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いわゆるA級戦犯 ゴー宣SPECIAL – 現代人が抱く東京裁判の通念を覆す入門書

いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL

小林よしのりの「あの戦争」をテーマにした『ゴー宣』は三冊買っていて、そのうち一冊『天皇論』はずいぶん以前に途中まで読んで放置していた。今回たまたまAmazonの連想リストに載っていたので目が留まりにhontoの方で立て続けに二冊買ったが、そのうちの『昭和天皇論』を途中まで読んでA級戦犯について興味が湧いてきたので、こちらの『いわゆるA級戦犯について』を先に読み終えた。

この手の漫画は作者が読者に変わって数十冊の参考文献を渉猟しまとめてくれるから都合が良い。漫画という形態なので活字の本と異なりあっという間に読み終えることも出来るのだが、『ゴー宣』は内容が濃いのと文字が多い点、また一コマ一コマに熱い思いが込められているので読んでいて疲労を覚えるし読了するのに時間がかかる。同じ理由から以前買った『天皇論』も半分まで読んでいつの間にか放っておいてしまったのだが、この本はするすると読むことが出来た。

現代の我々の視点から見ると、終戦時に国民感情がどうであったかとか、なぜあのような無謀な戦争に突き進んだのかという事が見えにくいが、この本の中での戦後の国民の手のひら返しの模様やマスコミが開戦に果たした役割などが描かれていて、その当時の空気が伝わってくるようだった。当時の軍人や政治家、外交官達がいかに戦争回避に苦心していたかも見て取れる。

A級戦犯というと、未だに靖国神社の合祀問題で揺れており、報道される度に処刑された七人が悪者のようにマスコミに扱われるが、1人1人をつぶさに見ていくと、戦勝国の事後法による復讐裁判以外の何物でもないことが窺われる。最近YouTubeでビートたけしが東條英機を演じたドラマ『あの戦争は何だったのか』を見たのだが、やはりそこで描かれている東條も、同じくA級戦犯として処刑された武藤章も、昭和天皇の聖慮を受けて日米開戦回避に尽力していたことが窺える。しかし時既に遅しで、日本の在米資産を凍結され、石油を全面禁輸され、甲案乙案を用意したが、最後通牒とも言える内容(中国及びフランス領インドシナからの全面撤兵など)のハルノートを突きつけられ、軍部からも国内世論からも押されて戦争を回避する術を失ったことから開戦を決断せざるを得なかったこと、天皇にその旨奏上した後に咽び泣いたことなどから見ると、東條は単に開戦時の首相でしかなく、A級戦犯の罪状としてあげられている「共同謀議」にしても東條は首相就任以前は政治の中枢に深く関わっておらず、そもそも政府・陸軍・海軍・外務省・大蔵省それぞれが全く異なる方針を打ち立てて足並みもバラバラだったこと、また海軍内でも意見が真っ二つに割れていたことを鑑みると、行き当たりばったりで戦争に突き進んでいったことで共同謀議でもなんでもなく、当時大蔵大臣だった賀屋興宣がいうように、アレを共同謀議と呼ぶなら買いかぶりも良いところでお恥ずかしい限りのものだった。そもそもアメリカは最初の一発を日本から撃たせたかったというルーズベルト大統領の証言があるように、やはりあの戦争はアメリカに煽られ誘導され、追い詰められて仕方なく始めたのだなという感じがした。ハルノートが突きつけられた翌日の11月27日、アメリカのスターク海軍作戦部長は太平洋艦隊司令長官キンメル将軍らに「戦争警告」を発し、日本が攻撃を仕掛けてくる恐れがあるから防衛配置をするよう促す。日本側もハルノートを突きつけられたことで対米交渉を打ち切り、開戦を決意する。しかしそれらの情報もアメリカの諜報部により筒抜けとなっていた。それ以前の会議でルーズベルト大統領は、事前警告無しで戦端を開くので有名な日本軍は12月1日には攻撃を仕掛けてくると読んでいた。

のちにA級戦犯は法により国内法では赦免され名誉を回復し、A級戦犯は存在しないことになる。それ故に本書もA級戦犯ではなく「いわゆる」A級戦犯というタイトルとなっている。

そもそもA級戦犯という言葉はよく聞くがそれが何を意味しているのかはよく分かっていなかった。何度かテレビで見たりしたことがあるのだが、その時は納得したがしばらくすると忘れてしまうほどに曖昧だった。A級と聞くと罪が一番重いように感じられるが、実際には戦争指導に対する罪で、B級は戦争犯罪に関する命令を下した上官の罪、C級は実際に命令を実行した一兵卒の罪のことで、ドイツのニュルンベルク裁判のシステムを援用しようとしてこのような名称になったが、結局は復讐裁判なのでずさんでしかなかった。国際法学者の見解も東京裁判は全く以てナンセンスな裁判で、その内容も本書で詳しく描かれている。しかしどういうわけか日本のマスコミや左翼は東京裁判を権威のように扱っている節がある。

