18世紀初頭に初のグレートブリテン連合王国の女王として君臨したアン女王とその女従者達の心理模様を描いた本作は、美醜で言うならもっぱら醜の方に焦点が当てられている。まず冒頭から賭け事で没落した貴族の娘アビゲイル(エマ・ストーン)がアン女王(オリヴィア・コールマン)の召使いに雇って貰おうと従姉妹の女官長を頼りに宮廷にやってくるのだが、馬車から降りる際に後ろから押されて馬糞だらけの土に突っ伏してしまう。また馬車の中では向かいの男が自慰に浸っている。従姉妹のレディ・サラ(レイチェル・ワイズ)と面会した時には服が泥だらけで蝿がたかるほどで、「その蝿、あなたの友達?」とサラに皮肉られるまでに至る。
アン女王は痛風を患っており、顔を歪めて苦痛に耐えようとする。ロシア大使に会う際に化粧したその顔を”アナグマ”みたいと幼なじみで仲の良いレディ・サラに冷たくあしらわれて子供のように咽び泣く。そのほかにも如何にも中世らしい下卑た様態のシーンがふんだんに盛り込まれている。しかし21世紀の今現在も人間のやっていることはそう変わりはしないだろう。19世紀中頃からマスメディアの力が強くなり20世紀終盤からはインターネットが発達した現代では、それらの都合良く切り貼りされた情報から得られる道徳的・倫理的な価値観が絶対だと信じて疑わないメディア浸けの現代人がいる一方で、カメラの目が届かないところでは人間はこの映画の幾つかのシーンにあるような非道徳的で下卑た行動に浸っているものだ。むしろ規制のないインターネットはそのような個人の醜態を世界に広めることに一役買っている。そういう意味ではこの映画は道徳的な綺麗事で飾られてはおらず、オランダの巨匠ヤン・ステーンの絵画のような警句的な意図があるかどうかは分からないが、人間の営みを飾り気なくありのままの姿で映し出していることになる。それはたとえ女王という最高位の女性といえども例外ではなく、痛風に顔を歪め、ワガママな子供のように泣き、狂言の自殺未遂で女官の注意を引こうとし、肉やケーキを手掴みで食べては嘔吐し、女官と交わり、癇癪を起こす。10日ほど前に観たヴィクトリア女王とインド人従者を主役に添えた『ヴィクトリア女王 最期の秘密』では、女王は居眠りこそすれチャーミングなおばあさんといった呈で気品溢れる映画だったが、今作は人生に疲れ切った下町のオバチャンといった呈の女王がありのままの姿を曝け出す。
あらすじ(ネタバレあり)
時は18世紀初頭、ルイ14世統治下のフランスと戦争真っ只中の英国。ホイストが原因で身を潰した貴族の娘アビゲイルがアン女王の召使いとして雇って貰おうと、従姉妹のレディ・サラを頼って宮廷にやってくる。痛風に悩む女王に為に森に薬草を採りに行き無断で治療したところをサラに見咎められたアビゲイルは鞭打ち六回の刑を言い渡されるが、薬草が痛風に効いた事からアン女王のお眼鏡に適い、取り立てられることになる。サラは女王に幼なじみでお気に入りの女官長という立場で、宮廷の奥を取り仕切っているだけでなく、フランスとの戦争に関しても講和か戦争継続かで重臣達の意見が割れる中、戦争を続行するよう諭し、女王に影響力を振るう程の存在だった。
女王とレディ・サラの秘め事を偶然目撃したアビゲイルは、又従兄弟でホーリー党・戦争反対派のハーリー(ニコラス・ホルト)に、その秘密を公表して女王を失脚させフランスとの戦争を止めさせるようそそのかされるが、アビゲイルはサラに狩猟の場でハーリーとの会話の一部始終を正直に打ち明ける。それを聞いたサラはアビゲイルに向かって空砲を撃ち「空砲と思っていても弾が入っていることもある」とアビゲイルを恫喝する。
