全世界から賞賛と憎悪を集めたフィギュアスケーター、トーニャ・ハーディングの半生を、コメディタッチなドキュメンタリー形式で描いた作品。
トーニャ・ハーディングと言えば、1994年に起こったナンシー・ケリガン襲撃事件で一躍世界の衆目と憎悪を集めたフィギュアスケーターだ。当時の報道ではナンシー・ケリガンは恵まれた家庭の出身で、それとは対極にトーニャ・ハーディングは貧しい家庭の出身。フィギュア競技の得点でどうしてもナンシーを追い越せず彼女に嫉妬していたトーニャを、元夫が忖度して襲撃を友人に依頼したという事件だった記憶がある。
当時小林よしのりがゴーマニズム宣言でトーニャが靴紐がほどけると審査員に訴えたシーンを取り上げて、いつもの上から目線でご高説を並べ立てていたが、この映画を観るとその手の風刺漫画があやふやで薄っぺらい報道に基づく、自分だけが気持ちよくなるだけの善人ぶった、人生の広大さから観ると実に低次元な説教話に落ち着いているというのを実感した。矮小なプロパガンダだ。(しかしインターネットがなく情報はマスコミからしか得られなかった当時としては、マスコミに縛られた限定的な道徳観を打破し、閉塞した時代を突破する蓋然的な力ではあったのであろう)。その点では映画というのはやはり偉大だ。ナンシー・ケリガン襲撃事件とは何だったのか、トーニャ・ハーディングの幼少時代まで遡り、彼女の生い立ちや周辺人物達との出来事を拾い上げ、事件の真相を深く、しかし軽快なタッチで掘り下げていく。
食い違う証言、加害者でもある全世界の視聴者
まず母親がいる。トーニャをスケート教室に通わせて、金のなる木に育てようとする。この母親、スケート場でたばこを吸い、他の母親に平気で暴言を吐くのだが、実に冷徹で芯が強い女に描かれている。全くブレない。外貌もなかなか強烈で、大きな眼鏡から70年代から80年代を彷彿とさせる妙な懐かしさも併せ持っている。
両親は離婚し母親の元で育てられるトーニャだが、母親から殴られたり練習中におしっこを我慢させられて漏らしたりと虐待が続く。しかし後のインタビューでは殴ったのは一回きり、みたいな発言もする。他の登場人物達の証言もそうだが、どうもこの辺がそれぞれ食い違っていてよく分からない。そう、ドキュメンタリー形式で証言者として出てくるトーニャとその周辺人物達の話は人によって食い違っている。この点からだけ観てもいかに事実や真実というものが人の証言によって異なり、人のニュアンスによって受け手の想像に委ねられ、人の都合の良い嘘によって捏造されるのかが観ている側に突きつけられる。そしてそれは後半のクライマックスとも言える現在のトーニャの言葉、「YOU!」とスクリーンに向かって投げかけられることで、当時報道を観て、その報道を信じ、踊らされて、トーニャに憎悪を抱いた我々視聴者も、トーニャに対する数億人の加害者の内の一人であったことを胸に深く突きつけられることになる。襲撃事件を題材にした単なるドキュメンタリータッチの映画ではない、実によく出来た深みのある映画だ。
元夫との出会いやロマンスも少々描かれているが、その辺りはやや退屈。その後は夫の暴力(DV)により、最終的には離婚する。しかしその後はまたヨリを戻したりとどうも二人の関係は不安定。夫の暴力に関してもインタビューを受けている二人の証言が食い違う。トーニャは銃を持ち出したとか、私がそんなことするわけがないとか。
類い希なスケートシーンは非常にエキサイティング!
