興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話 ー ヨーロッパ中心主義の歴史観からの脱却と、アレクサンドロス大王の実像に迫る

興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話 (講談社学術文庫)

アレクサンドロス大王と言えば、世界史のヘレニズム文明の項目でちょろっと出てくる程度で、どういう人物かはあまりよく知らなかった。東方に大遠征をして前333年にイッソスの戦いでアケメネス朝ペルシア(アカイメネス朝)のダレイオス3世を破った壁画は有名だが、それ以外となると彼の大帝国がその後どうなったのか、3つに分かれたがそれ以後どうもあやふやで、ナポレオンやカエサルのように軍事に長けた偉人であることは知っていたが、詳しくは知らなかった。

ヨーロッパ人にとってアレクサンドロス大王は英雄のようなイメージがある。日本の偉人に例えるなら、織田信長や豊臣秀吉や武田信玄や上杉謙信や真田信繁のようなイメージを抱くのだろうか。全く以て業績は異なるが、日本人が戦国武将の生き様を敬愛するのと同じように、ヨーロッパ人もアレクサンドロス大王を敬愛し継承されてきた物語に胸躍らせているのだろうか。

本書を読んで分かったことは、ヘレニズム文化の形成は単にアレクサンドロス大王の東方遠征が直接影響した訳では無く、その後400年の歳月を経てギリシア・イラン・ローマの影響がヘレニズム文化を語る際の代名詞とも言えるガンダーラの仏像などに色濃く残っているという指摘だった。大王の遠征でギリシア文化がオリエント文化と融合してその果てには日本にまで影響を与えたというのが教科書での定説だったが、19世紀ヨーロッパ中心主義の学者の優越的な視点からアジアを見た歴史研究が成されてきたためにそのような説がまかり通ったとされる。

アレクサンドロス大王の死後は権謀術数渦巻く権力闘争の中に王妃達も飛び込んで、積極的に策を巡らし権力を掌握しようとした。結果的に権力闘争に敗れてアレクサンドロス大王の妃や子供はすべて殺害されてしまう。彼の大帝国の遺産を受け継いだのは彼の腹心達で、はじめは5つの国がそれぞれ樹立したが、やがてアンティゴノス朝マケドニア・セレウコス朝シリア・プトレマイオス朝エジプトの3つに統合されて、世界史でよく知られる結果に落ち着く。それらの帝国もアケメネス朝ペルシアの政治機構を受け継ぎつつ短命に終わったものもあれば、その遺伝子を継いで長らえたものもあった。

アレクサンドロス大王の後継者としての正当性を誇示するために、護送されてきた大王の遺体を奪取し、盛大な葬儀を上げたプトレマイオス。これなどは日本の戦国時代に例えると、信長の葬儀を大々的に執り行い、喪主である自分を信長の後継者として周囲に誇示し、織田政権簒奪の正当化の第一歩を歩んだ羽柴秀吉と重なる。権力闘争の方法は洋の東西を問わずといったところか。

そういう視点から眺めてみると、英雄アレクサンドロス大王の築き上げた大帝国が彼の急死により、子供が頼りなかったため、その部下に帝国が継承された点と、日の本の半分を切り従えほぼ天下を手中に収めていた織田信長・信忠父子がそれぞれ本能寺と二条城で謀反により斃れた後、残された子供達が無能だったので部下の羽柴秀吉に乗っ取られたのは、面白いほどに類似点がある。

また当時は貨幣が今で言うマスコミの役割を果たしていた。貨幣に刻まれた権力者の横顔で、自分たちの支配者がどのような人物であるか民衆は知ったという。

アレクサンドロス大王は神話の英雄に憧れた英雄だった。神話に出てくる英雄を超えようと遠くインドにまで遠征したのだから、そして自分の思い通りに遠征が進まないと分かると一人城壁を飛び越えて敵に挑み、重傷を負いなんとか部下に助け出されて死線をさまよったのだから。とても大王の行為ではない。兵が疲弊しきっているとの部下の進言を渋々聞き入れ踵を返したアレクサンドロスだったが、当てつけのように砂漠の過酷な帰路についたりと、どうも子供のようなところがある。実際に後継者を決めずに若くして病死してしまい、帝国はその後血なまぐさい権力闘争の波に飲み込まれる。後先を考えず、神話の中の英雄に憧れて自らも神話の中の英雄になろうと東方遠征を敢行したアレクサンドロスだった。

前330年にアケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼした後は、宥和政策を採った。ペルシア風の衣装に身を包み、ペルシア式の跪拝礼を取り入れようとした。これがギリシア人には受け入れがたく反発を呼び、結局は沙汰止みになってしまうのだった。跪いて礼をする行為はギリシア人にとっては神に対してのみ行う行為であったからだという。このあたり、清朝乾隆帝に交易を求めたイギリス人マカートニーが、皇帝に謁見する際に行わなければならない三跪九叩頭の礼を頑なに拒んだのは、根にそのような価値観が流れていたからだろうか。また別の本で詳しく知ることが出来るかも知れない。

ペルシアを征服後の占領政策として、ペルシア人の総督などもそのまま採用するが、遠征している大王は二度と帰ってこないだろうと高をくくっていたペルシア人総督たちが好き放題やってしまったので、帰ってきた折にそのほとんどを粛正してしまったという。ギリシアとペルシアの融合はなかなか上手く行かなかった。

本書はところどころで近現代日本を例に出し紀元前の遠い古代ギリシア・オリエントの歴史を我々の身近に引き寄せつつ、アレクサンドロス大王の偉業の裏側を最新の研究を元に紐解いていく。また数々の大王伝の信憑性についても詳しく吟味している。文庫化に当たって、歳月が経ち更に新事実などが出てきたが、それらをすべて盛り込むのは無理があるので、記述の誤りなどを正したりしたとある。歴史とはまさに生き物だ。また巻末には本書に登場した人物達の小伝を掲載している。なじみのない人物達がたくさん出てくるが、最後に人物伝を読み通すことで、彼らの歩んだ人生と果たした役割が蘇ってくる。