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もしイラストまとめサイトbuhitterのようなサービスがコスプレ写真版でリリースされたら? – 検索エンジンとまとめサイトの違い

buhitterという、Twitterに投稿されたイラストをまとめるサイトが先日話題になっていた。自分の描いたイラストが多くの人の目に触れて貰える機会が増えると歓迎する人がいる一方で、所謂壁打ちイラストツイートなどを勝手にまとめられるのはいやという人もいるそうで、更には著作権などのややこしい問題に発展したり、Twitterの規約範囲内だから問題ないという反論が出たりと評価が右往左往して物議を醸していたが、果たしてコスプレ写真で似たようなサービスがあったらどうだろうかと気になったのでアンケートを採ってみた。

投票数は50票。大体いつも100人以上の回答がある中で、関心が薄かったのだろうか。結果はいいね1が40%、嫌だ!が60%。ほぼ拮抗。

Togetterというサービスもあると聞いたが、正直自分がTwitterで呟いた事が勝手にまとめられていたら良い気分がしない。Webは不特定多数に、言い換えれば全世界に開かれていはいるが、実際の所、インターネット利用者の意識としては、Twitterにしても他のSNSにしても、自分の家の中でテレビを観ながら番組の内容に対してあれこれ意見を言ったり、教室で休み時間に仲間達と会話している感覚と近いのではないだろうか。世界中の不特定多数に対してツイートしているという意識が、投稿ボタンを押した時にどこまであるか、そこまでの広がりはあるのだろうか。大抵お茶の間だったり学校のクラスの仲の良い友達と話しているのと似たような感覚、もしくはその仲間意識の範囲から壁1つ分隔てた一回りだけ大きいくらいの意識で使っているのではないだろうか。

普段の何気ない日常の呟きでは、Twitterのフォロワー数が1,000未満のユーザー、特にフォロワーが200台とか300台までのユーザーはこういった狭い仲間内で使っているという意識が顕著なのではないかと思われる。それがひょんな事から1万以上もリツイートされて、急に慌てふためく。それが嬉しいかどうかは呟いた内容にもよるだろう。意図せずに自分の日常の中の何気ないツイートが短期間で100万プレビューも稼ぎだし、多くの人の目に触れて戸惑いを覚える。スマホに届く通知が鳴り止まない。「お前有名人じゃん」というお馴染みのテンプレリプがフォロワーの仲間から付く。リツイートやファボされても、その先で批判的な意見がツイートされていることもある。本人の意図しない形でドンドンと拡散していく事もあるだろう。そういえば過去に差別的な発言をツイートした女性が、ツイート内容を拡散されて会社を解雇されるという事件が海外であった。その女性は恐らくインターネットで公開したことは全世界の住人に自分の考えを表面しているという意識はなく、ごくごく仲間内かフォロワーのフォロワー程度位までにツイートしているという意識程度しかなかったのではないだろうか。もし不特定多数に呟いているという意識があれば、そのような差別的発言はしなかっただろう。

時々炎上するTwitterの内容も、やはり仲間内の会話のような意識で呟いているといった類いのツイートの節がある。Twitterで簡単に迷惑行為や軽犯罪行為を告白して面白がっている所謂バカッターと呼ばれる連中も、全世界に自分のツイートが公開されているという意識はなかったのだろう。

一方で明らかに自分のツイートが世界中の人の目に増えることをしっかりと意識して、拡散や炎上を狙ったようなツイートをする人たちもいる。前者は自分が日常生活の中で嫌な目に遭った際に復讐心からそれらの不埒な行為を書き連ねた文章を4枚の画像にまとめて掲載し拡散を狙う。後者は炎上マーケティングなどと持て囃されているが煽るような内容に対する嫌悪感から放火魔とも揶揄されている。

拡散は世界中とは行かないまでも日本で生活している人たちの中で、同じジャンルに棲んでいて同じ問題意識を持つ人間をターゲットに同意を求めている節もある。それらの不特定多数の同意を縦にして自分に対して不埒な行為を働いた人間を糾弾する。不特定多数という言葉の定義をインターネット世界に当てはめた場合、どこまでの範囲を指すのか曖昧なところは、人間の曖昧さとも重なるのだろう。

物理的にはインターネットで呟いたことは世界中の人々の目に触れることを意味するが、論理的には、すわわちツイートした本人の意識としては、仲間内のみの会話レベルの範囲内という狭い領域に収まる。

この論理的な意識の人がインターネット上には多いから、buhitterなどの新サービスが出てきた際に反感を覚えたのではないだろうか。自分のイラストを勝手にまとめようとしたウェブサービスに対して、自分の家の敷居を勝手にまたいでイラストを盗むなという意識が働いたのではないだろうか。