この映画の最大の見所はスケートシーンだろう。まずカメラワークが非常にエキサイティング。予告編でスケートシーンを観て、これは絶対に観に行こう!と心に決めたくらいだ。まずは演技前のポージング、下からのカメラで、ぐーっと天井からの視点にまで上り詰めていく。そこから本演技。そもそも史上2人目のトリプルアクセスを決めたトーニャのスケート演技をどうするのだろうという疑問が湧いたが、トーニャを演じている女優マーゴット・ロビー本人が撮影開始4ヶ月前から週5回1日4時間の猛特訓をしたのと、そこに加えて視覚効果で表現したのだそうだ。この視覚効果がデジタル処理なのか何を意味するのかいまいちよく分からないが、実に素晴らしいスケートシーンだった。
通常のフィギュアスケートの中継だとカメラはスケートリンクの外側からの撮影になるが、やはり映画にしか出来ない、演者の間近に迫るカメラワークで興奮しきりだった。前後に見せるダンスもご機嫌で、スケートシーンだけでも何度も観たくなる軽快な出来。
映画が進むにつれて、トーニャが大柄に見えてくる。実際に太ってきて成績にも影響が出始める。しかし控え室で大股開きで不機嫌そうに座っている姿は圧巻。これぞトーニャという感じ。
脇を固める演技力豊かな役者達
母親の教育方針はどのようなものかというと、闘争心をたぎらせる方法を採っていた。「お前には出来ない」「お前には無理」と言ってトーニャの闘争心を掻き立てる。試合前に見知らぬ男からお前には絶対無理だとしつこく野次られ挑発されて、またもトーニャは闘争心を滾らせ好成績を残すが、実は母親が男に金を握らせて野次らせていたという凝りよう。
他に印象に残っているシーンは、トーニャが優勝したときの顔が見たいという、仕事中のカフェテリアでテレビに見入る母親。演技を終えた後のトーニャの歯を食いしばった欲深そうな笑顔、これもどこかで見た覚えがある。娘を虐待していながら、娘に愛情がある事は表には出さない冷徹な母親を演じているアリソン・ジャネイの演技力も素晴らしい。
そして遂にあの事件が起こる。トーニャとケリガンは遠征先でも部屋を共にする仲の良い間柄だったと証言するがこれも意外だった。どうも当時のナンシーケリガン事件の記憶があまり残っていなくて、二人はライバル同士で仲が悪かったという印象があるが、これもマスコミ報道を鵜呑みにした結果かも知れない。
どのような経緯で事件が起こったのか。元夫の友達で、イスラエルなどで特殊部隊として活動していた男がキーマン。やっぱり軍事大国アメリカって怖いなーこういう歴戦の元軍人が平気でゴロゴロ居るんだから、すぐお隣に普通に居るんだからと最初は思っていたが、どうもおかしい。車の中で相手を威圧するための心得をずいぶんもったいぶった尊大で深みのある声で講釈するのだが、次のシーンでは上半身裸で何かをむしゃむしゃ食べながら話している。
程なくして特殊部隊やらの経歴が自称で、母親と同居している誇大妄想癖のある男であると分かるのだが、現代の流行言葉で言うところのイキリヲタクといったところだろうか。スタートレックを録画していたビデオを母親に上書きされても怒らないとかなんとか言う下りで、アメリカ版オタクの象徴的な人物に写った。肥満しているし、喋り方ももったいぶっていていかにもイキリヲタクといった感じ。演じているのはポール・ウォルター・ハウザー、16歳でスタンドアップコメディアンからキャリアを始めてテレビなどにも出演、短編映画の制作も2本の実績がある。
喋り方が気持ち悪くも面白い人物で、どこか憎めない。同居している母親との関係も良好で、一見すると愛らしい和やかな家庭に見える。しかし自分を元特殊部隊だと信じ、特殊任務に関する造詣も深い。インタビューシーンもあるが、インタビュアーとのやりとりに声を出して笑ってしまった。やはりコメディアンだからだろうか、面白い人をそれ以上に上手くしかしイヤミにならないように特徴を膨らませて真似るのが上手い。決して映画の中のキャラクターを損なわせないバランス感覚が優れている。
事件の顛末は実話でありながらコメディのよう
