英国女王を扱った映画三部作のラストを飾るのは、『二人の女王 メアリーとエリザベス』。一月ほど前に観に行った『女王陛下のお気に入り』はアン女王役のオリヴィア・コールマンがアカデミー主演女優賞を受賞したそうで、まだ上映が続いていた。
『ヴィクトリア女王 最期の秘密』や『女王陛下のお気に入り』は、時代が近代もしくはそれに近い為か、どちらかというと宮廷内も明るく現代人と共通点を見いだせる人間ドラマが繰り広げられていたが、『二人の女王——』は中世が舞台なので、宮廷内で王位継承に端を発した陰謀が渦巻いており、ロマネスク調の建物内の様子も物語に歩調を合わせるかのように厳めしく、要塞然とした宮廷も岩肌が剥き出しになっていたりと、先の2作とは趣を異にする。
制作のティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、デブラ・ヘイワードはケイト・ブランシェット主演の『エリザベス』2作を手掛けており、本作内で再びエリザベスを描くことになった。ケイト・ブランシェットは溌剌とした見事な演技でスクリーンの中のエリザベス女王に命を吹き込んだが、今回のエリザベス(マーゴット・ロビー)は主役であるスコットランド女王メアリ・スチュアートの敵役ひいては引き立て役とも言える役回りで、『エリザベス』と比べると、またメアリと比べても醜く描かれている。そのきっかけは天然痘にかかったことで拍車がかかる。顔一面に水疱が出来る症状に忠実なメイクが施されているが、横顔がまるで爬虫類のイグアナに見えるほどでその容貌は彼女の役回りの象徴を成していた。症状が回復してからも顔にその跡は残り、それを隠すために白塗りメイクをするという大胆な解釈も取り入れている。
今作だが登場人物がまず多くて戸惑う。王室がまず二つある。スコットランド女王側とイングランド女王側の側近やその周辺人物が多くて困惑する。エリザベス女王の寵愛を受けたロバート・ダトリー卿と、メアリ・スチュアートの夫となるダーンリー卿(ジャック・ロウデン)の区別が付かなかった。どちらもハンサムで似たような顔に見える。またメアリには異母兄のマリ伯がいて後に叛乱を起こすことになるが、映画冒頭でメアリに対して気焔を上げた長老派教会のジョン・ノックスと豊富な髭面の容貌が似ており途中からどちらなのか分かりづらくなった。スコットランド人らしさを演出したためにイングランド人と比べると野蛮な風体にも見える。
イングランド側の重臣、ウィリアム・セシルはてっきり『エリザベス』で有能な腹心を演じたフランシス・ウォルシンガム(ジェフェリー・ラッシュ)かと見間違えた。胸に同じ人型のモチーフの首飾りを提げていたので、同一人物かと思った。『エリザベス』ではケイト・ブランシェットとジェフェリー・ラッシュが絶妙な掛け合いをやっていた。結婚について民衆の前で話題に出したウォルシンガムを、二人きりで宮廷に戻る際に頭を後ろから思い切りはたいていたシーンは短いながらも抱腹絶倒だった。今でいうセクハラ発言に当たるが、この二人は随分以前に大学教授と女子学生のセクハラ問題をテーマにした二人舞台のミュージカル『オレアナ』で共演しているので、そのことを知ってそのシーンを観ると尚更おかしかった。
更には息子を国王にしたいレノックス伯はイングランドから追放された身分で、エリザベスの前で挨拶をして無視され大恥だといった息子を殴るが、これも他の登場人物と混同しがちになる。メアリの三番目の夫となるボズウェル伯とも容姿が似ており、誰が誰なのか、戦場のシーンになるとこれらの髭面の人物が混同して味方と敵の区別が付きにくかった。
