劇場版 Fate/stay night [Heaven’s Feel] Ⅲ.spring song – ミリシラ感想

ミリシラで観に行ってきたFateの映画、第3章。ミリシラだが3章共に数年にわたり付き合ってきた。今回は第3章の感想をミリシラの観点から書き綴っていこうと思う。

そもそもミリシラのFateの映画を観に行こうと思ったのは、スマホゲームFGOの方にぞっこんだったからだ。とはいうもののFGOと今回の映画シリーズとは全く別世界の話らしく、これまでのFateの物語を知らないと楽しめないという話もチラホラ聞いていたのでどうしようか迷ったが、Twitterのフォロワーさんに観ている人が何人かいたし、コスプレも撮る予定になっていた段階だったかFateの聖地の神戸北野町や神戸大橋で撮った後だったので、第一章を観て、その感想は書かなかったのだが、第一章を観たら第二章を見ないわけにも行かず観に行って、そちらの方の感想は過去にブログにも掲載したが、どのような話だったかもほとんど覚えておらず、コロナ禍で半年ほど上映が伸びて、今回ようやく第3章を観る運びとなった。

第1章の作画がとても素晴らしかった覚えがあり、ミリシラでも絵で楽しませてくれるだろうと第1章の時のような変な気負いは全くなくゆったりとリラックスして観ることにした。観客は平日である為か、また上映終了3日前であるためか、4,500席はありそうな講演会や発表会用のホールを映画館に改装しただだっ広い空間に10代・20代とおぼしき男女が20名ほど。このシアターは壁が白いので光が吸収されなかったり、4階なのにどこか湿っぽくてうっすらとカビ臭かったり、スクリーンの左端に斜めに影が入っていて、それは上映されている映像の方には直接影響は及ぼさないのだが、どこか斜めになっているのがチラチラと気にかかり、あまり環境が良いとは言えないシアターで、モーツァルトを題材にした映画もここで観た時にも、地階の映画用に設計されたシアターで上映すれば良いのにと常日頃から感じていたのだが、コロナ禍のためか評判が悪かったのか儲けが出なかったのか近日中に閉じられることになり、それと共にFateの上映も終了となる。

2ヶ月近くのロングランを果たした本作だが、冒頭を観たときはどこがどう続いていたのかすっかり忘れてしまった。それでも絵だけで見せてくれるし、見慣れた神戸大橋や鱗の館などの異人館、あれはどこが舞台だろうか、ひょっとしてあそこだろうかと思わせる廃墟の異人館や、道路の照明が左右に連なる歩道橋の上のシーンとアーティスティックな絵、神戸大橋は引きの絵であったが、大橋以外はどこの町をベースにして描かれているのだろうかとか、あのやたら目立つ建物は自分もこの目で見たことのあるどこかの学校だろうかとか、山の上からよく神戸大橋を入れた神戸の夜景写真を撮っていたので、そっち方面で色々と想像力を逞しくさせてくれる映画だった。ひょっとしたらパンフレットに載っているかも知れないと思ったが、売り切れで入荷も未定。大きな映画館では『銀魂』のパンフレットを上映終了後も販売していたが、こちらはどうだろうか。

やはりバトルシーンは今回最も楽しみにしていたシーンのひとつで、アルトリア・オルタと、バーサーカー、ライダー、アサシンなどが繰り広げる戦闘シーンを今か今かと待ち遠しく思いながらスクリーンに釘付けになっていた。昔はドラゴンボールの漫画やTVアニメがバトルばかりが先鋭化して前回の粗筋シーンもBGMだけでやたら長くどこか場つなぎのためのバトルのような感じがし本筋の物語が置いてけぼりにされてつまらなくなり観なくなったが、この年になると単純なバトルシーンの方が脳みそを使わなくて観られるから楽しめるという自分の中の変化に少し驚きつつも、スクリーンの中で獅子奮迅するアルトリア・オルタのバトルシーンに鼓動が高鳴ったのだった。

