トールキン 旅の始まり – 第一次大戦の激戦地ソンムの戦いでの強烈な体験と、大戦前の牧歌的な青年期を交えながら、出会いと境遇が作家を醸成する過程を描く

トールキン 旅の始まり

英国で人気ナンバーワンを誇る小説『指輪物語』の作者、ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキンの半生を描いた映画。主演は『ライ麦畑の反逆児』で世界的ロングセラー作家J・D・サリンジャーを演じたニコラス・ホルト。

奇しくも2人の大作家を演じることになったニコラス・ホルトだが、今回も主人公は戦争に巻き込まれて心に深い傷跡を残すことになる。しかし同時に過酷な戦争体験が作家の創作に影響を与えていることを、この世のものとも思えない凄惨な戦場における悪魔的な幻想シーンから読み取ることが出来る。

サリンジャーは第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦やその後のヨーロッパ戦線における激戦でPTSDを負い、映画『ライ麦畑の反逆児』でも東洋思想のヨガを通したトラウマからの回復が描かれていた。今作では第一次世界大戦の最大の激戦地、ソンムの戦いのシーンを主軸に据えて、幼少時代から第一次世界大戦勃発までのトールキンの半生を回想するという形式でストーリーが流れていく。

第一次大戦と言えば塹壕戦が代名詞のように出てくるが、この映画でも例の塹壕が見事に再現されている。クリスマスまでに帰れると言われ、戦争は数ヶ月で決着が付くと誰もが信じて疑わなかったヨーロッパ大陸での半世紀ぶりの楽観的な戦争を4年近く長らえさせ、結果として人類史上希に見る多大な死傷者をだす元凶ともなった例の象徴的な塹壕。戦線は長らく膠着し、足下に溜まった水のせいで兵士達は水虫に悩まされたという挿話を思い出しながら戦場のシーンを見ていた。

『キングスマン』のように他の英国映画の例に漏れず、階級社会にも触れられている。トールキン自身は銀行家の父をアフリカで亡くし、母子家庭の子供として名門校に入るが、周りは裕福な貴族のエリート子息だらけ。初めは対立もするが差別意識に囚われない崇高な理念の持ち主である校長の仲介と命令でやがて仲良くなり、以後この4人はT.C.B.S(ティー・クラブ・バロヴィアン・ソサエティ)と名付けたグループを結成し、若くしてバロウズに入り浸り創作に打ち込む。しかし母も糖尿病により早くに亡くしたので、神父が後見人となり、名門オックスフォード大学に進むが、成績が振るわず奨学金が下りなかったことで、他の3人に当てつけるような自虐的なセリフを吐き、駄々っ子のようになって自身の境遇を呪い酒に耽溺する。だが校内での深夜の深酒の騒動がきっかけで、古英語の言語学者との思いがけない邂逅を得、この老教授に師事することで『ホビットの冒険』執筆にも関係していく。学び舎というのは実に懐深い場所だ。

映画の中では英国の物語や北方の神話、サー・ガウェインやシグルドというキーワードが何度か出てくる。実際に読んだことはなくても日本ではスマホゲームFGOをプレイしている人なら親しみが持てる名前の数々だ。

恋人とのロマンスもあるが、どうもそちらの方には興味が行かない。戦争でT.C.B.Sの仲間のうち2人が戦死してしまったことが、あの大戦の過酷さを印象づけている。トーマス・マンの『魔の山』のラストでは、閉塞的な空気を打ち破るように主人公のハンス・カストルプは、スイスの高原にあるサナトリウムから戦線へと意気揚々と出征していくが、本作でもイギリスがドイツに宣戦布告したニュースを触れ回るシーンでは、校内で学生達が肩を叩き合って熱狂的に喜び合っている情景を見ると、ヨーロッパ列強各国の帝国主義がしのぎを削る中で、大衆の水面下でも戦争を待ち望んでいた空気が醸成されていたことが窺える。

ラストの戦場のシーンでトールキンが友人を探し、友人が戦場をさまよう姿はふと『魔の山』のラストの戦場の描写を地で行くようで、古い騎兵なども出てきて幻想的だった。

戦争は終結し、ヨーロッパは疲弊する。三つの帝国が消滅し、戦勝国であるはずのイギリスやフランスは大戦前の輝きを取り戻せなかった。大戦前にヨーロッパが謳歌していた美しい牧歌的な時代を懐古してベル・エポックと呼ばれることになる。大戦後は最大の債権国となったアメリカが世界の一流国として台頭するが、1929年10月に起こったニューヨーク株式市場の暴落をきっかけに大恐慌の波が世界を襲い経済が混乱を極める中で、ドイツではヒトラー率いるナチスが政権を掌握、第一次大戦の傷から立ち直りかけていたヨーロッパは再び史上最悪の世界大戦へと巻き込まれることになる。