鹿児島戦争記 実録 西南戦争 – 明治10年のまとめサイト

鹿児島戦争記 実録 西南戦争

鹿児島戦争と聞いててっきり幕末の薩英戦争のことを連想したが、この百数十ページ程度の薄い文庫本は明治10年に勃発した日本史上最後の内戦、西南戦争のことであった。錦絵入りの戦記物で、およそ八ヶ月続いた西南戦争中に報じられた幾社もの新聞記事を元に編集した読み物だという。作者は草双紙体裁の読み物に携わっていた人で、幕末の慶応年間には戦記物をよく出していたが、色々悩みがあったらしく9年間ほど絶筆状態だったらしい。そこへ来て西南戦争が勃発し、出版社から白羽の矢が立ったというわけだ。

新聞記事を編纂した物というと、今の時代に例えるなら少し前に問題化して今はGoogleの検索エンジンから根こそぎ評価を落としているキュレーションサイトに見られるリライト記事や、まとめサイトと似たような著作物に感じられるが、あれはインターネットから他人の記事や写真を無断で引っ張ってきて引用したりリンクを張ったりして元記事に対してまとめ作成者が広告収入目的でまとめているのがよく伝わってくる思い入れの薄いコメントをオマケ程度に記したりしている物が多く、あんなのとこちらの戦記を同じにしたらさすがに失礼だろう。いくつもの新聞記事を元にしておりそれらを買い続けるだけでかなりの金額を必要としたようだ。

「鹿児島戦争」という言葉から別の戦争と錯誤したように、日本史を囓っている現代人なら薩英戦争か西南戦争のどちらかを思い浮かべるわけであるが、もう一つ、鹿児島に起因した戦争と言えば、安土桃山時代に勃発した豊臣秀吉の九州征伐があげられる。本書でも九州征伐についての記述があり、本願寺第11世宗主であった本願寺顕如が信長の軍門に降り、後に秀吉の庇護の元に薩摩入りして間諜(スパイ)のような役割を果たしていたので、西南戦争でも反乱軍らが真宗の法師達をその故事と重ね合わせていたために、説法していたところを引きずり出して幽閉し、最後には軒並み首を刎ねてしまうという事が、劇的かつ臨場感溢れる筆致で描かれている。

薩英戦争についても触れられており、鹿児島という地形は峻険で大砲や兵糧を運ぶ平坦な道に乏しく、海から攻めるにしても桜島辺りの狭隘な湾に阻まれて英軍の艦船と見事に互角に張り合った戦績を例に出して地勢の講釈なども簡潔に記されている。江戸期にも薩摩に入ったら生きて帰れぬ節があり、将軍の隠密であるお庭番などが薩摩に入っても、途中の道で待ち構えている薩摩藩士に一刀両断されたという話をどこかで聞いた覚えがある。日本の南端にある薩摩はまるで異境の国だ。

その異境の国・鹿児島が、西南戦争勃発前は独立国の様相を呈していた。征韓論に敗れた西郷隆盛は帰郷して隠遁生活を送っていたが、政府から支給される恩給2,000石を私学校設立の費用に充てていた。佐賀の乱、萩の乱、神風連の乱など中央政府の方策に不満を抱いていた旧士族の反乱が相次ぐ中で、鹿児島にも不穏な空気が垂れ込めるなか、中央政府が艦を送って鹿児島の弾薬庫にある弾薬を持ち出そうと画策し私学生らとの間で悶着が起き、更には大警視川路利良の命を受けて西郷の様子を伺うために(視察するために)鹿児島に帰郷していた中原尚雄ら警察官達を捕縛し拷問の末に西郷を刺殺しに来たと自供したことで私学生らはいよいよ暴発し、桐野利秋や篠原国幹など股肱の者らに押される形で、中央政府に意見しに行く為に兵を挙げて九州を北上するに至った。果たして西郷は兵を挙げたかったのだろうか。かつて西郷が尊崇していた島津斉彬が兵を挙げて幕府に物申そうとして病に倒れ果たせなかった事を、これを機に西郷自身が敬愛する師の志を反芻してやり遂げたかったのだろうか。ややロマンチックな想像ではある。

