌いがあるのだから、無理して良好な関係を築く必要もない。相性が合う人を探せば良いだけの話だ。

人類史上4番目の革命・IT革命がこれまでの生活様式を一変させ、これまで出会う事もなかったであろう人達とインターネットを介して容易に知り合えるようになった。とても便利で人生の可能性を膨らませる幸福な事だが、裏返せばそれは出会わなくても良かった人達とも出会ってしまえるという事だ。つい先日Twitterのタイムライン(TL)にも、「Twitterは混ぜたら危険な2者を容易に出会わせて諍いを生じさせてしまうツールでもある」というような事をツイートしている人が流れてきて上手い事言うなぁと感心したのだが、サービス開始当初はともかく今現在のTwitterは争い事がない時はないと言えるほどに、何かしらの不満や諍いがTLにリツイート(RT)という形で流れてくる。

いにしえのインターネットにそのような不満や諍いが無かったわけではない。むしろ今まで溜め込んできて身近な他人に打ち明ける事が憚られた憤懣事が、インターネットという匿名性のツールを介して噴出した様相がある。それらはかつて栄華を誇っていたテキストサイトや、ブログでの吐露、もっとも初期の段階では掲示板荒らしという形で顕れていたが、スマートフォンが生活に溶け込んだここ数年で、それら争い事の進展するスピードが非常に速くなった。RTというボタン一つで累乗的に憎悪や悪意が広がっていく。

戦前の事、或る月刊雑誌に投書欄があり、そこで或る二人が投書を介して匿名掲示板で見られるのと同じ文面で論戦を戦わせていたときは、1ヶ月ターンで言い争いが進展していった。またメールが日常生活に登場するまでに私信を送る手段であった手紙のやりとりには、相手に感情的にならずに一歩引いて文面を推敲する時間的余裕があった(それでも清水の舞台から飛び降りる心持ちで辛辣な手紙を送る人はいただろう)。インターネットの登場でその場にいない人とのコミュニケーションのスピードは加速したが、2000年前後はまだプロバイダに定額サービスがなく電話料金による従量制のみだったので、夜11時から朝8時まで、電話回線を介して幾らプロバイダに繋いでも一定料金以上は電話代がかからない定額制課金サービス・テレホーダイ(俗に言うテレホタイム)を利用していた関係から、やはり日中の時間帯はコミュニケーションや言い争いも緩慢となり、そこに感情の緩和や誤差が生じた。それもすぐにフレッツISDNやADSLなど定額制サービスの登場で常時接続が当たり前となり、それを皮切りにコミュニケーションがより加速していったが、それでもパソコンの電源を立ち上げるという一手間があった。

今はスマホ片手に寝転がりながら、感じた事や思った事、個人的な意見を指先を通して簡単に言語化してTwitterのタイムラインに放出する事が出来る。そして言葉足らずで真意が伝わらずにあらぬ誤解を生じさせて炎上する人がいる。或いは誤解もへったくれも無く、思ったままの憤懣事を正直に書いて炎上したりする人もいる。面と向かって言えば殴り合いに発展するであろう、言わなくてもいい事を言ってしまう人もいる。その結果として現実の世界で殺人事件に発展してしまうケースもあった。スマホの登場により、インターネットが一般家庭に広く普及し始めた2000年前後と比べると、人と人との諍いは更に加速していった。2020年の現在、Twitterがその影響力においてインターネット社会に君臨している。善意も悪意も表裏一体で拡散されていく。

コスプレ撮影の世界において、趣味を介してやはり合う人合わない人という問題は何かしら生じてくる。しかしながらそれはコスプレという趣味に限った話ではなく、他の趣味でも人間関係の合う合わないという問題は生じるものだ。そして人間関係と相性というのは、写真のクオリティにも大きな影響を与える事になる。

今回の記事では、2012年から2020年までの8年間にわたるコスプレ撮影の推移を振り返りつつ、コスプレイヤーとカメラマンの関係と、撮影時のコミュニケーションについて分類しながら、どの方法が最も理想的となり得るか模索していきたい。(全文:11,700字)