平成から令和へ

平成最後の日は曇り模様で、写真でも撮りに行こうかと考えていたが、空も晴れていないし、梅田や難波の方へ出ても人混みにまみれるだけだから家で久しぶりにテレビを長時間つけてスマホを弄ったり家事を済ませながらそれとなく平成最後の各地の報道を観ていた。天皇陛下の国民に向けた最後のお言葉、退位礼正殿の儀の中継で、段差を降りようとする皇后美智子妃殿下の手を少し取られて気遣いされるご様子、部屋を退出される際に美智子妃殿下や列席者の方を振り返り、何らかの願意を含んでいるものと思われる間をしばらく置いてから礼をしたお姿をみると、国民の象徴としての天皇の責務がその所作にまで染み渡っているかのようで、爽やかな風がすっと通り過ぎたように心動かされた。平成という時代が無事静かに幕を閉じる瞬間でもあった。

昼の2時か3時頃、画面にはNHKなのにフジテレビの『料理の鉄人』でお馴染みだった道場六三郎、陳建一、坂井宏行の3人のシェフが出て料理対決に勤しんでいた。司会の鹿賀丈史はさすがにいなかったが(NHK大河ドラマに何度も出ているのだから出演していてもおかしくなさそうだが)、当時実況を務めていた元フジテレビの福井謙二アナウンサーの声がスタジオに懐かしく響いていた。

誰かがドンガラガッシャーン!と大きな音を立てて皿か何かを落とし、誠実な勤め人の顔をした女性のスタッフ他数人がしゃがみ込んで落とした物を片付けていた。陳建一が「アーーーっ!」と声を上げ、「胡椒!」と言っただろうか、料理人に指示した。それらの様子を見ていた料理研究家の土井善晴がキッチンに飛び出して、備え付けの蛇口に寄るとシャボンをつけて入念に手を洗い始め、アナウンサーに突っ込まれると「手洗いは料理の基本!」と声を大にし、塩結びを作ると言い出した。側にいたNHKのアナウンサーが「平成26年のあの伝説の塩結びを・・・」と言うようなことを口にした。塩結びと聞いて、笹の葉っぱに包んで塩で蒸したシューマイみたいな特別な料理だろうかと連想していたら、何のことはない、塩で味付けしたおむすびのことだった。陳建一が「ズルいよそれー、一番美味しいやつじゃんー」。

坂井宏行が数枚の皿に手際よくさーっとソースで飾り付ける。塩むすびには橙色のたくわんが添えられていた。テレビ越しに観ているだけでこちらは涎が口に溜まりそう。出演者達が群がりグルメ番組にありがちなテレビ向けの機を衒ったコメントやリアクションをするでもなく美味しそうに頬張る自然体の姿を観ていると、なぜかホッコリとした。

テレビ各局とも平成最後の特別番組を組んでいたが、NHKは『ゆく時代くる時代』と題した番組を日を跨いで長時間放送していた。その中で平成時代の懐かしいガジェットを振り返る番組もやっていて大阪放送局ではヒャダイン、天の声で声優の緒方恵美が進行していた。スタジオには新世紀エヴァンゲリオンの渚カヲルのフィギュアが飾ってあり、VTRの音楽にもエヴァの楽曲が使われていた。振り返れば平成の最初の10年間はエヴァンゲリオン関連にドップリと浸かっていた時代だった。庵野秀明監督の前作のNHKで放送されたナディアにもハマったが、エヴァにも熱狂した。ガジェットは新聞社に勤めていた人のワープロや、エプロンを掛けた主婦が使っていると話題になりその後の人生を変えたPDA、花博(現:鶴見緑地公園)で初登場した6人同時に遊べるアーケードゲームなどが紹介されていた。

