ドイツの老舗光学メーカー、カールツァイスの一眼レフ用レンズは、すべてマニュアルフォーカスである。オートフォーカス機能はない。AF機能が当たり前となっている昨今のカメラ事情の中では特殊な立ち位置にある。使い勝手の良さを切り捨ててでも、ツァイスのレンズに愛好者が多いのは、長年蓄積された技術への信頼性と描写性能の高さの証左であろう。
Otusのレンズを購入してからというもの、マニュアルフォーカスで撮ることが多くなった。とは言ってもメインではAFで撮る間隔でピントを合わせて撮っているので、真にマニュアルフォーカスで撮る時間は僅かばかりだ。
例えばポートレート撮影やコスプレ撮影は、時間との勝負の面もあるし、歩留まりが悪いとカメラマンとしてのメンツが立たない。故にマニュアルフォーカスでじっくりとピントを合わせる時間的余裕がなく、なおかつ冒険するだけの余裕もないので、自ら編み出した方法で開放F値1.4の設定でなおかつMFでも、AFのようにピントをガッチリと合わせられるように撮っている。
それでも僅かな隙を見つけて、じっくりとトルクを回してその滑らかさを味わう。そして撮る。データを背面の液晶画面で即確認して、開放F値1.4の設定でもジャストピントになっていれば、軽く快哉を叫びたい気分だ。小さな被写体にピントが合っていた場合などは特に。
先日は公園に桜撮影に趣いた。別の時空に迷い込んだかのような公園でのどかな時間が流れる中、マニュアルフォーカスでファインダーを覗きながら目と勘を頼りに、まったりと桜やその他の風景を撮影するのも、なかなかに良い。桜は風が吹くとピントが捉えにくいし、小さいので何処にピントが合っているか分かったものではない。そんな時でも、目と漢を頼って、タイミングを見計らって撮影した写真が、きっちりとピントが合っていると、喜びもひとしおだ。ピント合わせの腕が確実に上達しているのを実感する。
カールツァイスのレンズ哲学で、写真はマニュアルフォーカスでじっくりとピントを合わせて撮るもの、というのをウェブサイトの対談で読んだ覚えがある。この時はまさに、マニュアルフォーカスで写真を撮る愉しみを味わっていた。
あぁ、ツァイスの人間が言っていたのは、こういうことなのかと、なんとなくだが実感できた気分だ。