変なおじさん 完全版 – 志村けんのコントの神髄を知ることのできる自伝的エッセイ

2020年3月29日に新型コロナウイルスで亡くなった志村けんの自伝的エッセイが再版された。

2月から脅威を感じ始めた新型コロナウイルス、二ヶ月近く経ち気が緩みかけていたところへ、志村けん死去のニュースが日本列島に衝撃を与えた。そのニュースが入って間もなく僕の趣味であるコスプレ撮影の予定をキャンセルしたいというメッセージも入ったから、若い人達にとっても衝撃的なニュースだったのだろう。志村けんがコロナウイルスにより死去したニュースは緩みかけていた気を一気に引き締めて不安に陥れた感がある。死なないと思っていたあの志村けんが死んだのだ。

無敵にしか見えない志村けんもいつかは死ぬんだろうなとはテレビで驚異的な人気を誇っていたのを観ていた子供の頃からなんとなく思いつくことはあった。スタジオの女子高生に大人気で絶対君主のようにお笑いの地位に確固たる地位を築いていた国民的人気者もいつかは死ぬんだろうけど、そしてその絶対的な人気故に志村けんもいつかは死ぬという事が信じがたいことではあったけれど、まさかこのような形で呆気なく死んでしまうとは思わなかった。といってもインターネットをやり始めてからここ20年はかつてのようにテレビを見ることはほとんど無くなり、志村けんのコントも余りテレビで見なくなった。

志村けんのお笑いの神髄

志村けんが死んでからフジテレビですぐに追悼番組があり、メインやゲストで出演していた他の局の番組でも過去のVTRによる偉大なコメディアンの死を偲ぶ放送が流された。そして絶版となっていた本も幾つか再版されたので、氏を偲びたく思い、またもっとよく知りたいと思い、一冊買ってみた。これが本書だ。

新潮文庫独特の滑らかな紙質の表紙を開いてみると、著者である志村けんの生没年が更新されていた。本来なら没年の箇所は空白になっているのだろうが、はっきりと「2020」と印刷されていたのを目の当たりにして、死んでしまったことを再度実感した。奥付を見ると第2刷とある。

読み進めていく内に、昭和・平成をお笑い1本で駆け抜けたストイックな志村けんのコントに対する姿勢を知ることが出来た。綿密に計画された巧緻な笑い。視聴者の反応が読めないテレビと、客の反応がすぐ分かり即興で笑いの渦を大きくしていける舞台との差。キャスト・スタッフとの人間関係構築に時間のかかるコントと、早急な結果を要求する視聴率主義との相容れなさ。照明やセットの素材、映画を参考にした画作りへのこだわり。我々視聴者が思っているより細かなところに配慮、計算されてコントは作られてるのだなとその労力に舌を巻いた。

昭和後期〜平成初期に君臨した希代のコメディアンはその後他の芸人がそうであるように文化人にならず、ドラマにも出なかった。唯一高倉健の映画に出演したが、他に役者として活動したという話を知らない。ファンはどれだけ志村けんが、その師匠であるいかりや長介のようにNHKの大河ドラマに出たりその他のドラマで刑事や他の役を演じることを待望していたことか。遂にNHKの朝の連続ドラマで小山田耕作の役で出演すると知った時には既に亡くなった後だった。

しかし役者以上に志村けんはコントの中で役者たらんとした。酔っ払いを演じるのでもお婆さんの役を演じるのでも、設定を細かく決めどういう気持ちで酔っ払っているかという事を考えて演じていた。人間観察も鋭かった。そこまで作り込まれていたとは。

マンネリについても語られていた。志村けんのコントに限らず、ドリフターズの一員として活躍したコント番組でも、観ていてマンネリ感が否めないことがあった(田代まさし、渡辺美奈代との「じいさんやばあさんやのコント」、石野陽子との「ごごご5時のコント」など)。観ている側からするとマンネリでつまらないな、オチが何となく読めるなと思っても、そこにはコメディアンの意図があったり、その意図どおりに笑ったりもしてるから、やはり単純に笑える。でもやっぱりマンネリ感は否めなくて家ではテレビしか娯楽と気軽な息抜きのない時代(今のようにインターネットがあったり、テレビゲームやり放題だったり、スマートフォンで簡単に様々な情報に寝転がりながら気軽にアクセス出来る時代と比べると)観ていてしんどいと感じる時が多々あった。

テレビと舞台の違いに関しては、志村魂という舞台をなぜ始めたのか、その理由を知ることも出来た。舞台を始める前の話なので舞台その物についての言及はないが、客の反応がすぐにわかり、客の反応に対して演じる側もまた反応し笑いを大きくしていく、という話に納得した。『8時だョ全員集合』や『志村けんのだいじょうぶだあ』で培われた感覚が生かされているのだと思った。

