今年も吉野に行ってきた。1年前に行ったときはすでに花の盛りを過ぎ、あまり咲いていなかったので感動の薄い吉野の旅になったが、今年は下千本から上千本まで満開だった。今年は暖かい日が続き、3月でも初夏のような汗ばむ日が幾度かあり、例年よりも10日桜の開花が早く、人の噂によると奈良ではすでに葉桜になっているという話だった。
朝のNHKのニュースをつけていたら、吉野の桜が満開というニュースを上空からの中継映像を交えてやっていたので、これを見て吉野に行かなければと勢いだった。去年のリベンジも兼ねて、パパッと準備をして、朝食を食べて、電車で吉野へ。
少しでも時間を節約したいので、行きは近鉄の特急券(510円)を買って30分ほど時短した。有料特急だけあり、乗り心地は快適。着いたのは11時36分頃。何らかの事情で10分ほど電車が遅れてしまった。
駅に降り立つと早速吉野の桜が遠景に見える。色づいている色づいている。平日にもかかわらず観光客もたくさんおり、みな吉野の谷あいへと吸い込まれるように流れていく。
まだら模様の山の様相は、これが写真で見たあの花の吉野かと、実際にこの目で見れて感激もひとしおで早速坂を上るが、荷物が重かったせいもあり、普段より軽快に歩けない。そういえば吉野は山だった。望遠レンズを1本減らせば良かったかなとも思ったが後戻りも出来ないし、千本桜見たさを餌に先へと急ぐ。
昨日は朝から関ヶ原を当時の足軽の気分を味わおうと駆け巡ったが、あちらはどちらかというと平野の場所が多いし、吉野は勾配がそこそこあるので、どうも軽快には行かない。上千本あたりまで上るならやはり山登りの気持ちで行った方が良いだろう。それでもおばあさんなどは頑張って登っていた。
黒門をくぐり、道の両側に建ち並ぶ賑やかなお土産屋や屋台などを抜けて、金峯山寺に辿り着く。ただただ大きい。そして天気が良い。
後醍醐天皇が開いた南朝の御所跡も今回は観てきた。駅のポスターなどでよく見る桜とツーショットのカラフルな三重塔(南朝妙法殿)がある場所だ。なるほどこれは美しい。
足利尊氏に幽閉されていた後醍醐天皇が吉野へ逃れ南朝を開いたのだが、皇居とした場所が蔵王堂のすぐ西にある実城寺で、寺の名前も金輪王寺と改めた。時代は下って徳川家康の頃になると、その威勢を恐れ名も実城寺に戻し直轄とするが、明治に入ると例の廃仏毀釈のあおりを受けて廃寺となる。現在は綺麗に整備され、南朝妙法殿の華麗な姿を桜が囲うように咲き誇っている。
一目千本の壮大な姿を一望できる場所がある。吉水神社だ。しかし今回も素通りしてしまう。店が建ち並ぶ横道の先にあるので、気づかないのだ。登りで来る場合は、向かいには枝垂れ桜が綺麗に咲いている寺があるので、それを目印に角を左手に曲がると良いだろう。
桜餅入りのアイスを買って、地図の看板で吉水神社の場所を調べて、来た道を戻る。入園料200円がいるがあいにく小銭の持ち合わせがなかったので、中に入り、御朱印を買って千円札を崩し、賽銭箱に入れることにした。
この吉水神社の駐車場脇からの眺めが絶妙な景観で、まさに絶景。中千本と上千本の両方が谷間から頂上に拡がっていく姿を眺めることが出来る。当然撮影スポットなので、観光客は皆スマホで撮影していた。
神社を出ると道の途中でもう一つスポットがある。席が設けられており、一人200円(2018年4月現在)。蔵王堂を奥に据え段々に咲く桜のミルフィーユを眺めることが出来る。
土産物屋の中には古本を売っている店もある。チラリと覗いてみると、いつの時代だろうか、日本外史の古本が埃を被って籠に陳列されていた。試しに開いてみると、綺麗な印刷の漢文で書かれている。ちょうど開いたところが戦国時代でおそらく関ヶ原の記述だろうか。漢文の上に田中吉政だったか黒田長政だったか誰だったか、昨日関ヶ原古戦場で見てきた陣地跡の著名な武将達の名前が見えた。別売りの冊子の他に、箱売りもある。かつて南朝があった吉野という土地柄、日本外史の古本がたくさん並んでいるのも因縁めかしていて面白い。
下千本、中千本、上千本とは言うが、地図で見ても実際にどこがそうなのか、分かりづらいところがある。今回は地図を貰いそびれて要所に置いてある地図看板を参考にして歩いてみたが、地図を見ても道がクネクネしすぎていて、土地勘のない人間にはやはり分かりづらい。今回で二度目だが、ようやく中千本あたりまでは覚えたような気はしたが、奥千本行きの臨時バスの出ているY字路あたりまでも分岐する道が幾つかあり、前回来たときとは異なる道を選んだらしく、これが思いがけない功を奏して桜の森に辿り着いた。
右を向いても左を向いても桜。下にも桜、上にも桜。ベンチが置いてあり、皆弁当を広げて食事をしている。遠くには立派な作りの日本家屋も見え、名前は分からないが、ネットで調べてみると五郎平茶屋があるところらしい。どうも建物の名前は出てこない。来年はあのあたりまで足を伸ばしてみようか。