やがて率直な言動でヤキモキさせる幼なじみのサラよりも、おべっかを使うアビゲイルの方を女王は気に入るようになる。遂にはサラではなくアビゲイルを部屋に呼び寄せるよう女王が指示したことで、怒りの発作に囚われたサラは女王の首根っこを掴んで怒鳴りつけるまで嫉妬心に駆られていたが、女王は二人に互いに嫉妬心を抱かせ、競って自分を敬愛しようとするその姿を愉しんでいたのだった。
女王の寵愛を受け召使いの身から立身していくアビゲイル。或る日、馬で出掛けていったサラが帰ってこなくなる。アビゲイルを取り立てたことで怒って逐電してしまったと女王は捜索させなかったが、やがてサラがいないことに心の空白を感じ探索の手を回すよう怒鳴りつける。実はアビゲイルがサラの食事に毒を盛って、落馬するよう仕組んでいたのだった。女王の重臣に偶然娼館で見つけ出されたサラは宮廷に戻るがやがて追い出される。女王は戦争継続派の重臣に請われて謝罪の手紙を差し出せば宮廷に戻る事を了承するお膳立てを整えたものの、サラの書いた手紙はアビゲイルの手で燃やされる。また帳簿からサラが夫のモールバラ卿の為に宮廷の費用を着服していたことが分かり、アン女王に角が立たないように打ち明けたが、未練があった女王は彼女がそんなことをするわけがないとサラを庇う。しかしいつまで経ってもサラからの謝罪の手紙が届かないことで、女王はサラとモールバラ卿を国外追放処分にし、フランスと講和を結ぶことを議会で宣言するのだった。
女王の寵愛を勝ち取ったアビゲイル。しかし女王は満たされない。サラを追いやってしまったことにアンビバレントな感情を抱きつつ、そのやるせない憤りをアビゲイルにぶつけ、痛風で痛む脚をいつまでもさすらせる。
超広角レンズで撮影されたシーンが数多く登場
この映画には超広角レンズや魚眼レンズで撮影されたと思われるシーンが頻繁に登場する。冒頭の馬車が疾駆するシーンは魚眼レンズのように両端に丸みを帯びている。宮廷内や広い台所、アビゲイルの部屋の中も超広角レンズで撮影されたとおぼしき広さと歪みがある。馬に乗って疾駆するシーンも超広角レンズが生きている。
宮廷内や部屋を広々と映したいという意図もあるだろうが、超広角レンズや魚眼レンズ風の周囲に強い歪みが生じる表現を用いることで、野心、錯乱、陰謀、享楽といった映像内に蠢く人間の感情がよりリアルに伝わりやすくなる効果がある様に感じられた。また超広角レンズを動いている被写体に使うことで疾走感も割り増しされる効果がある。スクリーンの端に写って会話している役者が歪んでいてもお構いなし。むしろその歪みが政治的陰謀が渦巻く宮廷内の人々の心のひずみをそのまま表現しているようにも見受けられる。また本作はエリザベス一世が子供時代を過ごしたハットフィールドハウスという屋敷で撮影されたそうだが、部屋の壁の装飾や調度品が超広角表現により余すところなく映し出されているのも魅力的だ。スクリーンをボンヤリと眺めているだけで豪華な絵画を鑑賞しているようで愉しい。スクリーン全体が時代的意匠に彩られており、登場人物達も長いウィッグを被り男も顔に化粧をして、この手の映画によくあるように、恐らく自然光やその場にある光だけで撮影されている。晩餐会や舞踏会、夜の宮廷内を歩くシーンなどでは蝋燭の明かりだけが役者達を照らしている。これらのシーンを観ていて思い出すのが、スタンリー・キューブリック監督の『バリー・リンドン』という時代劇映画だ。撮影用の照明は一切使わず蝋燭など当時と同じ照明だけで撮ったというこだわりの一作だが、本作品の蝋燭の明かりに照らし出された役者達の出で立ちや化粧も、豪快なウィッグに白塗りにホクロをつけたりと全く同じ雰囲気だった。
殊更醜く描かれるアン女王
物語の主軸に3人の女の三角関係を描きながらも、当時のフランスとの戦争に対する戦争継続派と講和派の駆け引きを絡ませている。政治の駆け引きがそのまま3人の女の愛の奪い合いの駆け引きと重なりあう。