またメアリ・スチュアートの立場も複雑だ。イングランドの王位継承権を持つスコットランド女王で僅か生後6日で女王に即位するものの、イングランドの干渉を避けるために渡仏させられアンリ二世の王太子フランソワと結婚し、のちフランス王妃となるが夫が16歳で早世する。スコットランドに戻ったメアリは、イングランドの王位継承権が自分にあることを盾に取り、世継ぎがいないエリザベスに揺さぶりをかけるという策略家の顔を覗かせる。一方でエリザベスの策略によりスコットランドで内乱(Civil war)が勃発し、異母兄のマリ伯がプロテスタント派の擁立を受けて反旗を翻すが鎮圧される。ダーンリー卿と結婚するものの、男色家であるダーンリー卿はメアリが寵愛していた秘書のイタリア人音楽家リッチオと関係を持つ。ダーンリー卿が側近達が用意した或る文書に署名してリッチオ殺害が女王メアリの目の前で敢行される。この蛮行は、史実に基づく描写らしく、絵画にも描かれており、なかなかに凄惨なシーンだった。
世継ぎを授かった後に夫のダーンリー卿を追放すると、今度は恩赦されたマリ伯を摂政の地位に付けるためにボスウェル伯と強制的に結婚させられる。女王であるにもかかわらずレイプまがいに犯されるシーンも衝撃だ。下地にはカトリック派とプロテスタント派の闘争もある。しかしダーンリー卿はまるで本人が言うように種馬のような扱いだった。
夫のダーンリー卿が暗殺されてすぐにボスウェル伯と結婚した翌日、国中に非難の嵐が吹き荒れる。売女と罵られ追い詰められたメアリは息子の即位と引き換えに退位し、エリザベスに保護を求め、小屋の中で二人は邂逅を果たし、女として、統治者としてのそれぞれの思いをぶちまける。映画の原作はジョン・ガイ著の歴史書『Queen of Scots: The True Life of Mary Stuart』で、当時のふたりの往復書簡などを元に、今まで歴史的に不当な評価を受けていたメアリ・スチュアートの名誉回復的な内容になっているという。この歴史書が原作の脚本なので、二人の邂逅シーンでの会話も最新の研究結果が反映されているものと思われる。
観ていて終始気になったのはイングランドの外交官が黒人で、メアリーの侍女の一人がアジア系だったことだ。役者の経歴を観るとどちらも英国出身だが、中世の英国を描く映画に黒人やアジア人を宮廷内の人物として出す必要はあったのだろうか。ハリウッド映画業界では現在に至るまで人種差別が酷いとよく聞くが、そのような業界の反省から映画の中に総ての人種を均等に出さなければならないという暗黙の了解でもあるのだろうか。例えば織田信長を扱った映画なら、南蛮人が連れてきた黒人奴隷の従者弥助が史実にもあるから黒人が出てきてもおかしくはないが、この時代の英国は奴隷貿易真っ只中のはずで廃止されるのが1807年だから、どうも違和感を覚えずにはいられなかった。この当時イングランドにどれほどの黒人がいたのか、黒人の中で宮廷内で大使のような高い役職に就ける人物は果たしていたのか。また映画の中では女が統治することになって世も末だというセリフを側近らの会話の中で言わせたり、冒頭では長老派教会の長がメアリに面と向かって女であることに対しあれこれと暴言を吐き捨てる。Metoo騒動の中でこれらの発言はなかなか恣意的で、メアリの苦境を現代の女性問題と結びつけて考えるよう促される。
映画の中ではメアリ・スチュアートがスコットランドの地に海に濡れながら到達し、エリザベス女王の保護下に入るまでの半生が丹念に描かれているが、メアリ・スチュアート処刑の原因となった一連の経緯は、メアリが暗殺に関与したという手紙が見つかったというエリザベスの短いセリフを述べるだけに留められ、詳しく描写はされていない。その点に関しては『エリザベス ゴールデン・エイジ』で描かれているから興味のある人はそちらを鑑賞すると良いだろう。
衣装は『エリザベス』の二作も担当したアレクサンドラ・バーン。時代考証の上に練られた独自のデザインが異彩を放っていた。ブルーのドレスだけでなくブルーの甲冑姿も美しい。そしてそれらを身にまとったシアーシャ・ローナンの少女のように幼げな眼差し、女王然とした自信、野望に満ちた毅然とした表情に終始目を奪われた。ロケにこだわった監督の古い教会の建築物やスコットランドの雄大な高原のシーンも見物だ。またこの映画を機に、数奇な運命を辿り、度々文学や絵画の題材になるメアリ・スチュアートの半生を知るきっかけにするのにも最適な映画だろう。