ナンシー・ケリガンとの対決が近いトーニャの元に脅迫状が届く。恐怖と疑心暗鬼の中、意匠返しでケリガンを脅迫してやろうと思いついた元夫は、この誇大妄想癖の友人と相談し、ナンシー・ケリガンに脅迫状を送りつけるよう依頼するのだが、地元からだと足が着くので、誇大妄想癖の男の知人達に犯行を依頼する。ところが元夫が知らないうちに、計画が脅迫状送付からナンシーの足を負傷させて試合出場を不可能にさせる襲撃に変更されてしまい、その実行犯というのも実に頭の弱そうな感じの男達で犯行実行後にドアのガラスを叩き割って逃走するなどして、すぐに足が着いてしまう。ニュースを見て絶叫する元夫。全くその内情を知らなかったトーニャ。しかしこの話も証言に基づくものなので、トーニャが事件の内幕を本当に知らなかったのか、どこまでが本当なのか分からない。更に面白いことには、計画を変更した動機が、ナンシーを襲撃すれば、警備の仕事が元特殊部隊員である自分に舞い込むというもの。更には彼方此方でナンシー襲撃を計画したのは自分だと自慢げに吹聴して回っていたので、こちらもあっという間に足が着く。このイキリオタクの誇大妄想を現実のものにしようと企むメチャクチャすぎる思考と行動が、アメリカを代表するオリンピック選手の人生もメチャクチャにする。
そう考えるとアメリカンドリームというのも実に滑稽である。オタク気質の人間にいとも簡単にひっくり返されてしまうのだから。そして技術は最高なのに審査員からの評価が思うように得られないトーニャが、駐車場で審査員に直談判すると、トーニャにはアメリカンドリームを体現する幸せな家族像がないからと突き放される。つまりイメージが悪い。虐待する母親の元、模範的な家族像とは言えない家庭で育ったトーニャには致命的な指摘だった。離婚歴もネックになっている。
そしてあの有名な、靴紐の調子が悪くて演技が続行できないと審査員席の前でスケート靴の足を上げて涙ながらに訴えかけるトーニャ。実に懐かしいシーンを今まで素晴らしい演技を見せてくれたマーゴット・ロビーによりスクリーンで観ることが出来た倖せ。このあたりのスケートシューズに関するルールも詳しく映画の中で述べられている。実に小林よしのりのゴー宣の内容がくだらなく思えるほどの詳しい内容だった。
マスコミが集まるも、母親の対応は実に冷静でブレがない。柵を設けてそこからなら撮っても良いと群がるマスコミにいう。金目的で事実をでっち上げるマスコミも出てくる。なんだか結局この騒動、視聴者である我々がいかにマスコミの金儲けのために翻弄され操られているかということが実感できるものだった。
事件が山場を超えた頃、トーニャの周りに群がっていたマスコミも、元黒人フットボール選手の俳優が自分の妻を殺害するというショッキングなO・J・シンプソン事件が起こるとそちらの方にこぞって流れていってしまう。そういえば最近、外国メディアのツイッターにO・J・シンプソンの写真が流れてきたが、あれは何だっただろうか。
金儲け主義で加熱するマスコミ報道に一石を投じる良作
ドキュメンタリー形式を取った今作では、要所要所にトーニャをはじめとする現在の登場人物達がインタビューを受けるシーンも幾たびも挟まれて話が進行するが、同じ役者が演じているにもかかわらず、老けた風貌が別人のようなのも感心した。自宅の明るいキッチンらしきところでインタビューに答えているトーニャはいかにも年を重ねてくたびれた感じの主婦だし、元夫は眼鏡のせいかギョロ目で、洒落た口髭から野暮ったい顎髭に変わり、年のせいか少し太った感じで、若い頃の溌剌とした印象は微塵もなく鈍そうな風貌となってしまっている。全くの別人に見える。
ラストシーンも見事。フィギュアスケート界から永久追放されたトーニャは後年女子プロボクサーに転向するが、ノックアウトされた後も立ち上がって試合を続ける姿が象徴的でこの映画の強烈なメッセージとして伝わってきた。ナンシー・ケリガン襲撃事件で、全世界を敵に回しながらもめげない・へこたれない姿は何があっても生き抜いていく強さやしぶとさの象徴として、強烈な人生訓を投げかけている。単なる過去の事件の再現映画ではない、複雑で余韻の残る深みのある映画だった。そして一連の騒動をこの映画を通して思い返してみるに、人は常に批判をしてスッキリすることが出来る悪人を求めている大悪人であるということも、肝に銘じておきたい。