映画マジカル・ガールが描く、日本のアニメに憧れる少女の姿

日本大好きなスペイン人監督が制作した映画「マジカル・ガール」
日本大好きなスペイン人監督が制作した映画「マジカル・ガール」

80年代か90年代風の懐かしく物憂いメロディ調の日本のアイドルの歌が流れ出し、スペインの女の子が花を片手に曲に併せて鏡の前で踊る。部屋には少女が描いた日本のアニメのイラストが何枚か貼り付けられている。友達とやりとりしているハンドルネームはすべて日本名。マコトという名前の友達がいて、アニメを見て、「ラーメン」を食べるという。

先日鑑賞してきたスペイン映画「マジカル・ガール」の一幕だ。パンフレットにはなぜか蜥蜴の影が見える。今回デビュー作となる監督兼脚本のカルロス・ベルムトは、大の日本好きで第二の故郷と言及するほど。年に4ヶ月は日本に滞在しているという。ドラゴンボールを新解釈したオマージュマンガを執筆したりと、とにかく日本のアニメやマンガが大好きという監督が作った映画だ。

白血病に冒され余命幾ばくもない12歳の少女の夢は、魔法少女ユキコのコスチュームを着ること。その夢を知った失業中の文学教師の父親は、衣装をネットで検索するが、20周年で一度だけ着た本物の特注コスチュームが90万円、7000ユーロであると知り愕然とする。古本屋にコレクションの文学本を売りに行くが、量り売りのために二束三文にしかならない。

金策も尽きて途方に暮れる中、ある偶然がきっかけで知り合った人妻と関係を持ち、恐喝を繰り返してコスチュームを手に入れたのだが・・・。

再び魔法少女ユキコの主題歌と思われる日本の曲、永山洋子の物憂い「春はSA RA SA RA」が流れるラストシーンは、なかなかシュールでショッキングである。

マジカル・ガール(魔法少女)というタイトルを聞いて、魔法少女まどか☆マギカを連想しないアニメ好きはいないだろう。海外の作家が日本の文化を取り上げるとき、それは我々の見慣れた視点ではなく、他者からの、外部からの視点がいつもつきまとう。その視線はいつも新鮮な印象を我々に与える。この映画のタイトル一つとってもそうだ。

この映画を見る前日、いつも撮り合いしているコスプレイヤーさんと一緒に難波でラーメンを食べに行った後にファストフード店でお喋りしていたら、彼女はいつも朝に衛星放送で流れるBBCのニュースを見ていて、世界から見た日本のニュースに毎回ショックを受けると話していた。

日本の地方ニュースにあるようなほのぼのとしたニュースは一切なく、深刻でどのような残酷なシーンも惜しみなく流す海外ニュースの遠慮のない視点。日本のメディアが決して伝えない海外メディアの外部から見た日本の印象は、我々の目には新鮮に映る。まるでそこが日本ではないかのように、ある種の硬くて無垢な透明感を伴って、外側から見た日本の新しいイメージが目に映る。他者から見られているということは、こういう感覚なのだと痛感せざるを得ない。

以前、神戸三宮のセンター街で、突如ロリータの服で着飾った金髪に紺碧の目をした若くて可愛い女性二人が店から飛び出してきた。気怠い日本の空気に割って入ってきたかのような突然の天使二人の降臨に、ふと胸が沸き立つ思いがしたのだ。しかしどうも日本人はこういった事態を歓迎する余裕がないのか、前を歩いていた親子連れの4,50代の母親の方が「ここは日本やで」と無粋な感想を漏らした。国際都市などと謳っている神戸市民をして、この反応である。

日本の日常にふと外国の雰囲気が割入った時の、日本人の拒絶感。徳川300年の鎖国時代の遺伝子が未だに日本人の体の中に引き継がれているのだろうか。

8年ほど前になるが、TOKYOという映画も海外の映画作家の視点から東京が描かれていて、奇異で面白かった。興味のある方は、マジカル・ガールも観に行ってみてはいかがだろうか。海外の日本好きの監督が見た日本のイメージを垣間見ることが出来るかも知れない。

映画「マジカル・ガール」公式サイト