いよいよ午前零時となり、令和の時代が到来した。テレビは岐阜県の踊りの会場や、大阪ジュリアナ東京、渋谷、軽井沢の結婚式などを中継していた。アナウンサーが若者二人を掴まえ「令和になったことについて20秒で語って欲しいだんけどぉ」「では令和の時代に向かって何か一言!」みたいなかなり自由度の高い無茶ぶり投げやりな感じのインタビューだった。岐阜のお祭り会場中継ではスケベエと言う言葉を連呼するアナウンサー、何でも踊りが上手い人のことをスケベエというらしく、スタジオに戻ると、女性アイドルが「じゃあ私もスケベエですね」とこちらでも何度もスケベエを連呼。Twitter本社からの中継では#ハロー令和のハッシュタグがトレンドワードに入るか入らないかの瀬戸際で、女性社員が「今何度もリロードしてます」と言い、爆笑問題の大田が「それ御社が無理矢理トレンド入りさせようとしてるじゃん!」と言い放った。軽井沢の令和に挙式することになったカップルの中継では、花びらを舞わせるために手で花びらを蕾のように包んで待機しているスタッフ達が映し出され、「待っている間に手が汗ばんじゃって(スタッフの手の形を真似て)あんまり花びらが舞わなかった」と茶々を入れた。久しぶりにテレビを腰を据えて観たがこんなに面白いものかと実感した。

世界の仕組みを変えたインターネット

1999年に家にインターネットが来てから、テレビを観ることがめっきり減った。たいていは朝昼夜の食事しているついでにテレビを付ける。だからこの時間帯に陰惨なニュースを放送されるとご飯が不味くなるからテレビを消す。そんなニュースは夜の9時か10時頃にでもやってくれたら良いのにと毎回思う。

しかし今回の特別番組に感じた変化は何だろうか。視聴者に寄り添った番組作りなのか、タレント達の笑わせる技能なのか。生放送が減り、ひな壇芸人とテロップと編集で笑わせる番組が増えていく中で、新鮮な面白さだった。

かつてテレビは世界そのものだった。何らかの情報を入手しようと思えば、町の本屋さんに行って雑誌や漫画、本を購入するか、新聞を読むか、テレビを観るしかなかった。だからみんなテレビを観ていたし、視聴率が50%を越えるような番組もあった。今はインターネットがあるのでわざわざテレビを観なくても自分で検索してそれ以上の情報を得ることが出来る。テレビ局の人間が取捨選択して編集した番組を観なくても、自分自身で情報を集めて物事を判断することが出来る。もちろんインターネットの情報は玉石混合でフェイクニュースなども出回っている。自分に都合の良い情報だけに触れることで視野を狭くする問題などもテレビで語られていた。しかしインターネットの重要性はそのような些末な事ではない。重要なのは個人が自分自身が体験し摂取した情報を自由に発信できるようになったことと、本屋や教育機関でしか手に入らなかった様々な情報を通信費を除いては無料で手に入れることが出来るようになったことだ。本屋に並んでいる本に書かれている情報が正しいとは限らないのは、多くの書籍に触れてきた人なら馴染みのあることだろう。お金を出して本を買っても自分が欲している情報が得られるとは限らず探すのも一苦労と臍を噛む思いをした人もいるだろう。インターネットは検索欄に打ち込むだけで自分に適合した情報を簡単に見つけ出し手に入れることが出来る。これは広告収入のシステムによって成り立っている。もちろん最近はまとめサイトやキュレーションサイトのようなキーワードSEO対策によりアクセスを集める広告収入を主目的とした中身のないサイトが上位表示される問題もあるが、それは個人のネットリテラシーの問題や検索エンジン会社が打開策を打ち出せば済むことで些末な問題だ。木を見て森を見ずで、些末な事に目を奪われていると大局が見えなくなる。

