女性カメラマンと男性カメラマンは同じ被写体でも撮る写真が異なる理由

男性カメラマンと女性カメラマンの撮る写真の違いは?
男性カメラマンと女性カメラマンの撮る写真の違いは?

雰囲気写真が得意なのは女性カメラマンに多い。レイヤーが撮る写真とカメラマンが撮る写真の比較ツイートを以前Twitterで見かけたことがあるが、なるほど女性は雰囲気写真、男性はポートレート風に撮るのだなと妙に納得させられた。

女性カメラマンはキャラクターの内面を奇抜な構図とボケを用いて写真で表現するのが得意な一方、男性カメラマンは被写体の美しさをレンズの描写力とボケの組み合わせで表現しようとする理性的な面が強いのだろう。

同じ絞りを開放にしてボケを活かすやり方でも、心象を表現する為のボケと、被写体の魅力を際立たせる為のボケの、二通りが有るのだと気づいた。女性は内面的な物語の美しさを、男性は外面的な容貌の美しさを写真に残そうとする。心象にこだわるのは同性であるが故、容貌にこだわるのは異性であるが故なのだろうか。

女性カメラマンが雰囲気写真が上手いもう一つの理由は、女性カメラマン自身がコスプレをしていて撮られ慣れているという点が上げられる。コスプレ写真を撮られる側としての「こういう風に撮って欲しい」という要望が自身の中で明確なので、いざ撮る側に回ったときに、レイヤー側の意向を酌んだ写真を撮ることが出来る。

この日は僕と女性カメラマンの二人でアイナナの大型併せを撮っていた。やはり女性ともなると声のかけ方からして違い、好きな作品を共有している為かレイヤーとの親密感も伝わってくる。端から見ていても凄く楽しんでいる感じだった。

もし男性カメラマンで作品を知っていたら、目の前で繰り広げられている光景のように女性レイヤー達と親密な時間を共有できるだろうかと想像すると、難しいように思う。そこにはやはり警戒心だったり感じ方の違いだったりといった性差の壁がある。

故に男性カメラマンは、キャラクターの心象を写真で表現しようとすることが苦手なのではないだろうか。何かしら秘密の花園めいた女性の心にずかずかと土足で踏み込むような後ろめたさに囚われ、それならばとポートレート風の無難で直截的な写真に逃げ込んでしまう。

男性カメラマンがよく言い訳のように口にする「作品を知らないから(男装は)撮れない」というのは、男装は撮りたくないから撮影を断る為の方便として使われる他に、上述したような理由で雰囲気写真が撮りづらいからかもしれない。

さて、僕はどういう立ち位置で撮っていけばいいのか。変わった未来風の椅子に腰掛けてのんびりと休憩を取っていると、写メで自撮りしている4人の集合写真を撮って欲しいと声を掛けられ、鈍重になりかけていた意識を振り払い、腰を上げた。

そういえば以前にハイキュー!!合わせでこんな感じの4人の集合写真を撮ったことがあるなと思い出し、その時に用いた大胆な構図で撮ってみる事にした。

四分割構図とでも言うのだろうか。撮る時にはそんな言葉は思い浮かばない。とにかく余白を空けて四人を隅の方に置いて斜めに傾けて撮る。ハイキュー!!併せの時は余白に青空が広がっていたが、今回はライブ風の天井だ。

奇抜な構図で4人から青春のイメージを引き出す。カメラマンがイメージを押しつけるのではなく、被写体からイメージを引き出す。そして余白に物語らせる。

構図の退屈さから抜け出す為には、時に大胆になるのも良い。突破口が見えた気がした。