アン女王は普段の生活では本当に疲れたオバチャンといった感じの見た目だが、議会などのシーンで正装のドレスに身を包むと容貌に女王の威厳が戻ってくる。車椅子に乗りはしゃぎながら疾駆させたり、時には感情的になり豪華な廊下を走らせたりと、車椅子に乗った女王を隙無く捉えるカメラワークも抜群だった。
この映画は美よりも醜に焦点が当てられているので、綺麗に見せようというよりも敢えて醜く見せようという意図すら感じられる演出方法が映画の全編に染み渡っていた。敢えて歪みのある超広角レンズを使って撮影しているのもそういった演出の一環であるかも知れない。
その演出はラストシーンに特に色濃く出た。幼なじみのレディ・サラを国外追放したものの長年寵愛していたので自分の取った行動にやるせない憤りを感じたアン女王は、実質的に策謀を巡らせてサラを追い落としたアビゲイルに「女王に触るな!」と怒鳴り散らして当てこすったかと思うと今度は脚を擦るように命じる。このシーンが結構長い尺なのだが、脚を擦っているアビゲイルは映さず一貫してローアングルでアン女王の顔のアップを捉えて続ける。その顔が、唇は老いで歪み、下からの視点のために鼻の穴は大きく膨らみ、両目の釣り合いが取れておらず、片目はくぼんで垂れ落ちているようにさえ見える。殊更アン女王を醜女に描いているシーンだった。そして早世した17人の子供達の代わりに飼っているウサギたちのパステル調の影が幻想的に彼女の顔と被さり映画は静けさの中で終わる。「醜」に焦点を当てた、「臭」で始まり、「醜」で終わる映画だった。
役者陣
アン女王役のオリヴィア・コールマンは1974年生まれなので今年で45歳になる。想像していたよりも若かったから老けメイクだったのだろうか。人間臭いアン女王を熱演。アン女王というと、ちょうど今読んでいる大英帝国に関する歴史書にアン女王戦争のことが出てくる。この戦争で英国はフランスに対して有利に講和できたが国債発行による国の借金が増えたそうだ。お隣のフランスも同様で財政が逼迫し後のフランス革命へと繫がっていく。アン女王戦争から約半世紀後に本国イギリスがアメリカ植民地州に対して重税を課したことでアメリカ独立戦争が勃発し、イギリスはアメリカを喪失することになる。またヨーロッパに関する別の書籍では、この当時は両国が戦争中であっても、敵の国に旅行できたそうだ。敵国の宿屋で物がないのを亭主に問いただすと「アンタの国がウチの国と戦争やってるから云々・・・」と亭主に愚痴られた一節なども読んだ。アン女王に関しては本国のイリギス人の間でも余り有名な人ではないらしく、オリヴィア・コールマンもインタビューの中で学校でほとんど習わなかったし、歴史の教科書に載ってた記憶も無いのでどういう人なのかよく知らなかったと語っている。
レディ・サラを演じるレイチェル・ワイズ。とても知的な顔立ちで眉がキリッと太く、アン女王が下す決断に多大な影響を与えている女官長の意志と矜持が顔に出ている。こちらもアン女王については建築様式の名前としては知っていたが人物としては全く知らなかったという。
対してアビゲイル役のエマ・ストーンは豊饒な野心と女性的魅力をたたえた顔立ちに見える。初めは無邪気な田舎娘のように見えたその顔が野望に取り憑かれて野心家の輝きを帯び、出世して行くに従って上品さと狡猾さを兼ね備えた顔つきになる。
又従兄弟のハーリー役はニコラス・ホルト。『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』で主役のJ・D・サリンジャーを演じた。ライ麦は一月ほど前に観に行ったが、白粉メイクにウィッグを被っていたので気づかなかった。