争点となっているサンフランシスコ平和条約11条の、日本は東京裁判を受諾するという一文についても、英語のtrial(裁判)とjudgements(判決)の解釈の違いについて、なぜjudgementsという単語を選んで条文に盛り込むことになったか、当時の複雑な事情も本書で詳しく述べられている。

そもそも勝者が敗者を法廷で裁くというのは人類史上初めてのことだったらしく、確かに今年終戦100周年で1000万人以上の死者を出した第一次大戦では敗戦国のドイツ帝国で戦争を指導したヴィルヘルム2世も、その意を受けて軍を指揮したヒンデンブルク将軍やルーデンドルフ将軍も裁判には掛けられなかった。それ以前なら裁判もなく島流しにされるかその場で処刑されていたのだろう。つまり東京裁判を認めるという事は人類は平和的に進歩したどころか法を無視して魔女狩りのような裁判を大々的に喧伝実行して退化してしまったことを認めるとという事だ。

マッカーサーから命令を受けた部下も前代未聞のことでよく分からないから片っ端からA級戦犯を上げていってリストを作成したそうだ。しかしこのような東京裁判を開いて日本の指導者達を戦争犯罪人として裁くとするなら、戦後東南アジアで再侵略を目論んだフランスやオランダも悪者になるし、イギリスなどはアヘン戦争を仕掛けて汚い戦争で勝利し大清グルンの領土を侵食していったし、ソ連などは日ソ中立条約を破って満州や北方四島に侵攻し、戦後は抑留者をシベリアで酷使して大勢の日本人を死に至らしめた、アメリカに至ってはトルーマン大統領が原爆を二個も落とす命令を下し無辜の民を大量に殺戮せしめた、これこそ戦犯ではないかという論法が成り立つ。結局は法に則っておらず、勝者の裁きでしかない。

A級戦犯リストを作成するよう命じたマッカーサー自身も裁判終了の2年後にあの裁判は間違っていたと認めている。しかし日本人だけが、東京裁判の判決を金科玉条か亡霊のようにいつまでも引きずっているように思われる。それはマスコミの国内に限った「あの戦争」の犯人捜しの論調だったり、中国や韓国の日本に対する政治的な突き上げの形だったりする。戦後日本人は自虐史観に陥っているためか過去の戦争に対する批判や罪の意識に対してはどこかお人好しでそれらの主張を鵜呑みにしかねない。経済的にも世界第二位と呼ばれる経済大国に成長したが、中国韓国に対し後ろめたさを感じているような節もある。しかしインターネットやこのような漫画家の登場により、当時A級戦犯として戦勝国の復讐心から被らなくても良い罪を被った軍人や政治家達の日本の未来に対する思いが徐々に伝わっていくのではないだろうか。あの戦争に対する罪悪感を占領国の洗脳によって日本人が背負ってしまい、マスコミが太平洋戦争の特集をニュースなどで細切れに報道し少量の毒薬を少しずつ垂らしていくように煽っているからそのような自虐史観に陥るわけだ。朝日新聞に対する痛烈な批判も描かれているが、朝日は戦前も戦後もその姿勢は同じで、要は長いものには巻かれろ精神だと喝破するシーンは正鵠を射ており見事だった。当時の国民もあれだけ戦争に熱狂的だったのに、アメリカ軍が進駐してくると手のひら返しで賞賛していた政治家や軍人、また軍神と称えられた兵卒に対してまで非難を浴びせたのだから同類のようなものだろう。A級戦犯に責任をすべて背負わせた感すらある。

マッカーサーに関しては同著者の『昭和天皇論』でも自己顕示欲が強い人物として批判されている。あちらを読むと今まで歴史の教科書やマスコミの報道で抱いていたマッカーサー像が崩れていくが、当時の日本人もマッカーサー将軍を日本を救った恩人という見方で熱烈な人気がありマッカーサー神社を建立しようという全国運動にまで盛り上がった。しかし彼が帰国してから「日本人の精神年齢は12歳」とアメリカ議会で証言したことが新聞で報じられると、魔法が解けたかのように急速にマッカーサー熱が冷めて、神社の運動も立ち消えになったそうだ。それなのにむしろ現代人の我々の方がマッカーサーに幻想を抱いていて、当時のアメリカの進駐軍を日本の救世主みたいに感じ、日本に民主主義をもたらした恩人のように感じているのはおかしな事でもある。

A級戦犯全員に無罪を言い渡したインドのパール判事についても描かれており、感涙せずにはいられない。またA級戦犯や靖国神社問題に関して、左翼だけではなく保守も批判されている。その辺りの深い論法などもやはり資料を深く渉猟してのことなのだろうか。

本書からパール判事の書籍について当たるのも良い。例えば本書でも紹介されている田中正明氏の『パール判事の日本無罪論』など。また戦後史研究の入門書としても最適ではないだろうか。いわゆるA級戦犯に対する価値観が変わることは間違いない。現代人の我々の皮膚感覚では知り得ない当時の状況や人々の戦争に対する思いなどを知るには打ってつけである。