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千鳥別尺のヤマザクラ – まほろば探訪 第15回

水面に美しく映る千鳥別尺のヤマザクラ。

水面に美しく映る千鳥別尺のヤマザクラ。

水田に綺麗に映るナルキッソス伝説を彷彿とさせる神話的な桜の巨木があると聞いて、満開の時期に遊びに行ってきた。場所は広島県庄原市東城町千鳥。千鳥別尺のヤマザクラとして日本さくら名所100選にも選ばれ、広く一般に知られている。

東城町にはこの桜の他に、小奴可の要害桜と、森湯谷のエドヒガンと呼ばれる桜もあり、東城の三大桜として、のぼり等も作られ地元がプッシュアップしている。満開の時期が標高差により異なるところは、花の吉野と呼ばれた奈良県吉野町の桜と似通った風情がある。残念ながら他の桜は既に満開の時期を過ぎたようで見に行けなかったが、千鳥のヤマザクラは見事なほどに満開だった。

東城三大桜のひとつ、千鳥別尺のヤマザクラへのアクセス

電車とバスを乗り継いで向かうことにした。神戸からJRを乗り継いで、芸備線東城駅で下車。駅前にある備北交通バス東城駅前停留所からバスで20分ほど山道を揺られる。最初は車窓には東城市街が見えたが、やがて水田が広がり、ついには草深い細い山道へと入り込み、一方通行で向こうから自家用車が来ると、車の方がバックしてバスに道を譲る。そのたびにバスの運転手が礼代わりのクラクションを鳴らしていた。

上千鳥(白石)停留所に辿り着く前に、車窓から千鳥のヤマザクラの案内看板が見えた。実際には上千鳥停留所で降りた方が良いらしいが、事前に地図で調べたら、上千鳥(白石)の前で降りた方が近そうだったので、下車地点と決めていた。バスの運転手に聞いたら、上千鳥がアクセスするにはやはり最適な停留所だという。何もアナウンスがなかった、というよりバスは地元の中学生含めて3人だけしか乗っていなかったし、皆車で向かうから需要がないのだろう。奈良の又兵衛桜を観に行った時は、バスの利用者の方が多かったので、運転手が又兵衛桜へお越しの方は次でお降りくださいとアナウンスしていたから、そういうものがあるかも知れないと内心期待していたが何もなかったので、余り観光には使われていない、地元の人しか使わないバスなのかも知れない。ふと余所者の疎外感、異物として潜り込んだあの嫌な感じを味わったのだった。

上千鳥(白石)停留所で降りる。この白石というのは何だろうと疑問に思ったが、どうやら白石さんの家の前という事らしい。山道にバスが入ると、降りる場合も乗る場合も、停留所ではなく希望の場所でバスを止めて貰えるそうだ。この辺り、田舎らしいのどかさがある。

公共交通機関の本数は日に4本程度

交通機関の実際の乗車時間は4時間少しだったが、辿り着くまでには8時間ほどかかった。というのも芸備線は日に4本(1時間に4本ではない)、備北交通のバスも同じく日に4本しか出ていないから、待ち時間がやたら長い。コミュニティバスも出ていたそうだが、今年の4月に廃止されてしまっていた。やはり需要がないのだろうか。駅前には誰もいない。遠くの方で小さな女の子がボール遊びをしているだけだ。東城駅前で1時間半ほど時間が余っていたので、ぶらりとその辺りを観光などもしてみたのだった。東城駅前の観光については、昭和風情の好事家にはたまらない場所なので、また別の稿で紹介したい。

推定樹齢400年の大樹

上千鳥(白石)で降りて、夕暮れ時に近い水田の緑や桜を堪能しながら坂をくだり、約5分ほどで上千鳥停留所まで戻る。なるほど民家の間を縫う道を行けば地図通りに行けるかも知れないが、ここは初めての土地なので迷うのも怖いし、のぼりが指してある道を行こう。

どことなく歓迎ムードを漂わせているパステルカラーののぼりに従ってアスファルトで整備された道を登っていくと、随所に桜が咲いていて目を楽しませてくれる。段になっている水田の風景も美しく、足がなかなか先へと進まない。

蛇行する道を先に進めど、お目当ての桜が目につかなくて不安になったが、風景が開けると、それは確かにあった。実際に遠目で視界に入ると、これが又兵衛桜に劣らず圧巻で美しい。樹齢400年を超えた巨木が田園風景の中で音もなく静かに佇んでいるその様は、日本人の美意識を掻き立てずにはいられない。

雄大に根を張り見事な花を咲かせる千鳥別尺のヤマザクラ。

雄大に根を張り見事な花を咲かせる千鳥別尺のヤマザクラ。

平日月曜のせいか、観光客はそれ程多くはない。ただ又兵衛桜のように横に長い道がないので、アマチュアカメラマンがベストショットのスポットである水田の対岸に陣取り埋まってしまっていたから、不思議と人が多いように見える。この日は地元の中国放送のテレビ局員も取材に訪れていて、巨木の周りでドローンを飛ばしている光景を見ることが出来た。

土日には地元の人が店を出しているみたいだが、月曜なので家屋の店は閉まっていた。代わりに白いテントを張った所に、地元農家のリンゴで作られたというのが売りのアップルパイを売っていたので2つほど購入した。1つ300円。既に閉店間際だったので冷めてしまっていた。焼きたてならさぞかし美味しかったことだろう。

