神戸ルミナリエに行くついでに映画も観てこようという事でこの日は2本鑑賞してきた。1本目は予告編の時から観たかった絢爛豪華なロシア映画『マチルダ 禁断の愛』。光の使い方も美しい。
もう1本何を見ようかと調べてみると『斬、』が目に付いた。ちょうど時代劇の映画が観たかったし、スチール写真の緑が綺麗でとりあえずこれに決めた。しかし映画.comでレビューを観ると、意見が真っ二つに別れている。傑作と絶賛している人もいれば、眠くてしょうがなかったという人も。
しかし監督も話題の人らしいので1度観ておきたい。平日の午後4時過ぎだった事もあり、観客は4、5人程度。うち1人は20分ほどで退出した。戻ってきたかどうかは分からない。
主な出演者は池松壮亮、蒼井優、そして監督の塚本晋也。池松壮亮と言えば『愛の渦』や『夜空はいつでも最高密度の青色だ』などでどちらかというとダメな青年役を演じていたのを今まで観てきていたから、今回の武士の佇まいと逞しい出で立ちになかなかの男前だと印象がガラリと変わった。
時代劇を観ていて違和感を覚えるのは現代風の言い回しだ。言葉というのは太古から少しずつ変わってきているそうで、奈良時代に交わされていた日本語は現代では通用しないという話も新聞に載っていた。となると黒船来航以降の幕末動乱の時代に、日本人はどのような言葉遣いで話していたのだろうと考えると、最近読んだ『海舟座談』のように軽快な江戸弁がまず思い浮かぶ。やはり今の時代から見ると少し古いと感じるのだが、かといってそれほど遠くはなく親近感を覚える言葉遣いで綴られている。戦争を体験したおじいちゃんが話しているような感じだ。
NHK大河ドラマの『真田丸』を観たときは、どうも現代風の台詞回しで興ざめしてしまった。同じ三谷幸喜脚本の『新撰組!』でも同じ事を感じて興ざめすることが頻繁にあったのだが、かといってジェームズ三木脚本の『葵徳川三代』のように古風で厳めしい台詞回しばかりでも、如何にも時代劇な風体で形式美はあるが肌感覚が損なわれる感慨を抱く。
『斬、』はやはり台詞回しが現代人風で、現代人がそのまま幕末の武士を演じている感が出ている。蒼井優も等身大。塚本晋也はもっと我々の方に近くて、プロの役者というよりも一般人のひとりという感じで登場する。現代人をクレーンゲームのように掴んで身なりを整えさせそのまま幕末の田舎の村に持ってきたような感がある。言葉遣いにおける時代考証からするとひょっとしたら異なるかも知れないが(単に筆者がこの分野に浅学なだけなので実際には合っているのかも知れないが)、肌感覚は現代人と同じになる。もし戦うことを忘れた現代人がそのまま幕末の時代にタイムスリップしたらどういう風にこの動乱の時代を肌で感じどのような行動を取るだろうかという錯覚を生じさせる。
ところが話が進むにつれて、この3人の様相が段々と殺気だった時代に入り込んでいく。池松壮亮は吠えまくり、蒼井優は女の欲望と哀しみを剥き出しにし、塚本晋也は顔が焼け着物が汚れてその風貌はただならぬ殺気を帯びてくる。普通の現代風のおじさんだったのが武士になっている。
池松壮亮演じる浪人・都築杢之進は或る村で畑仕事を手伝いながら暮らしていた。農家の息子の市助(前田隆生)と木刀を交えて剣術の鍛錬を怠らない。市助の姉のゆう(蒼井優)はふたりに呆れながらも杢乃進に惹かれていく。あるとき、林の中でいつものように剣術鍛錬に勤しんでいると、浪人の澤村次郎左衛門(塚本晋也)が武士と果たし合いをしているところを目撃する。その後杢之進と市助が稽古をしている所を目撃した次郎左衛門は彼らに身分を明かし、江戸へ出る仲間を募っている道中で、一緒にご公儀のお役に立とうではないかと杢之進を誘う。その最中、方々で悪事を犯していると噂の浪人集団が村にやって来て近くの洞に住み着く。むしゃくしゃしていた市助が木刀を振り回しながら通りかかった際に浪人達は百姓風情がと笑い飛ばし、田んぼに市助を突き落とす。怒った市助は浪人達にかかっていくがけんもほろろに袋叩きにされ、目を大きく腫らす。杢之進は穏便に済まそうとするが、次郎左衛門は浪人集団に対し復讐を遂げる。しかしそのうちの1人を取り逃がしてしまったため村に惨劇が起こるのだった。
杢之進は剣術稽古では凄い腕前を見せていたが、実戦を前にして刀を抜く勇気がなかった。アレ?今回も結局はいつも演じている頼りない青年と同じだとほくそ笑みながら観ていた。この男、刀は抜けないが別の物は抜くという駄目ッぷりなのである。そういうの、嫌いじゃないよ。血気迫る剣劇シーンでも刀を抜かず、自分を慕っている女を守れない。結局次郎左衛門にすべて任せっきりになってしまう。しかし中村達也演じている悪役の源田瀬左衛門がまたいい味を出している。ロックバンドのドラマーでもあるそうだ。その見た目からなるほどと合点がいった。
復讐欲を満たすかのような残酷な描写も続く。残酷ではあるが爽快でカタルシスを得る。しかしその代償も大きかった。
早回しでめまぐるしく蠢く空、煌めく緑、平和な雰囲気はきな臭くなり一気に殺戮へとなだれ込み、最終的には武士として生きるか死ぬかの袋小路の運命へと辿り着く。ここで池松壮亮の本領発揮とでも言わんばかりの逃げ惑いながら錯乱するシーン。ラストは余韻を残すように見えて何も残らない。年代物のウイスキーをロックで飲んだはずなのに、朝起きると全く二日酔いしていない、そういう映画であった。