ここ数年、「マウントを取る」「マウンティング」という言葉をインターネット上で見かけるようになった。言葉自体はよくTwitterで見かけるが、実際はFacebookがマウントを取る場所の事例として挙げられている。Facebookは実名登録故に、一部の界隈では見栄を張る合戦場と化しているのだという。高級レストランで美味しい料理を食べたりいい車に乗ってドライブしたりしている写真をFacebookに上げては、他人よりも自分の方が上という選民思想をまき散らしている姿が実例としてニュースサイトのコラムに上げられていた。マウント女子なんていう言葉もあるくらいだ。
筆者自身もインターネットではなくリアルな世界でマウントを取られたことがある。数年前にインテックス大阪で開催されたこみっくトレジャーという同人誌即売会イベントのコスプレコーナーで撮影していた時のこと。撮影しているレイヤーさんは4,5年の交流がある顔見知りの女の子で何度も撮影したことがあった。そこでいつものように顔の向きを変えて貰ったり、座ったりしてポーズ指示をしていた。彼女の方も撮られるのに慣れているので指示通りにパッパッとポーズを変えていく。手短に撮影を終わらせて列から離れたら、すぐ後ろに並んでいた20代半ばくらいの男が、「僕はあんな風に指示したりしませんから」とその女の子に爽やかに言い放った。優しく言われた方の女の子は溜息をつくように苦笑い。
マウンティングという言葉は、元々は猿やゴリラが相手に対して優位に立つために馬乗りになる自己顕示行為という意味で、そこから他人に対して優位に立とうと何かにつけて揚げ足を取ったり貶したりする行為の意味に派生したのだという。なるほど語源を探るとイメージとしてはピッタリで実感が湧く。しかしながら実際のところは、マウントを取った気になって、周りからドン引きされているというのが大半ではないだろうか。筆者自身が体験した事例のように。
煌びやかな写真でマウンティングするFacebookとは異なり、Twitterでは言葉によるマウンティングがどのジャンルでも盛んだ。カメラ界隈でよく見かけるのが、JPEG撮って出しや、写真の善し悪しの基準や、使っているカメラに関するマウント。
カメラでよく聞かれるのはAPS-C機を使っていたらフルサイズユーザーからマウントを取られたというもの。撮影現場でのその体験をTwitterで投稿する。それは災難だったなぁと思う一方、被害を訴えるその投稿内容自体にフルサイズに対するAPSーC機のマウンティングが含まれていたりもする。つまり同じ穴の狢。このようにして悪意というのは面倒くさい形で連鎖していくのだ。
また最近Twitterで見かけたのが、フルサイズ機を所有している若いカメラ女子に対して、プロカメラマンが屁理屈こね回して説教している投稿。いい年して、端から見ていてみっともないなぁと思う。他人の機材に嫉妬しているだけだろと。女を見下している古くさい昭和のオッサンみたいな奴だなと思った。そもそもいちいちTwitterで指摘することかとも思うのだが、それでもマウンティングしたがるその理由は何か。やはり自己顕示が目的なのだろう。
マウントを取る人間の特徴として、自分に自信がないというのが上げられている。確かに自分に自信があれば、わざわざ他人に見栄を張る必要はない。
何かにつけてマウントを取ると、Aに対してBとマウントを取っていたのが、Bに対してはC、Cに対してはAといったように、堂々巡りでマウントを取っていたAを肯定するといったことも生じる。マウントばかり取っている人間の言う事が信用ならないと直感するのは、目的が相手を貶して優位に立とうとする自己顕示で、物事の真理を追究することではないからなのだろう。