志村けんのタモリ評価

昼時の番組だっただろうか、一昔前にやしきたかじんが司会を務める大阪の番組に志村けんが出ていた時に、嫌いな芸能人はいるかとたかじんに聞かれ、タモリの笑いは好きじゃないという趣意の発言をしていたのをたまたま観ていた(その理由は筆者の記憶では「あの人は芸が無いでしょ」云々)。しかし本書ではタモリを褒めていて意外だった。これを書く前のタモリの印象なのか、その後何か一悶着あったのか。人間の気持ちは有為転変だし、西の首都大阪とは言え地方限定で放送されるテレビ番組とは違い書籍は全国に出回るから、自称平和主義者の氏が余計な諍いが生じそうな点では本音の中の本音を書いているとも限らない。トーンを落として書いていたのかも知れない。お笑いに対しストイックで陰の努力家だったので、時には厳しい目で見ることもあったのではないか。それが地方のテレビ局という場で、やしきたかじんという人の野性的な攻撃本能を引き出す事に長けたホストの前で、たかじんの牙剥き出しの圧倒的な人心掌握術に絡め取られ、酔いが当たってポロッと本音を漏らしたのかも知れない。

チャップリン的な笑いに込められた想い

本書一冊で、志村けんのお笑いの神髄を知ることが出来た。チャップリンの笑いも好きだそうで、その理由が弱者・貧者が強者・富者を倒して笑いものにするという構図だった。弱い者が強い者を倒す構図はそう簡単に構築できるものではない。そう言われてみればチャップリンの笑いはそういう所があった。今のコントというかお笑い番組は、強者が弱者を、或いは弱者が弱者を見世物にして笑いものにしている構図が多い。そこにはまた別のおかしみがあったり、神経質な人間が織りなす喜劇の面白さもあったりするが、憎悪すら掻き立て、観た後に神経を削がれて素直に笑えない。二日酔いのように疲れてストレス解消にならない。だからテレビを観なくなってしまったのかも知れない。志村けんの笑いは単純で、国境を越え老若男女が一緒に笑えるお笑いだった。

コンプライアンスの強化

下品な下ネタや女の裸をネタにするなど現在の価値観やコンプライアンスと接触する内容のものもあることは否定出来ない。実際、フジテレビの追悼番組で流れた40年ほど前のドリフのコントのセット一つ取っても、路地の壁に貼られていたピンク映画のポスターの胸の部分には暈かしが入っていたほど、時代の価値観は大きく変わっている。しかしそれらを勘案しなくとも、今のお笑いはどうも人の暴力性を煽り掻き立てて笑わせているような毒の作用があるように思われてならない。コンプライアンスが意味を成していない。外面は制御出来ても内面までは干渉出来ない。

テレビの凋落とインターネットの勃興

他にもテレビを観なくなる直前に見た覚えがある『タケシムケン』とか鶴瓶との正月の特番の話が出てきて、「気ぃ悪いわ〜」という関西弁を志村が使っているのを観て大笑いした記憶が甦り、そういえばそんな番組あったなぁと昨日のことのようにありありと思い出す。刊行から数年後の話を本書でされていたら、何の番組のことか分からず浦島太郎状態で読んでいただろう。AMとFMでラジオ番組もやっていたことは知らなかった。音楽にも造詣が深そうだったから聴いてみたかった。

その直後からインターネットが家に来て、あれだけ毎日のように観ていたテレビから遠ざかっていた。そういえば希代のホスト・上岡龍太郎が芸能界を引退したのも同じ時期だった。理由はテレビ局のコンプライアンスの強化らしいが、インターネットの勃興と入れ替わるように、テレビから去って行ったのは、テレビの没落の始まりを象徴していた。今年2020年は遂にテレビの広告費が、インターネットに追い抜かれたというニュースが出てきた。それ以前からテレビの視聴率は、90年代のトップテンとのそれと比べると半減している感覚だ。

サンテレビで『志村でナイト』が放送されていたので、録画して観てみることにした。やはり今のお笑い番組と比べると刺激が少なくこれ面白いのだろうかと訝っていたが、不思議と笑えた。穏やかな笑いだった。久しぶりにテレビで観る志村けんは随分老けていて、おじさんからおじいちゃんになっていた。

いつまでも生き続ける志村けん

『8時だョ全員集合』を経て、『カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ』『志村けんの大丈夫だぁ』で更なる人気を博し、1992年、1993年に番組がそれぞれ終了するに至るまでテレビのゴールデンタイムに君臨し続けた志村けんだったが、その後1996年には女子高生の間で死亡説が出るほどだから、その人気がいかに高かったか、毎週のゴールデンタイムから姿を消したその反動として「死亡説」が流布したことからも窺える。

その後人気は凋落したかに見えたが、『志村動物園』のレギュラーもあり、『志村けんのバカ殿様』の定期的に放送されていた。もうその頃はインターネットの世界に没頭していたので、観ることはほとんど無かったが。

かといって他のビッグなお笑い芸人のコントを観ると、面白いと感じることが少ない。どうも観るのが面倒なほどに笑いに至るまでがまどろっこしい。先日志村けんの所属事務所であるイザワオフィスが寄付目的でYouTubeにアップロードした『志村けんのだいじょうぶだぁ』のコントを観ると、もう30年近く前の番組なのに、素直に笑って楽しむことが出来る。

志村けんのお笑い番組を観るのが面倒で遠ざかってはいたが、志村けんはいつでもカッコいいおじさん、ヒーローだった。1度でいいからテレビではなく生の志村けんを舞台で観たいと思ってはいたが、叶わぬ夢となった。

さようなら、お疲れ様。楽しかった昭和と平成をありがとう。