戦前の文豪、幸田露伴の筆になる『渋沢栄一伝』を読み終わったちょうどその日に、栄一を主人公にしたNHK大河ドラマ『青天を衝け』が夜8時から始まった。まずは一橋慶喜の馬の走る経路の途中で挨拶して後日改めてお目通りを希おうというシーン、まさに栄一伝に描かれていたとおりで、細かな所作はテレビドラマの演出だろうが、読んだばかりの情景が映像化されているのを観て胸が高鳴った。
『渋沢栄一伝』は日本資本主義の父と呼ばれる栄一の宮仕えまでの前半生に比重を置いた伝記で、栄一がいかにしてその人品を磨き上げるに至ったかを、その時代に起こった事件や制度と絡めながら解きほぐしていく。宮仕えをやめて官尊民卑と呼ばれる時代の空気漂う明治前期に官から民の側へと自ら飛び込み、銀行を始め600社以上の会社や団体の設立に関わったとされ、それらは現代日本の代表的な企業として今も存続して我々の日常生活の暮らしに深く関わっている。
前作の大河ドラマ『麒麟が来る』を結局は第一話だけ観て、その後観るのを止めてしまったのもこの辺りに理由があるのかも知れない。時代が遠すぎるのだ。権謀術策渦巻く活劇としてみるには戦国時代は面白いのだが、既に何度もドラマで観てきた時代であるし、明智光秀の前半生が謎に包まれており脚本がどうしても想像でストーリーが運ぶだろうという推測から、現代劇になってしまうのではないかという若干の失望感が生じて見る気が起きなかった。Twitterの方ではイラストにした感想で毎回盛り上がっていたらしいし、嫉妬に狂った坊主や赤い舌の裏切り者の印象的なシーンも度々あったと聞くし、後陽成天皇も珍しくしきりに出てくるので、NHKオンデマンドの方で観ようかとも思っているが、時代が遠すぎて、我々の生きている時代に直結し訴えかけるものがあまりないのではないかと食指が伸びなかった。それにコロナ禍で中途半端に話数が間引きされたのもテンションを下げた。何度も録画されているのを見ようと試みたが、他にやることもあるし結局1話しか見られずにいつの間にか本能寺が来て終わった。恐らくコロナ禍という我々が長く体験したことのない前代未聞の緊急事態が、血湧き肉躍る活劇よりも、現代を生き抜く上でヒントになる新時代の開拓者の話を本能的に求めているのだろう。
『青天を衝け』オープニングは墨画タッチで描かれており、前半は幕末なので和装姿だが、後半は打って変わって洋装で鹿鳴館を彷彿とさせるダンスが繰り広げられる中で栄一が天から差し込む光に手を伸ばして明るいムードで終わる。実に感動的で目に涙がにじむ程だった。昭和の初期まで生きた長寿の人なので、恐らく激動の昭和初期までを描くのだろう。その観点から言えば、幕末に会津戦争を戦った新島八重と、明治維新後に同志社大学の前身となる英学校を設立した新島襄夫妻を扱った『八重の桜』と似通ったところがある。『八重の桜』も初回は会津藩の軍事教練「追鳥狩」のシーンがあるが、これが威容漂う陣構えの中で事が運んでいく。一方『青天を衝け』も水戸の徳川斉昭の大砲演習のシーンがあるが、これが金ピカの大砲を何門も並べており、それらを取り巻く人数もやたら多く、まるで国体のカヌー競技場のような賑わいを彷彿とさせた。斉昭も壮大な追鳥狩を行ったと言うから恐らく同じものであろうか。それにしてもこのコロナ禍でこれだけ密な撮影は可能だったのだろうか、或いはCGに寄る加工が施されているのかも知れないが、どれだけ目を凝らしてもCGには見えない。