階段を上ると、ここもまた見晴らしが良く、今日という日に吉野を訪れて本当に良かったと思う。その先を上がった丘には枝垂れ桜と山肌を覆う桜が重なる撮影スポットがあるが、急な斜面で気を削ぐ。年配のカメラマンが何人もそのスポットに足を運んで撮っていたので、年寄りに負けるわけにはいかじと筆者も行ってみたが、よく滑らずに歩けるよなと思うほどに草むらに覆われた足下が危なっかしい。
道々に桜を撮っていったのだが、やはり三脚を使うべきだろうかと、年配のカメラマンの撮影に挑む姿勢を見ていて思う。持ってきてはいたが広げるのが面倒だ。Canon 5DsRは手ぶれにシビアな方のカメラなので、しかも桜の群生の全景のような細かい描写となる写真なら昼間でも三脚を使いたい欲に駆られるが、どうも山を登ってきて構図を固定して撮るのもしんどいので、フレキシブルに構図を変えられる手持ちで撮影していった。特に400mmの望遠レンズで撮った写真などは三脚を使った方が良かったかと僅かなブレが見られるのだが、シャープネスの項目をあれこれと弄ってブログに上げるサイズ(長辺1024ピクセル)にすれば、とてもシャープに見える。まぁでももう一枚撮った写真はブレずに撮れていたし、5DsRのようなカメラを望遠で手持ちで使う場合は2度撮ることも忘れない方が良いだろう。
ぐるっと回って、奥千本に向かう臨時バスの停留所前に辿り着く。しかしすでに3時を過ぎ、奥千本を巡っていては夕陽の時刻に花矢倉展望台に間に合わない。いつものルートで歩くことにした。
途中に開けた芝生があり、そこから見える金峯山寺蔵王堂と谷あいを埋め尽くす桜の競演もなかなか絵になるのではないかと思ったが、まだ標高が足りないような気がした。ネットで写真を検索すると花矢倉展望台まで登れば更にパノラマに拡がる桜と山の奥行きを収めることが出来る。カップルが降りてきたおばさんに尋ねると「ここが始点ですよ」と返した声が聞こえて、まだあるのかと気分がげんなりしたが、頑張って登ることにした。
日も暮れ始め、太陽が靄に包まれて鈍い光を吉野の山に投げかけるようになる頃には中腹あたりに辿り着いていた。そこから見える景色はまるで水墨画のように山が段々に霞み、桜の絶景とはまた違った静かな感動に皆腰を掛けて眺め入っている。
さてこの先がまだまだ長い。上千本を抜けて吉野水分神社(よしのみくまり)の手前にある花矢倉展望台に辿り着くのに、蛇行した車道をまだまだ行かなければならない。荷物は重いし、坂は勾配がある。これならいっそバスで上まで行けないものか、なんなら近鉄の吉野駅からバスでずっと上まで登って奥千本から下っていった方が楽なんじゃないかと思い始めていた。来年はそうしよう、なるべく楽しよう。
ようやく辿り着いた花矢倉展望台を覗いてみるとすでにカメラマンが6,7人ほど陣取っていた。しかしスペースは狭いので撮るのは難しそうだ。少し先にある吉野水分神社はすでに冷気の中でかたく門を閉じ、味のある朱の鳥居が佇んでいる。
きびすを返し花矢倉展望台に戻る。テレビクルーだろうか。大型の映像機材で座敷から撮影していた。あの場所ならきっといい絵が撮れるだろうと、葛餅を注文して座敷に上がる。この葛餅が500円でボリュームがあって冷たく、空いた腹にとても心地よく落ちてくる。
この日は空は焼けなかったが、夕陽は朧気に赤く、やはり水墨画のような美しさがあった。夕陽なので、日本画にこのような絵があったかもしれないと思い返してみたが、あまり詳しくないので出てこない。
桜が満開の時期に花櫓展望台から見る桜は贅沢だ。下千本から上千本まで桜が満開なのは100年ぶりではないかと誰かがツイッターでつぶやいていたのが回ってきたが、まさしくこの時期に来られて本当に良かった。これでもう少し晴れていれば言うことはなかったのだが、靄に包まれた奥ゆかしい桜もまた日本の原風景だろう。
もう少し撮りたかったが、店も閉まり、電気も消え辺りも暗くなり、終電にも間に合わなくなる恐れがある。それに7日連続の桜撮影で体力も限界で早く家に帰って休みたいということで、去年よりも早めに切り上げた。店主によると、夜は駐車場に車が来てうるさいから、自分の車で入り口を閉じるそうだ。徒歩で来たのですり抜けられるが帰ることにした。
早足で坂道を下る。行きと違い全く楽だ。ところどころ桜がライトアップされているので三脚を立てて撮りたかったが、しんどいし面倒だったので、先を急いだ。しかし下千本のライトアップされた桜を見るとその雄壮華麗な姿に後ろ髪が引かれ、三脚を立てて撮っていった。近くではヨーロッパかアメリカの外国人観光客のカップルがセルフィーで撮っていた。
帰宅。手前を歩いていた外国人のカップルも階段手前にある古い宿に吸い込まれ、ひとり吉野駅を目指した。