ザ・コレクション 星のような – のこすこと/のこされるもの

ザ・コレクション 星のような - のこすこと/のこされるもの

逆流性食道炎の薬を貰いに病院に行ったついでに、芦屋市立美術博物館の催しを観に行ってきた。入場料500円。タイトルは「ザ・コレクション 星のような ー のこすこと/のこされるもの」

ぱっと見ポスターやサイトだけを見ると、余り展示物がないんじゃないか、手紙類が多いんじゃないかと思われ入るのが躊躇われたが、具体美術協会に関する展示も多いし、谷崎潤一郎の『蓼食う虫』の連載当時の挿絵を描いていた画家との手紙のやりとりも展示されているという事で入ってみた。

入館すると鼻に絵の具のような匂いがつんとつく。1階の広間に吉原治良ほか具体美術協会の作家の作品が展示されている。普段は大きな筆で描かれた大きな円「○」で有名だが、この日は意表を突いて、大きくと描かれた作品が掲げられていた。後はラバー製の真っ白な面が円錐状につきあがったり引っ込んだりといった遊び心満点の今井祝雄の作品。似たようなのが2つ置いてあった。

他にも具体美術協会の作家達が残した一風変わった作品が掲げられていたが、二日以上経って記憶から消え去ってしまった。なにぶんパンフレットも発行されないのでどのような作品だったか後追いできない。ペンキを足につけて我武者羅にカンバスに描いていく作品や、その他そんな風な作品だったと思う。

裏側には吉原治良の具体美術宣言なるものが掲載されていた。ずいぶん以前に雑誌に掲載されていたのを展示で読んだが、何度読んでも気分が高揚する文章だ。読んだ当初はやや難解に感じられたが、何度も読み込んでいく内に朧気ながら理解できるようになるところなどはお経にも似ている。

二階の左手奥に行くと、芦屋ゆかりの洋画家小出樽重や大橋了介の作品のほか、旅先での画家たちとの絵描き模様を写した写真が並ぶ。ガラスケースには谷崎潤一郎自筆の手紙が展示されており、小出の挿絵を毎日楽しみにしており、挿絵から『たで食う虫』の構想が膨らむといったことや、部屋の描写はこれこれこのようにして欲しいといった懇願が書き連ねてあった。

大橋了介のフランスの街並みを描いた作品の1つは小磯記念美術館でも見た記憶がある。壁にポスターが貼ってあるやや暗いタッチの絵だが、それだけで洒落ている。風景画などはついつい見入ってしまう。街並みについては小出も大橋も芦屋の小高いところから見える海の景色がフランスのニースかどこかの町に似ていて気候も似通っているから芦屋にアトリエを構えて絵を描けることに喜びを見いだしていた一方、小出はその生ぬるさから地方画家として終わる事への危惧感を抱いていて東京行きを希望していたが果たせなかったとある。確かに丘から下ったところにある海の見える景色などは美しい。ああ、フランスの洒落た町と同じ景色や気候だったか。生ぬるさというのもどこか共感できる穏やかな町でもある。

窓からシーサイドタウンを見渡せる広間に動画が設置されている。1つは画家の8mmで記録した動画だが、もう一つは具体美術協会の活動模様を写した動画が1時間ほど。初期の芦屋の松浜公園で開催された1950年代の野外具体美術展から、1970年の大阪万博で催された具体美術祭りまで。これは以前からじっくりと見たかったので深く腰かけて全部観ることにした。なじみの松浜公園が写っているが、当時はまだマンションなどがなかっただろうから、時折写る周囲の景色がサッパリとしている。大阪万博の方は実に万博の志向するイメージと重なり近未来的な催しで、赤い大きな翼をつけた人間が行き交ったり、キラキラに光る人のような物が蠢いたりと面白かった。毛糸人間などは実に滑稽。近未来的な車が縦横無尽に走り回ったりロボットの親子が出てきたりと70年当時の夢の未来が詰まっているような作品だった。学研の子供向けの科学本や図鑑に出てきそうなものばかりで懐かしくもなった。フィナーレはそれぞれの作品達が一堂に会してお祭り騒ぎ。しかし映像を見ていて少し寂しく思ったのは、日本は90年代以降、平成に入ってすぐにバブルがはじけて長い不景気へと突入したことだ。70年の大阪万博は高度経済成長の総仕上げ、戦後日本の経済成長の到達点というイメージがありそれこそ国家事業だったが、54年ぶりに2024年に開催される大阪万博は、果たしてそこまでの盛り上がりを見せることが出来るだろうか。不景気と個人主義を経て日本は分断の時代に入っている感がある。

松浜公園に設置された作品と戯れている小さな子供達や、101匹の犬のおもちゃを直したりしている小学生くらいの少年少女達は、存命なら50歳から80歳になっているはずだ。映像は年を取らない。そこにも何か時の移ろいの儚さのようなものを感じずにはいられなかった。

映像はカラーだがやはり古いので少しボヤッとしていて判別しづらいところがあるが、それがまた味を出している。キラキラの物体がぶつかり合ったりしているシーンではわざとピントを暈かして撮影していたりして、これなどは普段の写真撮影に通じるものがあった。

右手の展示室には、これも芦屋ゆかりのハナヤ勘兵衛らの写真が並んでいた。多重露光やモンタージュを駆使した前衛写真の拠点となった芦屋カメラクラブを結成し作品を世に送り出した。光により物体の質感を捉える写真などは参考になりそうだった。

戦後の神戸のアーケード下の食堂で銀シャリに食らいつく労働者の写真『銀めし』。丼鉢いっぱいに盛られてた白いご飯を粗野な目鼻立ちの労働者がニコニコしながら食べている。写真を載せて良いかと聞いたら、何も悪いことはしてないから全然構わねえというような返事を貰ったことをハナヤ勘兵衛自身が書いているが、その言葉遣いを読むと時代時代の流行の調子があるのだなと感じさせられる。今読むとその労働者の返事は不器用な日本語のようにも思われる。

小出樽重に関しては岩波文庫から『小出樽重随筆集』が敢行されていたが絶版となっている。復刊されたら是非読んでみたい。