そもそもインターネットが普及する前は、テレビドラマやドキュメンタリー、ニュースの反応にしてもせいぜい家族内や会社学校内の仲間内で話題に上げるくらいで、今のようにインターネットを使って、主にTwitterを使って全世界に公開するという事は有り得なかった。それをやろうとするなら、新聞やラジオ番組、雑誌などに投書するしかないが、購読者や視聴者も限定的であるし、それらメディアに載った情報は一度流されると埋もれてしまい、学術的な目的でもなければほぼ永久的に発掘されない。

しかしインターネットは違う。半永久的に自分の公開した情報が物理的には世界中の人たちの目に触れる形で残ることになる。検索すれば誰でもいつでも引っ張り出せる。事件を起こした犯人の実名報道記事をググれば出てきてしまい、社会復帰に支障が出るので検索結果から削除して欲しいという裁判が起こされたのも、インターネットならではの事象だろう。

この手のまとめサイトとグーグルやYahoo!などの検索サイトの違いは何か。まとめサイトとGoogle・Yahoo!は同じなのではないかという意見も聞かれるが、GoogleやYahoo!はインターネットの黎明期から存在していたネットの巨人である。特に最近流行のブロガーやインターネットでビジネスを展開している人たちにとっては、これら巨大な検索サイトは、絶対王政的な、神聖にして侵すべからざる存在と言っていい。検索結果の上位1ページ目に表示されなければ、そのサイトは存在しないも同じだからだ。だから個人ブロガーからBtoB、BtoCサイト運営者に至るまで皆必死になってSEO対策に躍起になっている。

GoogleやYahoo!の検索エンジンの検索結果は何百とあるアルゴリズムで決定される。一方でまとめサイトは手動でまとめられる。まとめる人の意思がそこに介在する。この意思は機械的で幾何学的故に公平的なアルゴリズムとは異なり、情報をピックアップする人間の生々しい善意や悪意がより明確に現れてくる。要は都合の良いところだけを抜き出して偏向報道するようなマスコミと同じ事も出来る。そこに検索エンジンとまとめサイトの大きな違いがある。検索エンジンは機械的だが、まとめサイトは感情的であるが故により人間的である。まとめサイトには公平性がないから、まとめられた方は反発を覚える。GoogleやYahoo!の検索エンジンに掲載されても嫌悪感を感じないのは、選び方が機械的に選別されて公平であるからで、まとめサイトは人間が介在しているという意識が働くだけで、余所者が勝手に家の中に上がり込んできたような嫌悪感を覚えるのだろう。

インターネットが普及した当初は、今まで仲間内だけで話していたアニメや音楽や映画やドラマやニュースなどに対して自分が思ったことすなわち感想を、全く別の世界に住んでいる人間、すなわち遠くに住んでいる人や未知との人たちと共有でき、意見を交換できるという事に、どこか憧れというか夢のようなものがあった。インターネットは長い戦争の歴史の果てに人類が行き着いた理想郷ではないかという幻想。しかしその幻想はすぐに打ち砕かれることになる。インターネット上は議論の紛糾の場となってしまった。煽り屋がそれに拍車を掛けた。家族内や仲間内で和気藹々と感想を言い合う場が大きく拡がったと思ったら、現実世界にはない文字だけの世界に特有の些細な言葉の行き違いで、いがみ合いに発展することが多々ある事に気づいた。

buhitterはTwitterでバズっているイラストをまとめて紹介するサイトで、AIも使っているので、どちらかというと機械的な検索エンジンに近い。検索エンジンをイラスト検索用に更に洗練させて機能を充実させたイメージがある。イラストを見るのが好きな筆者としては重宝するサービスだ。ではコスプレ写真で同じサービスが出たらどうかという意識調査を行ってみたが、結果ははほぼ拮抗する形となった。コスプレ写真の公開にしても、多くの人に観て貰いたいという意識の人もいれば、仲間内かフォロワーのフォロワーの範囲内程度の狭い領域で観て貰いたいという意識の人もいるということだろうか。

どちらにしても、インターネット上で公開したらそれは全世界の人の目に触れることになるという考えの押しつけは、物理的であり、論理的ではない。仲間内のみでネット上で呟いているという意識の人がいるという事は特別なことではなく、インターネットの世界が生まれる前からのいわば遺伝子のようなものでごく自然なことだ。そもそも全世界の人々の目に触れていると公言している本人自身が、インターネットで何かを呟く時は常に70億人の人たちに見られる事になると意識しながら投稿ボタンを押しているのか怪しいものだ。持論を展開するのに都合の良い時だけ物理的な意識を持ち出してくるのも、人間的ではない。

結局は、人の気持ちをくみ取れないことには、何事もうまくはいかないのだ。