本日付の読売新聞朝刊に、司馬遼太郎に関する記事が掲載されていた。何でも俳優の渡辺謙の長女で女優の杏を始め、若い女性に司馬遼太郎の小説が人気なのだそうだ。司馬遼太郎ブーム再燃の感がある。「燃えよ剣」や「新撰組血風録」などの作品が人気だそうだ。
おそらくここ10年の間に世に出た、NHK大河ドラマ「新撰組!」や、女性向けゲーム「薄桜鬼」などが人気のきっかけではないだろうか。前者はアイドルグループSMAPの香取慎吾や、人気俳優の山本耕史、堺雅人などが出演していた作品で大ブレークし、後者は新撰組と吸血鬼伝説を絡め合わせたPSP用のゲームで、数年前にリリースされて女性の間で大ブームとなり、アニメや映画にもなった。
今年は司馬遼太郎没後20年らしい。元産経新聞記者で、大阪のマンモスアパートで執筆をしていた旨も載っていた。同じ朝刊の地方欄には、大阪の西長堀にあるマンモスアパート「西長堀アパート」が、リニューアルして居住者を募集しているという記事も載っていて、ここにも司馬遼太郎の名前があったのだが、驚くことに記事と共に掲載されていた写真には、マンションのエントランスに飾ってある具体美術協会主宰の吉原治良の作品が写っていた。
地元にある市立芦屋美術館が吉原治良他の具体美術協会会員の作品を所蔵しているので、展覧会があるたびに度々観に行っていたので、こんな所にも吉原治良の作品が、生活の一部に溶け込んで飾ってあるのかと思うと、つい朝っぱらから興奮してしまった。高度経済成長期のマンション建築と美術品が一体となっている姿を想像するだけで胸が熱くなり、写真を撮りに行きたくなる。
昭和30年代から40年代という高度経済成長時代は、何かとノスタルジーとか憧憬とかいった感情を喚起させる。その時代に実際に生きていたわけではないのに、60年代の建築物やファッション、数々の美術品などを見ていると、感情が溢れてくる。手塚治虫も大活躍していた時期ではないだろうか。最近はヤングブラックジャックのアニメが放送され、若い世代の間にも、にわかに手塚治虫ブームの波が来ている。雑誌が特集を組んでいたし、先日も20代半ばの女の子が扮した手塚治虫作品のコスプレ写真を撮りに行ったところだ。
その吉原治良は、自身もアートパフォーマンスを手がけた大阪万博が開催された2年後、高度経済成長が終焉した1972年に亡くなり、吉原の死で具体美術協会も解散となった。どうも時代的な偶然を感じる。そしてその時代に郷愁を感じるのはなぜなのだろうかと思うと、子供の頃に見た建築物が、60年代70年代の色合いをまだ遺していたからではないだろうかと思われてならない。