徳川斉昭を演じるのが竹中直人でかなり意外なキャスティングだったが、似ていないことはない。竹中と言えば既に二度も大河ドラマで演じている秀吉のイメージが強いが、軽薄なイメージのある役柄から今回は水戸の斉昭公を演じるのだから、随分素っ頓狂な変わり様だと見ていたら、君主たる者の心得を、常に乾いておれとか、朝には黒豆100個と牛乳を必ず嗜めとか家訓の箇条書きのように息子の慶喜に訓戒していく中で、中指を立てて肛門を打てば痔にならないと、竹中直人らしいおかしみもきっちと添えられていた。斉昭の養育方法の中で、寝床の脇に白刃を立てて寝相を直すというシーンもあり有名な話だが、あれは後に小林よしのりの漫画『おぼっちゃまくん』でも養育法として描かれていたのをふと思い出した。
竹中直人が徳川斉昭と意外だったが、Twitterに流れてきた今回の四人の貴人達の肖像画と役者とを並べた画像を見ると、徳川斉昭の顔は竹中直人とソックリなのだ。特に顔が豆のように丸いところが。これはやはり絶妙なキャスティングなのではないかと考えを改めた。
大法の演習で世間を騒がせたという事で、江戸城に登城仰せ付けられ、隠居謹慎を命じられる斉昭。その千代田の主である徳川家慶を演じるのは吉幾三。これもまた意外なキャスティングだ。江戸城内のセットの考証は細かいところまで忠実らしく、後の第13代将軍家定も家祥の名で出てくるが、周りを取り囲む女達からお料理がお上手と囃し立てられていた、やはり菓子を作っていたのだろうか、その短いシーンだけで幕府の凋落を予感させるに充分だった。
冒頭には北大路欣也演じる腰の低い徳川家康が出てくる。どことなく明智光秀の生涯に迫った漫画『織田信長を殺した男』に出てくる家康と似ていると感じたが、家康だから誰が演じてもあのように恰幅よくはなるだろう。その家康が徳川幕府は300年日本に平和をもたらしたと自らの功績を自負し始めた。幕末明治が舞台のドラマだから徳川は何かと悪者扱いされがちだ。とかくドラマの視聴者には先入観が伴う。家康がその基礎を固め、二代秀忠・三代家光が完成させた御家温存に重きを置いた徳川制度そのものまでが農民から搾り取るだけ搾り取った悪政だったと囚われがちなイメージに釘を刺すという意味でも良い効果だ。確かに徳川政権264年の内、大きな戦は1614年から15年にかけて戦塵大いに吹き荒れた大坂の陣と1637年から38年にかけて発生した島原の乱を最後に、大政奉還まで大軍を動員した大きな戦はなかった。家綱代替わりの時に未遂に終わった由井正雪の乱と、1837年に大坂の町の5分の1を焼いたが半日で鎮圧された大塩平八郎の乱を除けば、広範な泰平の時代が続いており、これなどは足利尊氏が室町幕府を開いてから戦乱が絶えなかった時代と比べると実に対照的で、日本史上希に見る平和な時代を築いた功績は大きいのではないか。なぜ家康が出てくるのかも不思議に思ったが、言われてみれば渋沢栄一は徳川慶喜に仕えた幕臣だった。
栄一の実家は養蚕と藍玉を生業としている。このときの経験が後の官営工場の設立にも生きてくる事になる。その飼われた蚕の様子がCGで粘土アニメ『ニャッキ』のようにコミカルな動きで踊り出す。
農村の営みもよく描かれており、藍葉を農機具の棒で叩くシーンなどもリアリティがあった。
森の中で何やら怪しい髭面の武士が子供時代の栄一らと邂逅するが、演じるのは玉木宏、大河ドラマでは『功名が辻』の終盤で大きなメガホンを取りだしたコミカルな印象が強い。役は後に幕府の砲術指南となる高島秋帆。蘭学嫌いの幕臣・鳥居耀蔵に妬まれ投獄されたと聞くが果たして真相は。捕吏にかなり強めに打たれて連行されていった。
恐らく今回の大河ドラマは夜8時にテレビの前に齧り付いて観ていくことだろう。今までに見たことのない側面からの幕末と明治大正をドラマを通して体感出来るので期待大だ。