プラド美術館展 – ベラスケスと絵画の栄光

プラド美術館展 - 兵庫県立美術館

17世紀当時のスペインでは絵画や彫刻は職人の「手仕事」と考えられており、高い精神性を伴う知的な営みとしての芸術「自由学芸」とは見なされていなかった。そこで絵画や彫刻は手仕事か自由学芸かという論争が繰り広げられた。兵庫県立美術館で開催されていたプラド美術館展冒頭に飾られていたベラスケスの『ファン・マルティネス・モンタニェースの肖像』は、フェリペ4世像の頭部を制作中に手を休めてこちらを窺う彫刻家が描かれており、彫刻が単なる手仕事ではなく高い精神性を有する仕事「自由学芸」であるという事を示唆するものとされる。また画家と彫刻家、当時のスペインの二人の巨匠が1つの絵画の中に内在している事による、絵画と彫刻の対等な優位性も示唆されているという見方もある。絵画と彫刻どちらが優位かという色々とややこしい論争が当時あったらしい。

今現在では当たり前である絵画や彫刻は芸術という認識は、17世紀のスペインではまだ論争を巻き起こしている状態だった。

大きめの絵画が結構たくさん飾られていた。初めのフロアで一際目を引いたのが、アロンソ・カーノの『聖ベルナルドゥスと聖母』。大きさもさることながら、謎の白い放状線が気になったのでなんだろう経年劣化による傷か何かかなと解説に目をこらしてみると、聖母像が奇跡により動いて聖母マリアの乳房から母乳が聖人の口に注がれているという伝承の1シーンを描いた絵。キリスト教徒でない自分にとってはコントのような1シーンで笑いを堪えたくなる。

ギリシア・ローマ時代の哲人の肖像画。ベラスケスの『メニッポス』は市井の老人のような出で立ちで黒い外套のように布きれを羽織って、穏やかな表情でこちらに振り返っている。古代ギリシアの哲学者で犬儒派のメニッポス。犬儒派といえばディオゲネスが有名で、コナンドイル原作のシャーロック・ホームズシリーズではホームズの兄であるマイクロフト・ホームズがディオゲネス・クラブという私語厳禁の風変わりな会員制サロンに所属している。テレビドラマではダイオギニス・クラブと発音していた。どことなくではあるが、ストランド・マガジンに連載されていたホームズ譚の挿絵を担当していたシドニー・パジェットの絵を彷彿とさせる。それよりもいっそうなお始めに目にした時は、岩波文庫のゴーゴリ作の『外套・鼻』の表紙にある白黒の挿絵がまず頭に浮かんだ。

ヤン・ブリューゲル(父)・ヘンドリク・ファン・バーレン、ヘラルト・セーヘルスら『視覚と嗅覚』。なかなか賑やかしい、色彩豊かな絵画。どこかの宮殿のコレクション室のような場所で、絵の中に絵がたくさん描かれていて絢爛豪華。ネーデルラント総督アルブレヒト大公とイザベル大公妃のために描かれた絵のレプリカで、オリジナル作は火事で焼失した。絵の中に描かれている絵画は大公のコレクションその物だとか。

ディエゴ・ベラスケス『マルス』。頬杖を突いている軍神マルスを描いたものだが、鎧は脱ぎ捨てられており、兜に裸、腰には布をまとい局部は隠れている。体つきは座っているために腹に皺が寄り中年男のダラシねえ感じそのもので、およそ筋骨隆々としたイメージのある軍神とは正反対だが、これは戦争が終わった後の軍神マルスの様子を描いたもので、逆説的に平和を象徴しているとも言われている。平時には狩猟を楽しむフェリペ4世だったが、狩猟休憩塔に飾られていた。また内外の諸問題に疲れ切ったフェリペ4世の姿という見方もある。絵画制作年は1638年頃とされるが、当時は三十年戦争、西仏戦争の最中で、1640年代に入るとポルトガル王政復古戦争、カタルーニャの収穫人戦争、三十年戦争の敗北など、太陽の沈まない国と言われたスペイン・ハプスブルグ帝国が引きずられるように没落していく姿と重なるのだという。

『巨大な男性頭部』ただただ圧巻。向かいにも大きな絵が掲げられていたが、正反対を振り返ると奥まったところにこの絵が掲げられていた。巨人の絵で、宮殿内の「王妃の私室」と呼ばれる階段に道化たちの絵と共に掲げられていたとか。その意図するところはミステリーとされており、想像するだけでもおどろおどろしい威圧感だが、X線調査によると、原始人のようなフサフサの髪と髭の顔ではなく、髭もなくやや額の広い知的な人物が描かれており、謎が謎を呼ぶ。

