スマホをXperiaからiPhoneに買い換え、生活に馴染んでくるとふと思うことがある。今のスマートフォンの先には、どのような新しいデバイスが待ち構えているのだろう。
未来予想図を想像するのは楽しい。最も実現しそうなのは、眼鏡型、もしくはコンタクトレンズ型のスマートフォンだ。目線でアイコンをタップ出来る技術が既に開発されたというようなニュースをどこかで聞いた様な記憶がある。
最新のiPhoneは指紋認証機能がついている。先日高解像度で撮ったピース写真をネットに上げると、指紋が盗まれて危険だというツイートが話題になったが、この指紋認証機能、スリープから立ち上げるときや、おサイフケータイを使うときなど、指を丸いボタンにタッチするだけで、パスコードを入力しなくて済むから、とても便利だ。
映画の中の世界だけと憧れていた指紋認証機能がこんなにも速く生活の身近なツールとして機能しているのだから、目の模様を認識してキーを解除したり、視線でアイコンをタップしたり、電子書籍のページをめくったり出来る日も近いかも知れない。
スマートフォンの普及による本格的なユビキタス時代の到来
スマートフォン以上に便利なガジェットが今後出てくるだろうか。手のひらサイズに収まるスマートフォンは、ポケットやカバンに入れたり、寝転がってでもネットサーフィンが出来たりと、日常生活に馴染みやすい。
ほんの数年前まではガラパゴス携帯、所謂ガラケーが主役だった。今思えばよくあんな小さいボタンと小さな画面で、外出先で必死になってネットに繋いでたなと思う。使いづらいし、ホームページはケータイサイトでないと見れたものではなかった。
僕は趣味で幾つかのサイトを運営している。ガラケーが大勢を占めていた時、インターネットユーザーはモバイルからのアクセスが半分を占めていると言われていた様に記憶しているが、それでもサイトへのアクセスはまだまだパソコンが主流を占めていた。しかしここ数年でスマートフォンが興隆を極めるようになると、アクセス数の6割がスマホからのアクセスに取って代わられた。
この事実は多くのサイト運営者に、サイトデザインの変更を要求した。従来のパソコン向けにデザインされたホームページだと、スマホで見た場合に文字が小さくなり、読みづらい。タップで拡大して読めないことはないが、その分ユーザーに不便を強いる。見た目も悪い。そこでパソコン・タブレット・スマートフォンのどのデバイスで閲覧しても、最適なデザインを実現するレスポンシヴデザインをサイトに適用させることとなった。
スマホの登場で生活は一変した。どこででもネットに快適に繋げるし、電子書籍が読める。ゲームも出来る。YouTubeなどで動画が楽しめて、音楽も聴ける。それらのサービスをどこででも快適に享受するには、小さい画面とボタンのガラケーでは無理だし、携帯性で見ると、登場して半世紀以上が経つパソコンでも無理だ。スマホは完成形と言って良い。iPhone7では、家の電気や鍵もスマホで操作できるようになった。本格的なユビキタス時代の到来だ。ちょっと前までは経済ニュース番組でこのカタカナ英語を聞いても意味が良く分からなかったが、ユビキタスの利便性を我々はこうして実際に享受している。
一昔前、まだ「意識高い系」というスラングがなかった頃に、電車の中でノートパソコンを広げて熱心に文字を打っている、オシャレな若い大学生の男性を見かけたことがあった。その男性は座席に座っていたのではない。車内で立ちながら大きなノートパソコンを片手に抱えて、文章を打っていたのだ。まさに「意識高い系」という言葉がピッタリと合う学生だった。下手をすれば落っことして他の乗客に怪我をさせる恐れもあったその光景には、失笑せざるを得なかった。その大学生も、スマートフォンのある今、無理してノートパソコンを電車の中で広げる必要はなくなったことだろう。
技術の飛躍的進化で、デジタルカメラの未来はどこに向かうのか
スマートフォンの登場は超高度情報化社会の第二革命とも言える。1999年前後にプロバイダが乱立して、一般家庭に一気にインターネット網が広まった。一番始めに使っていた小さなプロバイダ会社は、もう既に解散してなくなってしまった。
インターネット時代の移り変わりのスピードは、インターネットが登場する以前よりも、めまぐるしくなった様に思う。インターネット黎明期には個人サイトやそれに付随する掲示板文化が花開いたが、ブログの登場で誰もが情報を発信できるようになり、SNSが登場するとブログが不得手としていた寄り密接なコミュニケーションを加速させ、今はTwitterやフェイスブックが、その手軽さから過去のインターネットサービスを凌駕しようとしている。
この先にはどんな新しいサービスやガジェットが待ち構えているのだろう。1990年代の携帯電話はそれこそショルダーバッグに抱えて持ち運ぶ武骨な機械だったが、あっという間に手のひらに収まるサイズになってしまった。かつては輝かしい未来を連想させたPDA(Personal Digital Assistant)という言葉が死語になるほどに、モバイル端末は飛躍的な進化を遂げた。
この流れで行けば、カメラも小型化していくのではないかという予測が立つ。2008年にコンパクトデジタルカメラの出荷台数はピークを迎えたが、その後は下り坂となり、今現在もカメラメーカーは苦境に立たされている。カメラ機能が備わったガラケーやスマホの登場が、コンパクトデジタルカメラの売り上げを圧迫した。
写真を撮るという行為は、その日その日の思い出を記録するのが主な目的だ。ガラケーやスマホのカメラ機能の登場で、2,3万円はする高いコンパクトデジカメを買う必要性がなくなった。思い出を残す為の写真なら、写真雑誌に載っているような高画質な写真でなくても構わない。それはフィルム時代から一貫して変わっていないように思う。高画質にこだわりたいユーザーが一眼レフの趣味にのめり込むのだろう。
小さな撮像素子でも高画質化する技術が確立すれば、カメラはもっと安くなるだろうか。それとも技術の底上げで、更に高画質のカメラが登場して、値段は下げ止まったままだろうか。最近発売されているカメラは高価な物が目立つ。5Ds・5DsRは50万超えだし、5Dmark4も予想より10万円は高い40万円だった。
最新のiPhoneに搭載されているカメラは、まるでレンズ交換式の一眼レフデジカメのように焦点距離を変えることが出来る。撮像素子が小さいので、画質はスマホの画面で見れば綺麗に見える程度。まだまだ一眼レフには及ばないが、あと数十年もすれば、手のひらサイズのガジェットで一眼レフデジカメに匹敵する画質の写真が撮れる日が来るかも知れない。