西南戦争を扱った創作と言えば司馬遼太郎の『飛ぶが如く』が上げられる。30年ほど前にNHK大河ドラマで西田敏行と鹿賀丈史を主演に据えてテレビドラマ化され、今年2018年のNHK大河ドラマ 『西郷どん(せごどん)』ではこの二人がナレーションと斉彬の父・島津斉興を演じており、先の大河ドラマ『真田丸』と同じく配役の妙であるが、この本もそのような時流に乗って今年9月に岩波文庫より出版され、かつて「鹿児島戦記」が出た頃に時流に乗って類似本が多く出されて繁盛したのと同じように、こうして幕末から明治維新前後の時代に対する興味が旺盛になっている一読者の手の元に届いた。やはりタイムリーな映画やドラマと並行して新刊や重版が出ると、興味が湧いている最中なので手に取って読みたいという購買意欲が湧くものだ。美術館でゴッホ展が開催されていた時は、同じ岩波文庫から『ゴッホの手紙』を買いそろえたが、モーツァルトの歌劇を題材にした映画が上映されていた時は『ドン・ジョバンニ』だったか『フィガロの結婚』が絶版状態だったので、商機を逃してるよなぁと感じたものだった。

文庫本にして10巻ある司馬遼太郎の『飛ぶが如く』と比べると、本書はせいぜい八十ページ足らずで、非常に短く半日あれば読み終えることが出来る。しかし読んでいくとこれがよくまとまっており、しかも映画を見ているのと同じような臨場感溢れる筆致で、これが草双紙というものなのかと、昔の人はこれを読んで娯楽にしていたのかと思うと、あながち文字で書かれた物でも非常に動きのある映像的なイメージが喚起されるということを実感した。まるで去年観に行った『関ヶ原』の戦闘シーンのように血湧き肉躍る映像が蘇ってきた。

地雷火が爆発する描写も面白い。反乱軍が谷干城司令立て籠もる熊本城を攻めるに攻め、新政府軍が退いていき反乱軍がぐいぐいと追いすがるなか、図を得たりとテレグラフの針先に手で触れ地雷火を爆発させ、反乱軍兵士が粉みじんに吹き飛ばされてしまう。始めにドン!またドン!逃げ帰る反乱軍が焼け野原の中に一軒の店を見つけて休息を取っていたらもひとつドン!といった具合に名調子で描かれている。仕掛けた罠に面白いように引っかかるのだから、これは地雷火を扱っている方の人間は結構面白がってやっていたのではないだろうか。湾岸戦争時には戦争がテレビゲームみたいになったと言われたものだが、案外この時代の戦争もテレビゲームと似通った感覚があったのかも知れない。

当時の新興メディアである新聞記事を編集したこの戦記も同じ作者により幾つか出されていて、後付けの解説でも5つの戦記の表現の違いが上げられており、私学生の数や地名の記載方法などが微妙に異なっていたりする。新興メディアであった新聞を現代の新興メディアであるインターネットになぞらえると、各所にあるバラバラの記事を1つに結びつけて分かりやすい本にするところなどは、やはりバラバラに散らばっている電子空間の記事を1つにまとめて知の集積地とする現代のまとめサイトと似通ったところがあるが、大手のプラットフォームとそれが持つSEOの力に頼るまとめサイトの作者はややもすれば自身が得られる広告収入がまず第1にありきで優先され、その為にネットユーザーの検索動向を探り多くのユーザーを集客できるスキャンダラスな題材を、本人が興味があろうがなかろうが節操なくまとめて記事にするなど哲学や理念が欠落しているので、まとめているのに実情はまとまっていない中途半端な記事が多い。しかし大衆が興味のある事柄に目をつけるという意味では、まとめサイトも出版物も同じなので、やはり似通ったところがある。問題は原稿を確認する中継ぎとも言える編集者がいないことなのだろう。収益は大事だし金儲けは悪いことではないが、目的があまりにも金儲けに偏りすぎると質の悪いまとめ記事になってしまうというわけだ。

話がまとめサイト批判に偏ってしまったので、本筋に戻そう。しかし既に多くを語ったので余り語ることもない。司馬遼太郎が10巻分かけて記したあの長い西南戦争をたった80ページ足らずで愉しく追体験できる程に描写が臨場感溢れている。桐野利秋がフランス製の香水を銃弾飛び交う城山での戦いの最中に嗜んでいたシーンや付き人とのやりとりなど精緻な描写は記されてはいないが(司馬の創作である可能性も高いが)、木曽義仲の妾・旭と見紛うばかりの女武者の奮戦や、これも木曽義仲の計略を彷彿とさせる牛計とでも呼ぼうか、牛二頭を使った攪乱戦法など、知らなかった西南戦争の一幕も描かれていて、短いながらも愉しい読書だった。