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ストックフォトは儲かるのか & 装丁からの村上龍試論

TVやWebなどで定期的にストックフォトの話題が上がる。そんな日にはストックフォトの新規会員登録数がうなぎ登りに増えるそうだ。

筆者はテレビはアニメや大河ドラマ以外はほとんど観なくなったので(映画すら映画館で済ませている。やはりスクリーンの大迫力はTVとは段違い!)、この手の情報はインターネット経由が主となるが、ストックフォトに関しても度々経営者へのインタビュー形式で記事にしているのをウェブ上で見かけたことがある。

そしてそのようなインタビュー形式の提灯記事を見る度に、どれ自分もストックフォトをやってみようかと気持ちを奮い立たせられる。ここ1,2年は風景写真の分野にも足を突っ込んでいるので、絶景写真が溜まってきた事もある。

しかしこれもストックフォトが話題になる度に思う事なのだが、果たして労力に見合うだろうかという疑念が浮かぶ。テレビやインターネットで紹介されたら、当然新規参入者が増える。写真を提供する人が増えればそれだけ競争が激化する。特に風景写真なんていうのは、絶景スポットで撮れば大体似たり寄ったりの写真になるし、じゃあ他人とはひと味違ったオリジナリティ溢れる写真を撮ってみようと構図やレンズなどにこだわってみるが、それもまたすぐに真似されたり、カメラの経歴やレンズ構成が似ているフォトグラファーが同じ絶景スポットに足を運べば、自然と思考回路までも似たり寄ったりになり、その結果として似たような構図の写真になってしまう。インターネットとデジタルカメラの時代が同時に到来して、オリジナリティを出すのが難しくなってしまった。

ストックフォトと言えば、98年頃だろうか、村上龍の『ライン』という小説の冒頭に出てくる女性がストックフォトサービスの前身のような会社を立ち上げて成功している人物だった記憶がある。読み返してみると、カメラマンや素人から写真を買って著作権フリーで販売する会社とある。ちょうどインターネットサービスプロバイダが林立し始めた頃で、一般家庭にもインターネットが普及し始めた。筆者自身は99年にインターネットを開通して電子空間の世界を泳ぎ始めた。その当時使っていたプロバイダは既にない。『ライン』の冒頭に出てくる繁盛している会社も、あと数年時代が流れればストックフォトサービスに発展していた可能性もある。

ラインの単行本。
ラインの単行本。

『ライン』の前作が『イン・ザ・ミソスープ』というタイトルの小説で、こちらは読売新聞に連載されていた当時に、例の14歳の男子中学生による神戸児童連続殺傷事件が発生して、小説内の殺人描写と時期が重なったことで話題になり、普段は10万部を売り上げるベストセラー作家が26万部売り上げたように記憶している。内容自体はアメリカから来たエド・ハリス似の男が歌舞伎町のボッタクリ店でスプラッタ映画じみた殺戮をするというもので、神戸の事件の内容とは猟奇性という点でのみ共通点があった。異質なアメリカ人の目を通すことで当時の日本社会の幼稚な精神性やリアリティを暴き出すという意図のある小説だった。

イン・ザ・ミソスープの単行本。
イン・ザ・ミソスープの単行本。

同じ時期には『ストレンジ・デイズ』という小説も刊行されている。ロールプレイがテーマの小説だが、RPGゲームのことではなく、役割を演じることで病んでいる人を癒やしていくという話だったような気がするがこれはほんのワンシーンのことだったかも知れない。なにぶん読んだのが20年も前のことなので思い出せないが、紙質といい文字の大きさといい行間といい淡々とした文章といい、味わい深い本だった。

ストレンジ・デイズの単行本
ストレンジ・デイズの単行本

なぜこの三作を唐突に上げたかと言ったら、これらの単行本の表紙に著者の村上龍自身が撮影した写真が使われていたのを思い出したからだ。『寂しい国の殺人』というエッセイ集の方では、読売新聞連載時に掲載されていた氏の写真も収録されており、当時は正直スカした感じの写真だなぁと、ありきたりな白人女性をモデルに起用した商業主義的なようでいて芸術的な、洗練されているが、洗練されすぎているような、無菌室のような、そしてどこかで見たことがあるような、アメリカかぶれした写真に見えた。アメリカかぶれと言えば村上龍が監督した映画『だいじょうぶマイフレンド』の冒頭では、アメリカ人水兵と日本人女性のダンスがいきなり始まる。この冒頭を観てもどこかアメリカかぶれだなぁと感じたのだったが、よく言われているように村上龍が基地の街「佐世保」で生まれ育った影響かも知れない。

商業的か芸術的かで言えば、村上龍自身の小説も、純文学の領域でありながらエンターテイメント性の強い、読んでいて刺激的な小説を特徴としており、このことが逆にどちらのジャンルにおいても中途半端であると感じるのだが、つまりはエンタメならエンタメらしく起承転結で結末をハッキリさせて欲しいし、ややデフォルメされたキャラクターにこれは果たして純文学と言えるのだろうかという疑問もあるが、この中途半端な立ち位置が村上龍の持ち味でもある。純文学は作家自身の冴えない生活を扱ったつまらない私小説の作品が多いし、エンターテイメントはややもすればストーリー重視で登場人物はデフォルメされており、個人の人間性を置き去りにした深みのない作品に堕しやすい。そういう意味では村上龍は両者のデメリットを取り除いていいとこ取りをしている他には類を見ない強みを持っている作家である。

