この年になるまで富士山を間近で見たことがなかった。子供の頃に親と一緒に車で長野の方まで旅行をして、そのついでに富士山も寄れるのではないかと挑戦したのだが、時間がなく遠くからしか見られなかった。
朝一で松本城を見てから、返す刀で河口湖へと向かう。JR松本駅から甲府駅まで2時間、甲府駅から富士急行乗り換え駅がある大月駅まで1時間、富士急行大月駅から終点の河口湖駅まで1時間、河口湖駅から河口湖畔北側の桜スポットまで徒歩で1時間の計5時間。
特急電車を使った方が早く着くし撮影時間も確保できるのではないかとも思ったが、今回は計13日間の桜撮影紀行ということで、旅費もなるべく節約したいし、乗車時間も大して変わらないので鈍行で行くことになった。他に撮りたい場所がたくさんあるというなら別だが、そこに行くまでの時間が確保できるほど時短できそうにない。ちなみに二泊三日の中日であるこの日は青春18切符は使わずに、現金とiPhoneのSuicaで旅した。
桜スポットに着いたのは午後4時前で空も晴れ渡っていた。普段は昼間は手持ちで撮影するが、富士山ということで心を引き締めて三脚を立てて撮影に挑む。
霊峰富士。日本人の心。思っていたよりも大きいし、迫力もある。初めのうちは左側の丘に富士山の裾野が隠れている感じだが、先へ先へと進むと富士山の全体像が拝める。
太平洋戦争時にアメリカ軍が富士山に赤いペンキを落として日本人の戦意を喪失させようという計画があったらしいが、ペンキの量が膨大になるので却下されたそうだ。それほどまでに外国人にとって日本の富士山は宗教的色合いの濃い、他の宗教でいえばイェルサレムやメッカのような、日本人の精神の拠り所として捉えられているということだろう。しかし赤いペンキを落とせば、浮世絵にあるような赤富士になってそれはそれで目出度いのではないかとも思ったのだが。
神社仏閣にお参りに行くにしても、それほど信心深くはない。二礼二拍手一礼や鳥居の真ん中は神様の通り道だから端を歩かなければならないなどお参りの形式的な作法は知っていても、どこまで神様に対して信心深いかと問われると、どうも疑問符がつく。科学万能の世界になり、同時に神頼みにしなくても食べていける豊かな社会になり、神の存在が曖昧になる中、それでもこれ程長い歴史と伝統を受け継いでいる社にお参りすれば何かご利益があるかもしれないという想いが頭の片隅にあり、旅先でお参りに向かう。ちなみに筆者は、子供の頃に神社でおみくじを引いたら大吉だったが、その年は本当にろくな事がなかったので、この手のものはあまり信用していないし、それ以来おみくじや縁起物は購入していない。しかしそういった神に対する反発の態度も裏返せば神の因果や存在をどこかで固く信じているということなのかもしれない。ここ最近はお参りをしたり、御朱印状を買ったりはしているし、縁起物も2回ほど購入した。
ここも外国人観光客が多い。中国人や韓国人だろう。革ジャンを着た若い女性ふたりに写真を頼まれたが逆光で顔が暗くなってしまう。半順光になるよう立ってもらって撮り直し。
桜の時期に富士山に来れるという幸せ。富士山を桜が化粧する。良い時期に来られて良かった。
せっかくだから夜の富士山も撮ろうと、夜空に星が浮かぶことを期待して撮っていたら、思っていた以上に星が出てくれた。河口湖畔は宿も多いし光害で星が見えないかもしれないと思っていたが、予想外の嬉しさ。昨晩は−1℃の中で枝垂れ桜と星空を撮り、富士山の夜景と星を撮るのは無理ではないだろうかと怖じ気づいていたものだったが、最終的に撮れて良かった。枚数は少ないけれど。次に来るときは徹夜でユニクロのヒートテックなどを着込んで暖かい格好で撮りたいものだ。突発的に立てた旅程だったので、合理的なタイムスケジュールとまでは行かなかったが、当初は撮れるとは思わなかった富士山ものんびりと撮れたのだから及第点だろう。
雄大にして雄壮な富士山、これもまた何度でも訪れたくなるし、また別の場所から眺めたくもなる。今回の旅行ではこの後、新倉山浅間公園と富士山本宮浅間大社にも赴いて富士山を見てきた。また近いうちに訪れたいが、神戸からはいささか遠いのが旅費がかかり難点だ。
しかし毎日富士山を眺めていると食傷気味になりそうだし、たまに訪れるからその美しさも一際際立つのだろう。ということにして、次回の訪問まで楽しみに取っておくことにした。