戸を生かした雰囲気写真の撮り方とその考え方

インスピレーションで写真を撮る。

JR学研都市線に「鴻池新田」という変わった名前の駅がある。新田と言うからには田んぼが広がっているかと思えば、駅の改札を出てもそんな景色は目に入ってこない。日本の都心から少し離れたベッドタウンの駅前に良くある風景、居酒屋のチェーン店やたこ焼き屋、コンビニなどが賑々しく軒を連ねている。

Googleマップで見ると、駅のずっと南の方に田んぼらしきものが見えるが、ほとんどは住宅の屋根ばかり。

鴻池新田会所という史跡が駅から歩いて5分ほどの所にある。周囲の住宅街から江戸時代の風景がそこだけぽっと浮かび上がるような門構え。解説には新田の開発拠点となっていたとある。

新田開発と言えば、米将軍と謳われた8代将軍徳川吉宗だとか、印旛沼の干拓を試みた田沼意次などが思い浮かぶが、こちらは民間の鴻池氏が新田を開発したというので珍しいのだそう。

この鴻池氏のルーツを辿ると、かつて山陰山陽併せて八カ国を従えた戦国の雄・尼子氏の家臣、山中鹿助幸盛に辿り着く。「願わくば、我に七難八苦を与え給え」と三日月に尼子氏再興を誓った忠臣として知られるが、個人的にはコーエーの『信長の野望』で鹿の兜を被った変わった名前の武将として強く記憶に残っていた。

御家再興の願いもむなしく幸盛は毛利氏に捕らえられて護送中に処刑されるのだが、その子幸元が伊丹の地に流れ着き、酒造業で鴻池氏を興した。その子孫が新田を開発したという。戦国武将の子でもあった幸元は偶然の出来事から清酒を発明した人としても伝えられる。

このような由緒ある場所でコスプレ撮影をする事になった。といってもコスプレイベントや撮影などで既に10回以上は訪れている馴染みの場所でもある。

江戸時代の建物だから、やはり和装が良くあう。映画『るろうに剣心』のロケ地としても活用されたという。

今回は戸の特長を生かした撮り方について、その経緯を語っていきたい。(全文:2,400字)

今回の撮影で使用したレンズ