しかし途中からなんだかしんどくなってきた。正直なところ、物語が複雑すぎて何が起こっているのか詳しくは分からない。元々筆者はファンタジー系の物語が苦手で、魔法がどうとか、その仕組みや組織がどうとかいう架空の物語の中でしか通用しない複雑な設定やその上で成り立つ作り話についてけない。今回も中途で日本海側のような松の生えた岩場に波がさざめく海岸シーンにいきなり移り、船から降り立つ見慣れない3人のキャラが出てきたが、これは一体誰だろう、長髪の男はロード・エルメロイ3世だろうか、青色の縮れ毛の男は一体??真ん中の少女は?と全く分からず、そこから随分厳かな古代の石器時代の文物のような薄暗い広場に誘われて、ここでもいったい何が起きているのやら、原作に触れていないから分からない。Fateは長い歴史のある作品らしく、筆者も何気に大阪日本橋のメロンブックスにモノリスのような装いで山積みにされていた『空の境界』という同人誌にしては豪華な装丁の本をその珍しさからそれが何か分からずに購入して未だに本棚の中に収まっていたり、今回出てきた逢坂凜のリボルティックのフィギュアも所有してあるのだが、それもその当時はフィギュアが珍しくて安くで手に入ったから購入したまでで、作品の周囲の片鱗には触れていたのだが、本筋には触れていないからサッパリ分からない。しかしながら逢坂凜は第1章で見た通りのままの姿で、いつものように想像していたよりも長身でスカートがやたら短いためか足が長く見え、また顔もシュッと鋭くて幼さは隠されどこか大人びた年長者ぶった面影がある。そしてスクリーンから伝わってくるその色や質感は、異なる作品ながらエヴァンゲリオンの惣流・アスカ・ラングレーを彷彿とさせてくれる事に密かに喜びを覚えていたのだった。

戦いも終盤に移り、主人公の男と言峰綺礼の肉弾戦。いきなり北斗の拳のケンシロウとファルコの殴り合いを彷彿させるシーンが出てきて度肝を抜かれたが、超能力のような武器で戦うのではなくまさか拳で戦うとは。主人公の方は体に刃がなぜかたくさん突き刺さっていて、少し前のあたかも超能力を手に入れたために同時に呪いも背負うことになったかのようなシーンもまたショッキングだったが、今は痛みにも慣れたのか逆に拳の攻撃に対する防御になっている。

言峰綺礼といえば、一瞬だけVシネマの帝王の竹内力に一瞬見えたりもしたシーンがあったが、最後には北斗の拳になるとは。そういえば第1章の麻婆豆腐を頬張るシーンが本当に美味しそうで、村上春樹の小説を読んだら泡の乗ったビールやバジリコの乗ったパスタを口が自然と欲するように、あのシーンを観ると麻婆豆腐が食べたくなるとまでは言わないが(あまり好きではないので)口の中がそそられる。そのシーンをふと思い出すと、次に朝食の卵焼きだったか、まだ女の子の方が魔術で穢れていなかった頃のシーンを思い出し、またあの美味しそうな朝食のシーンが観たいなぁと思っていたら、バトルが終わり、エピローグのシーンで見事に出てきて欲が満たされたのだった。

男の主人公は名前を呼ぼうとするが思い出せなくなる。筆者も最近名前が思い出せず、映画館では竹内力に似てると咄嗟に出てきたのだが、こうして書いているときに名前が出てこずに作品名を検索してようやく思い出すなど、似ているところがあり共感出来た。そして未だに男の主人公の名前も、敵役であり想い人である女の子の名前も出てこない。

エピローグの始まり、作画の美しさに触れ、第一章の冒頭の美しさを思い出した。しかしながら今までアニメを見てこなかった者からするとどのようにオチを付けたのか分かりづらかった。とりあえず外国の町を2人の姉妹が手を繋ぎながら歩き、恐らく癒やしの旅だろうが、士郎の代わりとなる人形の素を海外のお店で見つけて、それを魔術の力でどうにかして士郎を甦らせたのだろうか。それが本物の士郎なのか、仏作って魂入れずのまがい物なのかは、観ただけでは分からないほどに平穏な日常が続いている自然なシーンで、女の子が振り向くと士郎は女の子の方に笑いかけている。そして女の子の方も微笑んでいる。士郎の正体が何であるかは一切示唆されないそのシーンにグッと持って行かれて、映画を見終わってから2人が扉から桜の方へ後ろ姿で歩いて行く二千円のB1ポスターを勢い余って買ってしまった程だった。