劇場で予告編が流れた時は座席から腰が浮きそうになった。このタイミングで?2019年なのに???今更?????いやむしろ感激してるけど???
シティーハンターは15年か20年前に1度テレビの2時間スペシャル版が放送されたことがあったが、あまり面白くなかった。なんだか以前のテレビ版と比べるとキャラが違う感じがした。ストーリーが悪かったのかも知れない。あの経験があったから今回の映画化で久方ぶりに冴羽遼と槇村香が我々の前に戻ってくると知って、期待半分と不安半分があった。
『シティハンター』は夜のゴールデンタイムの19時台もしくは日曜の正午に1時間で放送されていたのを欠かさず観ていた。特に学校が休みの日曜、これから一日が面白くなる期待と子供っぽい希望で溢れる時間帯に、日曜特有の美味しいお昼ご飯を食べながら1時間好きなアニメを観るのはまさに至福の時だった。
子供の頃は純粋にストーリーが面白くてアニメや原作のファンになったが、大人になるとそれこそいろいろなドラマや映画を観て物語に対する耐性が着いてくるわけである。ハリウッド映画の練りに練られた脚本による大作や、東西冷戦下の元スパイが書いた小説の映画化作品など本格的な作品に触れるにつけ、コミック的なストーリーを果たして自分はどこまで受け入れることが出来るかという事も、作品を楽しめるかどうかの不安要素だった。
映画が始まってみると往年のファンには早速なじみの主題歌がかかる。この音楽に合わせてお馴染みの車でテロリスト集団と新宿の街中でカーチェイスを繰り広げドンパチやるシーンはテレビ版のオープニングのあのシーンを作り手自らが膨らませたかのようだった。これだけでテンションが上がる。
ストーリーの節々で過去に流れたシティーハンターの主題歌が次々とかかり、狂喜乱舞せずにはいられない。これはもうファンサービス以外の何物でもない。冴羽遼と言えば名うてのスナイパーでありながらも、強烈なスケベ男の一面を併せ持っている。MeToo騒動などで時代の空気がピリピリする中で、あの往年のセクハラまがいのシーンも事ある毎に出てくるのだが、最初の1発目では槇村香が「時代の空気を読め!」とおきまりの100トンハンマーで激しい突っ込みを入れる。強烈なスケベ男に対して強烈なストッパーがいたから、下ネタも生き、許されるのだろう。
敵対組織との筋書きに関してはやはり余り興味が湧かず話半分で聞いていたし、アニメの絵や動きに関しては、最近の尖った深夜アニメと比べるとちょっと古いかなと感じるところもあったが、そこは80年代のシティハンターの空気を残しているということにして満足した。要はテレビ版のシティーハンターの要素を最新の劇場版の登場人物達の一挙手一投足から汲み取るという楽しみ方をしていた。冴羽遼の新宿ゴールデン街の人たちとの交流や冴子との打打発止のやりとり、槇村香の遼に対するツッコミと秘めた恋心、海坊主の性格の豹変ぶりとバズーカーをぶっぱなす猛々しい姿、どれもこれもツボを刺激する。2,30年経ってもこのメンバーは当時のまま変わらない。果ては友情出演的なキャッツアイの面々。
関西ではデジタルリマスター版のシティハンターが再放送されていて、これが30年以上前のアニメなのに驚くほど綺麗に仕上がっている。古いアニメを観ていて思うのは、80年代辺りの女性の顔の表現が最も魅力的に見えるのではないかという事だ。単に自分がその頃のアニメを観ていたからかも知れないが、筆者は『うる星やつら』も『ハイスクール奇面組!』も『らんま1/2』も観ていなかったので、そこになぜこの時代のキャラクターの造形に懐かしさを覚えるのか自分でも不思議なのだが、やはり時代の空気というものがアニメの表現からも伝わってくるからだろう。
思えば80年代の『シティハンター』の劇画とアニメ特有の可愛さを混合したようなキャラクターの顔がノスタルジックな意味も含めて自分は最も好きなわけだが、そこから90年代に入り、貞本義行がキャラクターデザインした『ふしぎの海のナディア』の80年代アニメの集大成のようなキャラクター達で一応の理想的な完成像を見て、それ以後はアニメ絵が萌え系の方に崩れていって、そうして辿り着いた2000年前後のアニメのキャラクターは目や髪の形を誇張しすぎていてどうも受け入れがたく余り見ていなかったのだが、2000年代中頃から『涼宮ハルヒの憂鬱』や『けいおん!』などの京アニの作品が大ヒットを続けて、崩れすぎた萌え系のキャラクターが揺れ幅をやや戻して落ち着きを取り戻した感がある。そして同じ京アニの『氷菓』を以て萌え系キャラクターの理想的な造形美が落ち着いたのではないか。今一番可愛いと思える萌えキャラはラブライブ!のキャラクターだったり、バーチャルYouTuberのキズナアイだったりする。
ラストシーンでは本心を決して打ち明けない冴羽遼らしいやり方で槇村香に対する愛情を示していた。そしてふと、そういえば30年前の冴羽遼もこんな感じだったなと今更ながらに思い出したのだった。エンディングはこれもまた懐かしい映像。激しく流れる車のヘッドライトやテールライト、冬の日の新宿の写真、ふとあの楽しかった子供の頃の日曜の正午に戻った錯覚がして震えたのだった。