写真の串刺し構図はアニメーションの技法では視線誘導? – アニメ制作者の証言から見た串刺し構図

以前に掲載した記事で、串刺し構図について、アニメ映画で観た絵を例に、写真でもそこまで串刺し構図に神経質になる必要はあるだろうかという問いかけをした。

串刺し構図はどこまで許容できるか 〜映画やアニメから学ぶ構図のあり方〜

はたしてTwitterを見ていると、アニメにおける串刺し構図について、現場の実際の制作者の人が呟いているのを見てようやく合点がいった。

押見修造原作のアニメ『惡の華』は、実写を元にしてアニメーションに起こすロトスコープという手法で制作された作品で、原作漫画の所謂オタク受けしそうな今風の絵柄とは異なり、リアリティ溢れる実写風の絵柄となっているのが実験的で界隈で話題になった。

写真や映画だとやはり目から背景の格子などが突き出していると串刺し構図が意識されるのだろうか、実写カメラマンから修正を提案されたが、アニメーションの世界では串刺し構図と捉えられていたものが、視線誘導になるという話だった。映画の世界においても、アニメーターでもあった市川崑監督の作品では、目からの串刺し構図が視線誘導の手法を用いて撮られているという事だ。

そこでアニメやイラストの視線誘導で画像検索してみたら、やはり集中線や背景の建物や窓の格子などがメインの人物に対する視線誘導として用いられている技法があることが分かった。

串刺し構図といえば写真の世界では、失敗写真として捉えられることが常であり、インターネットや書籍など巷に溢れている写真の撮り方の記事に関しても、串刺し構図は駄目という認識で世間一般に流布され忌避されがちだが、果たして駄目なのであろうか。そこまで串刺し構図にこだわっていたら撮りたい場所で撮りたい背景を入れて撮影するのが難しくなるのではないかという事もある。日本人の生真面目な性格で、虚栄心に駆られた連中によりTwitterなどでも例の拡散テンプレの方法で串刺し構図が槍玉に挙げられていたり、写真が串刺し構図であると無粋な指摘したりする者がいて、ことさら串刺し構図に神経質になりすぎて、何やらおかしな空気が醸し出されていやしないだろうか。まるで大逆事件の折に小説家達が創作活動に萎縮したのと似ている。

絶対にこうであらねばらならないという事は表現の世界においてはないであろう。慣習だとか伝統だとか権威だとか古い役立たずな考え方は創作活動には合わない。表現の自由を追求しようと思えば、串刺し構図もまた殊更神経質にならずに、撮りたい時は撮りたい構図で撮るのがベストではないだろうか。それがたとえ串刺し構図になってしまおうとも。

見る側にも問題がある。ある程度撮り方を囓った見る側の人間が串刺し構図を意識しすぎて、もはや目の前にある素晴らしい被写体ではなく手法のアラのみに意識がいってしまっているような受け手になっていはしないだろうか。他人の写真の串刺し構図をわざわざTwitterで指摘して目の前にある美しいモデルや被写体を鑑賞する楽しみや余裕すらないのは、写真の鑑賞方法としては本末転倒だろう。