『ライン』の装丁の写真は、おかっぱで目が細く唇の分厚い若い日本人女性のヌードで、どこかのシティホテルの一室で夜の東京の高層ビルを背景にしてこちらを向いている。おかっぱで目の細い日本人女性と言えば、どうもアメリカ人が好む日本人女性像と重なる。なぜそう思ったのだろう。検索して出てきた村上春樹の『ノルウェイの森』欧米版の装丁が、およそ日本人では有り得ないような、こんな日本人女性は現実にはもういないだろうと誇張されたイメージのおかっぱに細い目に赤い口紅の女性像だった事に違和感を覚えたからだろうか。アメリカ人から観たら日本人女性はそのようなイメージで見られているのかと、古くさい戦後の昭和のイメージを喚起させられた。或いは小説の舞台である80年代は若い女性はこのようなメイクをしていたのかも知れないが・・・・・・。

AFTER DARKの装丁
AFTER DARKの装丁

これらのアメリカ人が好みそうな日本人女性はどうも映画の中の花魁のイメージと重なる。日本人なのに日本人ではないような差異からくる違和感。村上隆の日本のアニメなどのサブカルチャーをテーマにしたポップアートが当の日本人特にアニメ好きなオタクから観たらどこが良いのか分からないむしろ我々のオタク文化が侮辱・馬鹿にされているように感じるが、外国人から観たらバカウケする関係と似ている。外側から観た日本のイメージ。外国人の好みに合わせた日本のイメージ。村上龍の小説にも、村上龍や村上春樹海外版の装丁の写真にも、村上隆のアートにも共通している。日本人の実生活に根付く精神や歴史の連続性をぶった切ったような日本のイメージだ。アメリカのハリウッド映画の中の日本人とも重なる。

さて、『ライン』という小説ではストックフォトサービスの前身のような会社を立ち上げた女性が儲かっていたような記憶があるが、やはりどのビジネスでも一番始めに立ち上げた人が一番大きく儲けることが出来る。2018年現在、これからストックフォトを始めようとして、儲けることが出来るだろうかと疑問に思い検索をかけたら、絶望的な気持ちになるような裏話や実体験が数多く上がってきた。

https://stockmoneyphoto.wordpress.com/category/マイクロストック/儲かる/

http://photo.side-biz.net/2016/02/06/ストックフォトの実績報告(2016年1月)/

http://ts-engine.net/wp/archives/714

始めて2ヶ月で400枚ほど写真を上げて月100円の売り上げだったり、2000枚写真を上げて月600円だったりして愕然とした。正直小学生のお小遣いにも満たない額を得るために、数百枚数千枚の写真を編集してアップロードするという多大な労力を割くべきだろうか。筆者自身も月の写真を編集したが、撮影の手間は別として、画像編集ソフトで色々調整したり、アップロードする手間を考えると、労力が割に合うようには思われない。大体儲けることが出来るのは2%くらいで、やはりどこでも見かけるピラミット型のビジネススタイルのようだ。アフィリエイトでも月5000円以上儲かっているのは全体の10%で、100万円以上となると2%くらいだという。ストックフォトで儲けている人は月に200万円も儲かっているとのことだが、自分でスタジオを作って、モデルやメイクさんを雇って、企業の好む人物写真で勝負しているらしい。これから参入する一写真家として、これと同じ事が出来るかと言われたら実現性がストンと急降下する。また他にも先行者利益があるようにも思われる。既に昔から始めているフォトグラファー達に利益のパイが占められているのではないか。それに著作権はどうなるのだろう。ストックフォトに写真を提供したら、自分のブログなどではその写真は使えなくなるのだろうか。またストックフォトもアフィリエイトと同じで時が経るにつれて報酬額が改悪されているそうだ。これだけ参入者が多いと果たして儲けることが出来るかどうか。ごく少数の成功例に釣られて始めると労力の無駄になりかねない。

ということで、またしても提灯記事に触発されてストックフォトをやろうと重い腰を上げようとしてすぐにその腰を下ろしてしまった。また気が変われば登録するかも知れないが、今のところストックフォトには灰色の空のイメージしかない。

月の写真はこちらで格安で販売しているので、良かったらどうぞ。

最後に『ライン』にまつわる思い出。98年当時、夜も更けた頃に電車に乗っていたら、ドア付近に立っていた30代くらいの中肉中背で眼鏡をかけた男が、カバーも掛けずに『ライン』を熱心に貪り読んでいた。目が落っこちてしまいそうなくらいに強く硬い表情だった。当時はインターネットはまだ一般的ではなく、情報源はテレビやラジオ、雑誌、本に限られていた。その頃から(近代)文学は死んだなどと言われていたが、インターネットがなかった当時はまだ小説には凶暴な力が漲っていた。インターネットの登場に伴うパソコンの普及により、人々の紡ぐ文章は平坦になっていったように思われる。