令和の特別番組が終わった後は、NHKスペシャルでシリーズの平成史を放送していたのでそのままテレビを付けて1時間ほど見入っていた。今回のテーマはインターネット。元ヤフージャパン社長の井上雅博と、Winny開発者の金子勇が取り上げられていた。井上雅博は広告収入を土台にして情報を無料で配信するビジネススタイルでインターネットに革命をもたらした。金子勇はサーバーを介さずに個人間でファイルを共有できるシステムを開発したが、後にその技術が暗号通過の元となるブロックチェーンの開発に役立ったとされる。その後金子は著作権法違反幇助の疑いで逮捕された。現在パリ在住の2ちゃんねるの元管理人ひろゆきが言っていたが、包丁で美味しい料理を作るか人を殺すかはそれを使う人次第で、包丁を作った人を逮捕するようなもので、日本は好機、アドバンテージを失ったと語っていた。金子勇は2011年の最高裁で無罪を勝ち取るが、2013年に心筋梗塞で逝去した。出る杭は打たれる日本社会の弊害を見た思いがした。

一方でインターネットでは罵詈雑言が肥大化し、フェイクニュースが闊歩し、リアルタイムで個人が動画を発信できるようになり、井上雅博は本人が想い描いていた理想郷以上にインターネットの世界が闇雲に広がったことで何らかの限界を感じたのか後進に道を譲った。その後2016年の自動車レースの事故で逝去。

インターネットにより個人は孤独や寂しさからも解放されたが、同時にそれは偽りの解放なのかも知れない。遠く離れた、もしくは近くの未知との相手は理想に描いていたような人間ではなく、相手のことを知れば知るほど、文字により相手の考えを、脳の中身を知れば知るほどそこには自分が普段からよく知っている人間がいるだけだったと幻滅していき、相手の正体が分かれば分かるほど憎悪を掻き立てられ、あらゆる階層で分断が生じていく。触れる情報が多くなればなるほど世界は陳腐化しインターネット黎明期に想い描いていた理想郷は消滅していく。インターネットの言説はあまりにも正直なために、それが正しかろうが間違っていようが、愚直であろうが安直であろうが、今まで見えなかったことが見えることになったことで、世界を陳腐化させる危険を孕んでいる。

令和初日

翌日の令和一日目は父の退院の日。少し顔がやつれていたが、ダイニングに入ってケーキを食べると元気を取り戻した。1ヶ月ほど前に痙攣が止まらず介助ありでも歩けなくなったので救急車で病院に行ったが、脳を撮ったところ特に脳梗塞の再発でもなく糖尿病その他の数値も正常でそのまま家に帰されるも、やはり痙攣が止まらないので夜にもう一度救急車を呼び、別の隊員が来たが救急車の中では隊員が病院に行くことを勧めるというよりも家族が要望しているというような電話での会話が聞き取れ、結局ポートアイランドにある市民病院に行くことになりベッドに寝て点滴のようなものを打たれていたが何らかの原因で勝手に筋肉が動く不随意運動による痙攣の症状と言われ紹介状を貰って入院させることも出来ず、若い医師は介護タクシーを手配できるというので、介護タクシーを呼びたいと若い女の看護師に言ったら面倒臭そうにしどろもどろでこちらも混乱、結局普通のタクシーを呼ぶことになり深夜零時に車椅子からタクシーに乗り換えさせるのも一苦労でかなりの重さで1度ずり落ちるように転倒させてしまったので諦めたが、もう一度内側にまず乗り込んでタクシーの運転手達と3人がかりで乗り込ませ、何とか帰宅。翌日紹介状を持って別の病院に向かうと女医からやはり不随意運動による痙攣という事だったが、原因を特定するのは難しいという。その翌日か翌々日に最初のいつもの病院で精密検査を行ったら、脳の梗塞巣が広がっていて脳梗塞の再発であることが分かった。リハビリも兼ねて入院という事になる。最初から精密検査してれば分かっただろうに手間と労力と時間と医療費の無駄になった。

以前よりも少し歩きにくくなっているようだから当面は介助が必要だが、入院前よりは歩けているからまぁなんとかなるだろう。病院にいたときはもっと歩けていたらしいから、家の間取りに慣れていないのかもしれない。

ということで、正月が2度来た気持ちですが、令和でもよろしくお願いします。