ディエゴ・ベラスケス『狩猟服姿のフェリペ4世像』。狩猟は軍事訓練でもあったというから、安土桃山時代や江戸期の日本における鷹狩りと同じ意味合いがあったのだろう。その狩猟服姿を描いたフェリペ4世の姿。剣の束の長さや脚の位置が修正された跡が窺える。昔の画家も絵を少しでもよく見せようとする構図に苦心したのだろう。先の『マルス』と同じく、殺風景なトーレ・デ・ラ・パラーダ(狩猟休憩塔)に飾るために描かれた。

フアン・カレーニョ・デ・ミランダ『甲冑姿のカルロス2世』。スペイン・ハプスブルグ家最後の国王。ウィキペディアで歴史関連の記事を辿っていった際に見たことがある肖像画が目の前に現れるとは。フェリペ4世もそうだが、カルロス2世も顎が長い。どうもスペイン・ハプスブルグ家の近親婚による遺伝との説もあり、下唇突出の家系に関して一冊の本が編まれるほど。

フランシスコ・デ・スルバラン『ヘラクレスとクレタの牡牛』。ヘラクレスというとTVゲームのイメージからイケメンを想像していたが、こちらの絵はどちらかというと髪の毛ボッサボサの体躯も余り長くない粗野なオッサンという感じで額にも深い皺が刻まれており、違う意味で衝撃を受けた。棍棒を振りかざしている姿で口元が見えないので実際にどんな顔かは判別しがたい。思いっきり牡牛を殴り殺そうとしている瞬間なので白い体に対して顔も紅く厳つくなるのだろう。次に飾ってある『ヘラクレスとレルネのヒュドラ』の方は、同じ作者ながら先ほどの粗野なイメージは幾分かは和らいでいる横顔だが、それでも労働者のオッサンな感じは抜けていない。しかしこの粗野な感じ、先の巨大な男性頭部とはヘラクレスのことではなかったのかと、ふと類似性に気づく。

フェリクス・カステーリョ『西ゴート王テオドリック』。なぜスペイン帝国の絵画にゲルマン民族の大移動の末に出来た西ゴート王国の王様の肖像画が?と思ったが、西ゴート王国はスペインだった。色彩豊かで綿密に描かれた鎧はまるで本物が目の前にあるかのような質感。iMacの5K Retinaディスプレイのようなリアリティ感が溢れている。現代人から見るとタロットカードのような趣もある。鎧は中世風で王冠は当世風だそうだ。

フアン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソ『アランフエスでの狩猟上覧』。ヴィム・ヴェンダースの最新作『アランフエスの麗しき日』を観に行っていたので、絵のタイトルに惹かれた。映画の方は舞台のようにシーンがほとんど変わらない衒学的な会話劇で苦行のような2時間だった。アランフエスには王宮があったと言うが、この絵は鹿狩りを描いたもの。狩猟は政治的手腕と重ねて見られていたとか。

ディエゴ・ベラスケス『王太子バルタザール・カルロス騎馬像』。今回の催しの顔とも言える絵画。小さい男の子の王子様の騎乗像。馬がやや太っちょに描かれているのは、この絵が飾られたのが扉の上で見上げるような形になるから遠近法を考慮してのことだという。先のヘラクレスの絵も同じ理由でダイナミックに描かれていたというがその効果の程はいかに。写真と同じで下から見ると脚が細く見えるのだろうか。王太子は可哀想なことに夭折する。

デニス・ファン・アルスロート『ブリュッセルのオメガングもしくは鸚鵡の祝祭:職業組合の行列』。横長に蛇行する行列の構図は日本の大名行列を描いた絵と似たようなところがある。ざっと見積もって1000人以上は描かれているのではないか。横幅の長い絵だった。オメガングとは宗教行列のこと。

ディエゴ・ベラスケス『東方三博士の礼拝』。新約聖書で有名な東方三博士と馬小屋でイエスを生んだばかりの聖母マリアとの邂逅シーン。ベラスケス自身と親族が絵のモデルになっているという。図録には「イエズス会所属のサン・ルイス修練院の為に描かれた可能性がある」とあり、聖書の中の物語をリアルに体験して身を以て感じ修練を積むのだという。

絵画の他にも芸術理論書も展示されていた。遠近法や図形が描かれていた。文章の方は読めないが芸術論などが記述されているという事だ。

帰りに2700円の図版とマグネットを1つ購入。冷蔵庫に着けるなら人物画や宗教画よりも花の絵の方が良いかなとヤン・ブリューゲル(父)の『花瓶』を選ぶ。図版の方は四百ページ近くもあり、収録絵画もさることながら、文章量も豊富で読み応えがある。全部読めるかどうか。美術館で観た絵や理論書などの内容はすべて網羅している。装丁も豪華でお得感がある。

プラド美術館展 図録

参考文献:プラド美術館展 – ベラスケスと絵画の栄光