夕日の当たる内に桜を撮影しておく。列になっているカメラマン達の後ろに三脚を立て、水面に映る桜を写真に収めた。

満天の星空から俄雨へ

日も暮れてきて19時頃になると、桜がライトアップされた。空が蒼く暮れるにつれて、浮かぶ星の数が多くなり、やがて満天の星空へと衣替えした。ここまでたくさんの星が見えたのは、8年前に岡山を旅行で訪れて以来だ。大きな流れ星がスッと空を駆けていくのが見えた。

時間が経つにつれて、駐車場から自動車が次々と帰路につく。21時にはライトアップは終わる。これからが撮影の本番だ。残ったアマチュアカメラマン達も巨樹を遠巻きにして陣取り、静けさの中で撮影が続く。

23時頃になると雲が多くなって星空が陰ってきた。にわか雨も降り出してきて、皆帰って行ってしまう。今日は諦めたのだろう。

満天の星空だったが、ライトアップが終わった頃から雲が多くなってきた。

満天の星空だったが、ライトアップが終わった頃から雲が多くなってきた。

山道は整備されていたので筆者も歩いて駅まで帰ろうかと思ったが、バスで20分以上かかる距離を徒歩で行くとすればどれほどの時間がかかるだろうと逆算して留まることにした。

しかし標高650メートルの夜は寒い。残されたのは僕と、車の中でエンジンを掛けたり消したりを繰り返して休んでいる見ず知らずの他人。星空を待ったが、時折満天の気配はあるものの、すぐに雲に隠れてしまう。重たいリュックを背負い、三脚を立てながら4月下旬とは思えない寒風の中で星空を待つ。少し居眠りしていたようだ。車にいた男が出てきて懐中電灯でこちらを照らしてきたので目が覚めて反射的に空を見上げた。やはり星は出ていない。「すみません、気づかなかったもので」と謝られる。その男も諦めたのか車に乗り込み去ってしまった。僕一人だけ椅子に座り、水田越しに暗闇の中の巨木と向き合う。寒さが肌に染みこむが、最高の贅沢ではないか。日本酒でも呷ればなお良かったことだろう。

早朝のヤマザクラ

早朝、空が青白む。三脚を立てて冷たい湿った空気の中で桜を撮る。天気は余り良くない。時間が経っても日がそんなに出ない。車が駐車場に何台か戻ってきて、カメラマンが数人、同じように三脚を立てて朝のショットを狙う。

隣に立ったベレー帽を被った男性に話しかけられた。「昨日なら晴れてたってカメラ仲間も言ってましたよ。Twitterに写真を上げたりなんかしてね。むしろ雲が浮かんでくれた方が良かったなんて贅沢な事言ってましたね」と笑いながら言う。

早朝はあいにくの曇りだったが、桜は綺麗な姿で目の前にある。

早朝はあいにくの曇りだったが、桜は綺麗な姿で目の前にある。

朝日に当たる巨木の桜は残念ながら撮れなかったが、水面に映る桜は何度も飽きるほどに撮った。8時も過ぎた頃に満足して帰路につく。

停留所で待っていると、おばあさんが遠くの方でぽつんと立っている。側まで寄ってくるとおはようございますと挨拶された。こちらも挨拶を返す。するとまた少し離れていく。しばらくして地元の車が通りかかって、乗っていた奥さんが「どこ行くの」とおばあさんに話しかける。「駅までなら乗っていきんさいよ」と声を掛け、おばあさんが車に乗り込む。田舎ではこういう風景は日常茶飯事なのだろう。何せ一日にバスが4本しか来ないのだ。2時間待ちはザラだ。

ふとそんな人情溢れる温かい光景に心打たれていると、車が目の前で止まり「どこまで行くの、駅まで?」と聞かれる。そう駅までですと応えると、乗っていきんさいよと誘われる。10kgはあるごついカメラバックと三脚を抱え、白いマスクをして黒の革ジャンを着ている徹夜明けで顔に脂の乗った僕にまで親切に声を掛けてきてくれたのだ。驚いてしまい、いえいえ申し訳ないですありがとうございますとせっかくの申し出を丁重に断った。

これが田舎の良さなのか。しかしその良さも、僕らの世代になれば自ずとなくなってしまうのだろうか、ともふと思った。あるいは年を取れば、下らない自意識がほころびそういった無心の親切心が毎年花を咲かせる桜のように甦ってくるのかも知れない。金さえ払えば一人でどうとでもなる何事も便利な都会に住んでいると、親切心が失われて疑心暗鬼だけが醸成されていく。しかしそれも仕方のないことなのだ。それに観光向けの大きな看板を見ると、家と一緒に住んでいる人の名前が書いてある。この広い山麓の谷あいにある家々が都会で言うところの一棟のマンションと考えると、そのような親密さも理解できるが、現代ではマンションの住民ですらふたつ隣には誰が住んでいるのか分からないほど人間関係が疎遠になっている。やはりのどかな時間が流れる田舎特有の良さなのだろう。

バスが来るまでにまだ時間が合ったので、さっき見たヤマザクラはどこだろうと地図の描かれてある看板を視線で辿ると、「千鳥別尺の大桜」と桜の絵が共に添えられていた。大桜という言葉の響きがどことなく古風で重みがあって良い。